残り続ける陰
邑原宗男
この国は自然災害のため、毎年のように大きな被災地がでる。奥羽教区も何回となく被災地となり、教団社会委員会と共に救援を繰り返した。中には救援要請を断念した時もある(阪神大震災の半月前に起こった三陸はるか沖地震、最も大きく被災した教会は八戸柏崎教会、後日建て替えとなった)。
二〇〇三年五月二六日、岩手県内陸地域が大きく被災した。教区常置委員会は「三陸南地震被災教会復興委員会」を設置し、教団社会委員会と相談し協力して救援活動を被害の大きい八教会へ行うこととした。目標総額は、四五〇〇万円。中でも土沢教会は全壊に等しく、新築せざるを得なかった。多くの祈りに支えられて、地震から一年後感謝のうちに献堂した。しかし相次ぐ自然災害のため、募金目標には程遠く、土沢教会のために割り当てた当初予定額も下方修正して二九〇〇万円としたが、一四六〇口、二四四七万円となった。結果として土……
三月十五日に岡田直丈宣教師派遣式が、また、三月十八日に大野高志宣教師派遣式がそれぞれ執り行なわれた。
岡田氏のブリュッセル日本語プロテスタント教会への派遣式は、木下宣世世界宣教協力委員会書記の司式、大宮溥同委員長の説教で早稲田奉仕園を会場として行われた。
岡田氏は十貫坂教会での伝道牧会の後、ドイツ・トリアー大学に留学した。留学中にベルギー・ブリュッセルを訪問した折、ブリュッセル日本語プロテスタント集会に出席したのをきっかけに集会を手伝うこととなった。集会を担当していた牧師が昨年逝去し、集会を教会として発展させて引き継ぐことを神の御旨と信じて決意した。
その後ベルギー福音宣教会(BEM)から日本人伝道のために招きを受け、教団とBEMの協議により、岡田氏は宣教師として派遣されることとなった。教団がベルギーに宣教師を派遣するのは初めてのことであり、BEMとは新しく協力関係を構築することとな……
三月二〇日教団会議室において第八回「新潟県中越地震」被災教会会堂等再建支援委員会が開かれた。
(1)事務局報告
◎クリスマス募金はほぼ終了したと思われる。
◎第34総会期第四回常議員会での決定を受け、「阪神大震災救援募金」を繰り入れた。第一次募金より四、三三一、〇一二円、第三次募金より三、七二九、九八一円。
◎十日町教会牧師館解体、撤去費用一、四二〇、六五〇円を送金した。
◎献金累計額(三月一七日現在)八六、七四五、九一五円。
(2)関東教区報告
◎降雪時期が例年になく早く且つ豪雪となった。新潟地区・群馬地区から雪掘りボランティアを派遣したが、雪捨て場への搬送費用等も相当嵩んでいる。
◎十日町教会牧師館建設は四月二三日教会総会後、着工、夏頃には完成の予定である。教会内献金一、〇〇〇万円を目標にしている。
◎見附教会は新たな土地を取得し、会堂・牧師館を建設するが、八月までに……
東海教区農村伝道専門委員会主催の第四二回「農村伝道協議会」が二月二七日~二八日塩尻市のJAアスティかたおかを会場にして開催された。講師は「遺伝子組み換え情報室」代表、四日市大学講師の河田昌東氏で、「DNA・命・食べ物」と題して講演がなされた。参加者は二三教会五〇名であった。
一九五三年に、ワトソンとクリックが遺伝子の本体DNAの構造を解明してから、この五〇年の間に遺伝子の研究は飛躍的に進み、今では、遺伝子を人間が自由に操作し、人工的な遺伝子組換えさえも可能になった。しかし、そのことが、今、人間と自然にとって、新たな脅威となりかねない時代をもたらしつつある。過去一〇年間に、遺伝子操作による新たな時代を迎え、遺伝子組換え生物を自由に作り、クローン技術の発達によって人間の遺伝子自身を操作することも可能になった。現在、遺伝子操作が最も身近になったものに「遺伝子組換え作物」がある。すでに、世界中で……
教団の学生・青年センターSCF・学生キリスト教友愛会(東京・中野)による青森での「除雪と交流の旅」が二月九日(木)から十三日(月)まで行なわれた。吉岡康子館長・小栗仁志主事と十五名の青年達が、昨年を上回る豪雪被害のなかを生きる奥羽教区北西地区の数教会を訪問、除雪作業と交流の時を持った。
初日には猛吹雪のなか積雪一〇メートルにも届くかと思われる八甲田伝道所を訪問した。あまりの吹雪のすさまじさにたじろぎながらも「皆で待っています」との伝道所の皆さんの招きに励まされつつ何とかたどり着き、今年初めての(豪雪のためそれまで集会が不可能であった)礼拝を感謝のうちに守る事ができた。礼拝の後吹雪にも負けずにさっそく除雪作業開始。さらに二日目午前までかかって、慣れない作業に四苦八苦しつつも雪に埋もれた一階部分の「掘り出し」に成功。一同達成感に満たされて会堂内で一休みしていると「ドドーッ」とのごう音と共に屋……
十五回目を迎える関東教区教会高校生キャンプは四三名の参加者を得て行われた。
昨年から引き続き草津にある元ハンセン病患者の療養施設栗生楽泉園について学んだ。昨年はハンセン病について、また草津でのハンセン病療養に関わったリー女史についての知識を学んだ。今年は、実際に楽泉園に伺い施設内にある聖公会・聖慰主教会の方々との出会いを体験した。
正直なところ、主催する側にも不安がある。どれだけ伝えることができるのだろうかと考えると二の足を踏んでしまう。そんな時、神学生時代に夏期伝道実習の一環で伺った邑久光明園で出会った元ハンセン病患者の方の「私たちが居なくなってしまう前に、子どもたちをこの場へと連れて来て欲しい」という言葉を思い出す。何ができるというのではなく、連れて行くことだけで使命を果たせるのでは、と考えた。
「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々……
▼むかし、お金がなくて買えず悔しい思いをした『原民喜全集』を、つい先日手に入れた。大分汚れてはいるが、嬉しい。大事に、少しずつ読めば、半年は味わえるだろう。▼被爆して死んでいった人々の無念、夭逝した妻への愛を、民喜は、鉄道自殺という悲惨な死を遂げることによって、我が心に〈刺し貫く〉。「死んでいった者への悲しみによって貫かれなければならない」という彼の言葉は、十字架に架けられた方への思いと重なって聞こえた。未熟な求道者とって、それは信仰告白に等しいものだった。▼貧しくて全集が買えなかったからか、長く心に抱き続けるには、あまりにも、激しく熱いからか、意外に短い時間の内に、『夏の花・心願の国』さえ、本棚の後ろに隠れてしまった。▼否。文学を信仰の観点から誉めるのも貶すのも愚かだが、我らの信仰は、「死んでいった者への悲しみによって貫かれ」ているのではない。十字架に架けられた方は、死から甦られた方であ……
『教団新報』今号を四六〇一・〇二合併号とし、四六〇三号は五月二七日発行とします。
総幹事 竹前 昇
コリントの信徒への手紙一 15章1~21節
復活が信仰の中心 青戸宏史
パウロは「…あなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなたがたが受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます」(コリント一15・1~2)と語っています。福音とは何か。喜びの音づれ、人を救う出来事を言います。出来事とは何か。主イエス・キリストの出来事です。パウロは「最も大切なものとしてわたしがあなたがたに伝えたのは」と言い「聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと」(コリント一15・3~4)と主キリストの十字架の死と復活の事実(出来事)を、聖書の言葉の成就、神のなされたこととして語るのです。特……
墓石によって信仰を証しして
木口さんは画家である。画家は時間と空間をキャンバスに描きとめることを生業とする。二〇代のときに画家を目指し、恩師から自分の絵を描くようにと教えられて、以来、ライフワークとして描き続けてきた。特にキリスト者の画家として追い求めきたテーマはキリストの十字架と復活だった。
先頃、木口さんは自分の描いた絵が立体となってゆくのを経験した。自ら描いた絵をもとに自家の墓石を新しく彫り上げた。このために石を伊豆に求め、友人の彫刻家の協力を得た。
墓石には、十字架とそこにのぼりゆく階段が中心に彫り出されている。それは木の十字架が堅固な石の十字架となってゆくこととも重なっていると言う。台座には讃美歌「主よ、みもとに近づかん」の歌詞が刻まれている。ここ数年、描き続けてきた「石上の仮寝」、「小羊の道しるべ」といった復活のテーマを重ねての構想でもあった。
のぼりゆく階段につい……