心が癒されるための継続的支援を
8月5〜8日、教団が実施するボランティア(第一次日程)に参加しました。
今回の作業内容は、牧師館の整理と信徒宅での貴重品の探索でした。ここに書けることは限界があります。この報告で端的にお知らせしたいことは「できれば行って、見て、力になってください」ということです。今後、この支援活動が継続し、意義あるものとなっていくことを願って報告します。
現地の状況をざっくり言うと、大きな傷痕を残しつつも、生活に必要な物は整えられてきているという印象でした。地面は亀裂が入り、車で走ると凸凹です。全て補修したのであろう新しい道路、半分になってしまったのを補修した道路、階段のような隆起を埋めた道路を走るだけで、ここまで整えるのにどれだけの労苦があっただろうと思います。
輪島の街は、崩れた家や建物が多く残っていました。電柱や信号機はどれも傾いていますし、朝市は文字通り焼野原です。作業のため、ある家に入らせて頂きましたが、家の中は足の踏み場もなく、一歩進むごとに、茶碗やら、木片やらが靴の下で割れました。それでも、飲食店やコンビニは開店しており、品物も整っていたと思います。そういう意味で、生活面での必要は回復してきているようでした。
しかし、それだけでは、癒やされないものがあります。毎日、あの倒壊した建物と焼野原を目にする辛さを思えば、胸が潰れるようです。限界状況の中で暮らしている人々の心が癒やされるために、慎重で継続的な援助が必要だと思いました。
輪島教会の庭にプランターで花を持って行きました。焼野原のただ中にも誰が植えたのか、赤いバラが花開いていました。そんな活動がわずかずつでも、癒やされるのに役立てばよいと願います。
行かなければ感じることのできないものがあり、祈りに覚えたいことがいくつも与えられました。この支援活動が継続され、参加する人々の手を主が強めてくださり、現地の人々の励みとなるように祈っております。
(森本玄洋報)