2・11は、国民の祝日に関する法律で『建国記念の日』とし、「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規定されています。この日は神話上の人物である神武天皇が紀元前660年2月11日に橿原に宮を建て即位した日とされる日で、1874年以来『紀元節』として守られてきたものです。それを、1967年に『建国記念の日』とし、祝日とされました。
けれども、所詮神話です。紀元前660年2月11日が建国の日と考える人は、少なくとも日本の古代史の専門家の中にはいないでしょう。紀元前660年2月11日に、奈良の橿原に、強力な統一国家が建国され、天皇という祭祀と政治を司る大王が存在したと考えることは、通常できないからです。また、統一国家の形成や天皇制の確立、天皇という名称の使用は、紀元645年(一巳の変)から712年(日本書紀成立)の間に行われたと考えるのが一般的ですから、紀元前660年2月11日が歴史的に根拠のある日……
第37総会期第5回宣教師人事委員会が12月12日教団会議室において開催された。
当委員会は日本基督教団の教会及び関係団体(キリスト教主義学校を含む)に宣教師として赴任する牧師及び英語教師などの資格に関して取り扱う委員会である。
委員会の度に、入国審査する書類の束が用意される。そこには、加藤誠幹事や高田輝樹職員、杉山真里菜職員によって周到に準備された英文と日本語訳の書類がある。
この委員会に提出される書類の一つ一つは、三氏の努力の賜物であることを認識させられる。
本国の教団(宣教協約を締結した諸外国の教団)との連絡、交渉、本人との面接、希望条件、日本滞在中の生活及び霊的ケアを含めて、彼らは入国する宣教師と関わっている。
当委員会は、三氏の報告を聞くことで、宣教師の信仰と人柄を知り、日本における働きが祝されるように祈りつつ、承認する。
教団に係わる宣教師にはおおよそ三つの特徴がある……
第37総会期第6回宣教委員会が10月1~3日の日程で開催された。今回は、韓国における最初の組織教会とされるセムナン教会と長老会神学大学を会場に行われた。
初日、セムナン教会の資料館を見学し、主任牧師のイ・スヨン牧師と懇談の時を持った。当教会は、12名の牧師たちを中心に主日は1200名の礼拝が5回、他にベトナム人礼拝、中国人礼拝、フランス語礼拝、英語礼拝、日本語礼拝が守られている。他、教会の様々な働きを紹介してもらった。
2日目、長老会神学大学へと会場を移し、ハン・グギル教授(宣教学)の講義を聴講。ハン教授は、主イエスの宣教の出発点を「エフェソ2・14」に据えて講義した。「宣教」とは、境界線を越えて行くもの。国家・イデオロギーを超えて一つになり、そこに平和が実現する。しかし、一つになれないという現実がある。そこで一つになるということが起れば、主イエスの業がそこで起ったということになる。韓……
NCC総幹事 網中彰子
NCCについて基本情報から記す。
字数に限りがあり海外諸教会との協働について今回は記せないが今年もドイツ、香港、韓国等で会議が予定されており、予算を超えない範囲で参加しエキュメニカル活動の一端を担うつもりである。
加盟教団は日本基督教団、日本聖公会、日本福音ルーテル教会、日本バプテスト連盟、日本バプテスト同盟、在日大韓基督教会。加盟団体は日本YMCA同盟、日本YWCA、日本キリスト教婦人矯風会、日本キリスト者医科連盟、日本聖書協会、日本キリスト教文化協会、キリスト教保育連盟、キリスト教視聴覚センター。他准加盟教団・団体が17で構成されている。WCCは「教会」協議会だがNCCは「キリスト教」協議会として団体も共に活動する。加盟教派・団体の分担金と賛同会費が支える。
小橋孝一議長の他、副議長・書記は教派・団体から1名ずつ推薦され総会の承認を経て5名の役員会を……
東北ヘルプは、教団救援対策本部を中心とした献金をもって、東日本大震災への対応として、地元の諸宗教者・医療者と協働し、東北大学に「実践宗教学寄附講座」を開設しました。これは、1922年に富士見町教会信徒によって「キリスト教の学術的研究」を目的とした寄附講座が京都大学に開設され現在に至っていることにも比すべき出来事と考えられます。
以下、その経緯・意義・目標を簡潔に記します。
1.経緯
東日本大震災は、一瞬のうちに万を数える人々の命を奪った。海岸線だけでも500キロに及ぶ地域が津波の被害を受け、更に原子力発電所の爆発事故が重なった。まさに未曾有の事態である。
この大惨事に、宗教者が宗教の別を越えて協働した。情報を共有し、共に被災者を見舞い、電話相談を開設して心のケアに当たった。支援を自らの勢力拡大の手立てとせずに、しかし、宗教者にこそ可能な支援を行うこと。今次の震災直後、悲嘆に暮れる人……
▼この1月、成人の日の連休を挟んで東京も大雪に見舞われた。雪深い地方の教会の皆さんからは、これで大雪か、と笑われてしまうかもしれない。だが雪に無防備な町では5センチ、10センチの雪で交通も、人々の歩行も麻痺してしまう。振袖姿のお嬢さんが坂で転んでしまうかわいそうな姿もあった▼仕えている教会には幼稚園がある。雪が降った翌日、園庭は真っ白。子どもたちがじっとしているわけがない。たいていの東京の雪ならば、朝一番に園庭に出た子たちが一遊びすると、あっという間に雪遊びだか、泥遊びだかわからなくなってしまう。ところが、今度の雪は長持ちした。いつまでも泥まみれにならない。水を含んで湿ってパックした重い雪だった。気温が低い日も続いた。建物の北側の雪もなかなか消えなかった、今度の雪は白さを長く保った▼主は、あなたがたの罪が緋のようであっても雪のように白くすることができる、と言ってくださった。これを信ずるとこ……
ルカによる福音書19章41〜44節
伊藤瑞男
きのこ雲の下で
1945年8月6日午前8時15分、広島市中心部の上空600メートルで原子爆弾が炸裂しました。
私はそのとき、爆心地から10キロ位離れた、宮島(厳島)の小学校の教室にいて皆と一緒に自習をしていました。
原爆の閃光が教室の中に貫き入りました。小学校2年生の子どもたちは、顔を見合わせて、何だろうと言い合いました。
すると、暫くして、激しい衝撃波が襲ってきました。教室は激しく揺れ、窓ガラスが割れました。子どもたちは一斉に悲鳴を上げ、争って教室から運動場へ出ました。
その時、皆は、近くに爆弾が落ちたと思い、運動場に立って、周囲を見回しました。
すると、背後の山の端から、きのこ雲が現われ、非常な勢いで立ちのぼっていきました。この原子雲の下で、どんなことが起きているのかは、子どもの私にはわからず、呆然と見上げていま……
第38回教団総会で総幹事に指名された翌週月曜日朝から、正式な就任式等ないまま、東京山手教会牧師として本年3月末までを続けることで西早稲田に通い始めた。
その日、朝9時より「信徒の友・週日聖書日課」による「祈りの教会」を覚えて献げる礼拝から始まった。この直後、事務局全職員の打合せを総幹事室で行い、各自その週の仕事と予定を確認し合った。会社勤めや幼稚園等携わったことのない自分にはそれが実に新鮮であった。教団幹事との「幹事会」が、その後開かれているとのこと。慣例でそれも総幹事室で行われていた。だが、教団運営上これは極めて重要な会議であり、ソファーと応接用の低いテーブルですることではないとの判断から、会議室に移して行うことを提案し、了承された。これは、月一度教団三役と幹事会との合同会議である「役員打ち合わせ会」もそのようにして今日に至っている。
ところで総幹事室であるが、此処には古くは中嶋正昭……
1948年東京都生まれ。
ICU大学院・日本聖書神学校卒。豊島岡教会担任教師。
昨夏、仙台・石巻エマオに台湾から100人のボランティアがやって来た。4チームに分かれて奉仕したが、大工さんが加わっていたことから、引っ張りだこになった。このボランティアは、台湾で大きな関心を集め、1、000人もの応募者があったという。東日本大震災・海外募金の3割強が台湾からであることとあいまって、台湾諸教会の熱い支援の気持ちがよく伝わってくる。
本年3月の大震災2周年メモリアル・デーには、石橋秀雄・教団総会議長を招いて、記念集会が台湾で開催される。
昨年9月、救援対策幹事に就任した飯島さんは、都内の公立中学で31年間教鞭を執っていたが、「神様との約束を果たしていないことが心をよぎり」、53歳で日本聖書神学校に入学した。
14歳で受洗し、17歳で召命を感じた飯島さんは、高卒後、神学校入学を考えたが、……
地域の声に聴く伝道
周船寺教会牧師 駒木 亮
初めに、東日本大震災で被災された方々、それに続く福島第一原子力発電所の事故によって今なお不安の中に置かれた方々に主の慰めをお祈りいたします。
私は2011年4月から福岡市の西端にある周船寺教会で奉仕させていただいています。周船寺は糸島半島の内陸部に位置する、南は脊振山地、北は玄界灘に挟まれた自然豊かな地域です。この地域は『魏志倭人伝』に出てくる「伊都国」(怡土)であると考えられています。
また地元の大学が学部移転を進めている新キャンパスが周船寺の北にあります。この地域は大学のキャンパス移転に伴って都市開発が進んでいる場所でもあり、人口流入の多い地域の一つです。
周船寺教会は設立当初(1946年)から「地域に仕える」教会を目指してきたと言えます。周船寺教会は草創期に付属の周船寺幼稚園を設立しました。これは周船寺教会を設立した初代……