7月6日~7日、第36総会期第5回社会委員会が開催された。
担当幹事及び担当職員より教務・業務報告及び常議員会報告、会計報告を受けた。この際、海外自然災害救援募金について、締め切り日を決定した。
宣教委員会報告を、福井博文社会委員長より受けた。宣教方策会議の反省、宣教委員会の今後の展望について協議されていることが報告された。引き続き、「障がい」を考える全国交流会の報告を受けた。
日本キリスト教社会事業同盟総会・研修会、日本キリスト教保育所同盟理事会・総会の報告を担当委員から受けた。また、靖国・天皇制問題小委員会の報告を担当委員から受けた。
諸報告を受けた後、7月5日~6日まで行われた全国社会委員長会議の反省を行った。準備段階において反省すべき点がいくつか挙げられた。1日目の講演については、命について学ぶよき研鑽の時となった。2日目の教区社会委員長……
7月5日~6日、教団会議室で第36総会期全国社会委員長会議が開催された。
福井博文教団社会委員長による開会礼拝で始まり、釜土達雄委員の司会で木村利人氏(恵泉女学園大学学長)の講演を聴いた。今回の委員長会議の主題は「地域に生きる教会の苦悩~いのちを守るために~」で、演題は「いのちを選びなさい」(申命記30・19)であった。
講演の内容は、主に医療におけるインフォームド・コンセントの重要性と臓器移植の問題であった。
前者の内容は①真実を告げる。②検査の内容と目的を告げる。③処置の仕方を提案する。④選択を委ねる。⑤リスクを説明する。⑥治癒しない場合どうなるかを告げる。⑦納得したか確認する。⑧セカンド・オピニオンを告げる等である。日本ではまだ充分な理解と実施がなされていない。従って、本人に癌の告知がなされない。告知し苦痛を分かち合い、互いに祈ることができること……
6月22~23日、「『障がい』を考える全国交流会」がルーテル市ヶ谷センターにおいて、参加者46名で開催された。
今回は、4年に一度開催されている通常の全国交流会とは分けて、委員会において特別に企画された。
それは、牧会者やその家族が精神的に大きな負担を感じ、教会での働きができなくなったり、自死に至るケースも起こっている現実を踏まえ、この問題に取り組むことは急務だと考えたからである。これをきっかけに、教団全体が牧会者ならびにその家族の精神的ケアの問題に取り組んで行ければと願っている。
講師には柿ノ木坂教会員で精神科医の石丸昌彦氏を迎えた。牧会者とその家族が抱えるメンタルヘルス、特に「うつ病」の問題、自殺問題、聖職者の感情労働(対人サービスの職種において感情が労働の大きな要素となるもの、医師、看護師、教師、聖職者などの職業が抱える労働)の問題、これらの問題……
第36総会期の第6回信仰職制委員会が7月5日(月)に、委員7名全員の出席のもと教団遺愛会議室で行われた。
今回、内藤留幸教団総幹事からの3つの諮問に対して以下の答申(概略)が出された。
諮 問
(一) 教会規則に定める役員任職式(就任式)を執り行わないことは、主任担任教師の裁量の範囲内と言えるか。
(二) 教会規則に「毎年一回4月に招集する」と定められた定期教会総会を当該月に招集しないことは許されるか。
(三) 教区常置委員会の審判委員会が「戒規無効」の判断(最終判断)を出したにも拘わらず、教会においてなお当該戒規(陪餐停止)を継続することはできるか。
また教区の審判に従わない教師に対して、教会として取り得る対応にはどのようなものがあるか。
答 申
(一) 裁量の範囲とは言えません。主任担任教師は、教会規則に役員任職式の定めがあれば、その定めると……
第36総会期第5回伝道委員会が6月29日(火)~30日(水)宮城野愛泉教会にて開催された。前日より仙台東六番丁教会にて開催された教区伝道委員長会議の実り豊かな時を背にしての委員会であった。
開会礼拝では、北川善也委員がマルコによる福音書2章1~12節から説教し伝道への勧めをなした。
続いて、業務報告、会計報告、教団宣教委員会報告、エクロフ委員会報告、開拓伝道援助申請教会への訪問報告、「信徒の友」「こころの友」編集委員会報告、教誨師教区代表者会報告が、各担当委員、担当幹事から詳細になされ、すべて承認された。特に「信徒の友」「こころの友」編集委員会報告では、『信徒の友』編集方針に関する理事会報告済みの資料が配布され、その大原則と指針が確認された。また、教誨師教区代表者会報告では、『教誨事業協力会』を解散し、『日本基督教団教誨師会』(教団内任意団体)を設立、新たな……
第36総会期「教区伝道委員長会議」は、6月28日(月)~29日(火)、仙台東六番丁教会を会場に、25名の出席者をもって開催された(北海教区、京都教区、沖縄教区は欠席)。
今回の講師には、山口陽一氏(東京基督神学校校長・日本同盟基督教団市川福音キリスト教会牧師)を迎え、二日にわたり、「新しい伝道協力の可能性」と題する主題講演を聴いた。
1日目の講演は「福音主義自由教会の宣教協力」として、山口氏自身が教団から他教派への転籍および献身の経験を通して示された日本のプロテスタント教会全体の相互理解と連携の可能性について、日本伝道150年の歴史を振り返りつつ語った。
これに続いて各教区報告と協議の時間が持たれたが、いくつかの教区から教会互助の問題が挙げられたものの、ここではそれ以上に伝道にあたっての、託された各地域の特質や課題を率直に分かち合い、また活発な意見交換……
▼ケン・フォレットの『大聖堂...果てしなき世界』を読み終えた。読み終えたと言うと、随分大袈裟な表現に聞こえるかも知れない。神学書や哲学書ではなく、通俗的な小説に過ぎないのに。しかし、前作『大聖堂』と併せれば、文庫本6冊で3810頁、しかも、前作との間に10年の間がある。読み終えたが実感だ。▼前後両作品が舞台にするのは、1123~1174年、そして1327~1361年、大聖堂建設を背景に、修道院とその門前町を主な舞台として、多くの登場人物が描き出される。一方で、ケン・フォレットらしくテンポ早い物語の展開、息つく間もなく読んでしまったとも言える。▼日本伝道150年の記念行事を持ったくらいだから当然だが、創立100年を超える教会が多くなった。今年創立100年を迎えるのは、1910年・明治43年に立てられた教会、戦後1945年に立てられた教会も今年65歳になる。戦後の教会もぞ……
ペトロの手紙Ⅰ 4章7~11節 一之木幸男
◇万物の終わりが迫っています
この緊迫感のなかでペトロは語ります。ここでの「終わり」は同時に《神の国の完成》であり、《キリストの再臨》でもあります。主は言われます。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。人の子は思いがけないときに来る」使徒ペトロはこの主のみ言葉の通りに宣べ伝えているのです。 ここで我々は問われます。「あなたはほんとうに《待って》いるか? 自分が生きている間にも《その日、その時》が来るかもしれないと受けとめているか?」という問いです。
◇何よりもまず、愛し合いなさい
すべてのことに優って愛し合うことが求められています。 物事の優先順位がわからなくなった状態をパニックと言います。もしかし……
今夏は記録的な猛暑に見舞われ、まさに「わたしの力は 夏の日照りにあって衰え果てました」(詩編32・4)のような状況に至ったことしばしばであった。
そんな中「熱中症」で倒れる人が続出するニュースも流れ、動くことさえ危険であるかのように感じられる始末であった。
暑さの猛威はかくの如くであるのだが、教団そして教会形成にはどうしても信仰の喜びからくる熱中が必要だなんてことをふと思ったりもした。
ものごとに対し受け身で無感動、無気力なさまをアパシーというが、このアパシーが教会を襲い覆い尽すと群れは弱体化する。
特に無感動は生かされて生きる人生の意味を奪っていくのだが、福音の喜びが、この問題性を超えさせ、生き生きとした人間性を取り戻させるものだ。
かく思うと教会に足りないものは喜びからくる熱中ではないのか、伝道への熱中、奉仕への熱中こそ欲しいものだ。
……
福音と経済の接点を求めて
自転車通学をしていた中学一年生のある日、小さな女の子にぶつかって怪我をさせたが、謝ることも、両親に告げることもしないまま、事故の場所を避け続けた。ただ恐かった。中学・高校の6年間、その事故が重荷となって楽しめなかったし、自分を内向づけたと思う。
1967年12月24日、関西学院大学2年のとき、甲東教会で、芹野俊郎牧師から洗礼を受けた。受けようと思ったとき、まだ謝っていない、自分には罪がある、と指し示された。引越し先まで女の子を捜し求め、勇気を奮って謝ると、女の子の母親は、小さな子はよく事故するし、何でもないよと言ってくれた。初めて赦されたと思った。そうして、聖書で語られている赦しが、具体的に人の言葉からもわかり、救われたという気持ちもわかるようになった、と更に語る土井さんに、主イエスに出会った人という印象を強くもった。
専門は金融論で、四国学院大……