平松 潔(隠退教師)
24年4月21日逝去、84歳。京都府生まれ。64年同志社大学大学院修了、69年より原市新生、新横浜伝道所、五泉、シロアム、大森めぐみ教会を牧会し、15年隠退。遺族は妻・平松洋子さん。
山根芳枝(隠退教師)
24年4月24日逝去、94歳。島根県生まれ。71年受允、72年受按。71年より京都復興教会を牧会し、00年隠退。遺族は甥・山根康嗣さん。
木ノ脇悦郎(無任所教師)
24年5月4日逝去、82歳。鹿児島県生まれ。68年関西学院大学大学院修了。同年より御影教会を牧会し、福岡女学院短大、関西学院大学、福岡女学院に15年まで務める。遺族は妻・木ノ脇廣子さん。
神山繁實(隠退教師)
24年3月27日逝去、88歳。京都府生まれ。64年東京神学大学大学院修了、同年より沖縄キリスト教団宮古教会(現日本基督教団宮古島伝道所)、読谷教会を牧会し、沖縄キリスト教短大に……
忘れないよう「覚える」
「元気だった?本当によかった。あの時から、こんなにうれしいのは初めてよ」。
5月12日、輪島教会の駐車場にユニットハウスの仮礼拝堂が整えられました。その場において数名ではありましたが集まることのできた教会員が、互いに抱き合い目に涙し、右記の言葉を交わしておられたのが胸に残ります。小さなユニットハウスではありますが輪島の地に礼拝の場が整えられたこと、新藤豪牧師に安全な寝所が与えられたことに感謝したいと思います。
しかしです。能登の地はうめいています。今まで派遣されてきた災害と何かが違う。未だに解体の重機の音一つせず、殆どの場所が手つかずなのです。「ここは冷凍保存されているみたい」、「忘れられてるんだな、と感じる」との言葉は、能登の教会の方々から実際に聞いた言葉です。どの災害も同じではなく個性がある。地域差もある。しかしこの能登の災害は、特に意識して忘れない……
先達と同じように
郡中南教会(代務)牧師 堀川 賢二
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、未だ鉄道・道路が整備されていない四国での宣教の業は、海上交通により、港を起点とされることが多いと言われる。伊予郡内での宣教の働きも例に漏れない。1926年5月1日、当時の日本協同基督教会(現・日本アライアンス教団)のT・R・フランシス宣教師と姉のミス・フランシス、大江邦治、緒方繁造両師による、港近くでの八日間に及ぶ天幕伝道から、教会の歴史は始まった。
集会期間中の5月7日、町内在住の中上悟師によって、郡中南教会が設立された。その後、ようやく1950年8月15日、教会は、信徒から献げられた122坪余りの土地に、念願の会堂・牧師館を建設した。そうして、1985年に、諸事情から現在地を取得し移転するまで、その地での歩みが続いた。
さて、天幕伝道から3年後、隣の港町である現在の伊予郡松前町(ま……
救世軍への弾圧を、憲兵隊長として指揮した、大谷敬二郎氏の随想録、『にくまれ憲兵』(日本週報社)の中に、「あと味の悪かった救世軍弾圧」という文章が収められている。▼英国の諜報活動を排することに躍起になる陸軍からの懇請がある中、容疑不十分との心証を抱きながらも検挙に踏み切り、救世軍の日本的教団化に関わった流れを詳細に記し、それを自らの歩みの、「たった一つの汚点」と振り返る。▼興味深いのは、「ひたかくしにしておいたことがある」と始まる文末の「付記」だ。そこでは、自身が若い頃、縁続きにあった山室軍平宅を訪ねたことがあり、「山室夫人には、何かと家庭の面倒も見てもらったことがあった」ことを記し、弾圧の際の複雑な感情を告白しつつ、そのことが自らの「汚点」を「いくらかでも薄めてくれるだろう」と結んでいる。▼人間の支配が生み出す混沌とした時代を終えた時、その支配の只中にいた人が自らを省みるに至った背後には……
☆教会幼稚園・幼児施設融資金募集☆
幼稚園・ 幼児施設(認定こども園・保育園等)の土地拡張、増改築、新築のため、幼稚園・幼児施設融資金2024年度分を次の要領で募集します。なお、2022年に「融資実施要綱」を改定しました。
◎金額 50万円〜300万円
◎返済期限 5年以内
◎利子 期限内 年 0.5%(1%より変更)
期限後 年 1.0%(2%より変更)
2024年度は総額600万円を貸し出します。教区事務所を通して教団教育委員までお申し込み下さい。締め切りは8月31日です。融資実施要綱、申請書はこちらからダウンロード、または教育委員会まで(電話03-3202-0544)……
【5018号】教区総会報告2024年度 1(1・2面)
【5018号】能登半島地震報告(2面)
【5018号】年金局よりお詫び・訂正(2面)
【5018号】「東北地方地震被災教会支援募金」献金報告(2面)
【5018号】事務局報(3面)
【5018号】青年大会参加者募集中(3面)
【5018号】伝道のともしび(4面)
【5018号】第69回 台湾基督長老教会(PCT)総会(4面)
【5018号】人ひととき(4面)
【5018号】教会の役目は?(4面)……
この時期、教団三役と総幹事が分担して各教区総会に赴き、各教会・伝道所等の様子を見聞きし、伝道の状況を把握することに努めている。
近年、多くの教会・伝道所が教勢および財政力の低下で苦しんでいる。このことは以前からの課題であったが、コロナ禍で一気にその傾向が進んでいる。コロナ禍はだいぶ落ち着いたが、教会ではなかなか礼拝出席者が回復していないとのことを聞く。各教区では、懸命に教会相互の支援や教師謝儀互助等の取り組みを進めている。
そのような中で、ある教区において、以前のような伝道の取り組みができなくなっていることで悩み、あらためて教会は何のために存在するのか、教会の役目は何なのかを深く考えさせられているとのことを聞いた。
その教区総会でもたれた追悼式の司式をした牧師が式辞の中で、今年の1月に天に召された同僚の牧師に、自教会の会堂修繕等の取り組みに一区切りついたことを話したところ、そ……
神さまに示されるままに
奈良高畑教会員
小川富佐子さん
キリスト者であった伯母に誘われ、初めて教会に来たのは19歳。自分を温かく迎えてくれた教会は、小川さんにとって、ほっとすることのできる場所だった。ある日、牧師から声かけがあった。「もう1年以上、教会に通ったから、ぼちぼち洗礼を受けたらどうですか」。当時、何の疑いもなく「そうなんだ」と洗礼の招きに答えた。23歳のイースターのこと。
その後、奈良高畑教会で結婚式をし、3人の息子を授かり、子育てと仕事に追われる日々が始まった。礼拝は月に1回出席するのが精一杯であった。自分が教会に行けない時には、子どもたちだけで教会学校に参加していた。今当時を振り返って、子どもたちが教会の祈りの中で育てられたと実感している。
子どもたちが成人し、子育てに一区切りがついた頃、思い切って転職を決意した。日曜日は休みの職場に入職し、毎週の礼拝に出席す……
宣教の歴史を学ぶ
4月16〜17日、台湾彰化市で開催された第69回台湾基督長老教会(PCT)総会に出席した(総会は18日まで)。コロナ禍後初めて、ミャンマー、日本、アメリカ、韓国、インド、タイ、カナダ、マレーシアなど、海外の教会からの出席者を迎えての総会であった。
16日は開会礼拝の後、来賓の頼清徳新総統の来場を待ち(そのため総会会場には厳しい警護態勢が敷かれていた)、新総統が到着したところで、アメリカ(アメリカ長老教会)、日本(日本基督教団)、韓国(韓国基督長老会)の各教会の代表者3名が挨拶をした。
その後、海外の教会からの出席者は、総会会場として使用された彰化基督教醫院の歴史、および、台湾におけるキリスト教宣教の歴史について学ぶ時間をもった。それぞれ多くの資料や写真等が展示されている記念室において、丁寧な説明を聞いた。
17日は近隣の柳原基督長老教會を訪……
伝道報告 伝道推進室より応援した教会・伝道所
罪の告白と執り成しの祈りから
大島シオン教会牧師
勝山健一郎
1979年、宗教音楽の研究を終えて帰国した松山興志雄牧師は、「この地で伝道しよう」との新たな志をもって、東京の下町である江東区大島一丁目の自宅マンションで開拓伝道を始めました。朝子夫人は、ミッションスクールに勤めつつ、単身ドイツに渡った夫牧師を物心両面で支え、自宅も帰国にあわせて購入しました。
このマンションは広さや交通の利便性もありましたが、選んだ最大の理由は「ジュネシオン」(若きエルサレム)という名前で、キリスト教徒の少ない日本で、聖書に基づいた名前の建物で教会活動がはじめられることに感謝し、教会名を「大島シオン教会」と定めました。1981年ペンテコステ礼拝後に「日本基督教団大島シオン伝道所」として教団に開所届を提出し、教会での礼拝が行われ、伝道が開始されま……