【4605号】荒野の声

▼農民達が車輪を作るために木を曲げている。二度も蒸して、柔らかく曲げやすくしているのに、自分たちがぐるぐる回るだけで木はいっこうに曲がらない。中心の台に留め木が無いので、彼らは台と一緒に回っていたのだ。トルストイの『洗礼の子』にそんな場面がある。▼どんな時にも動くことのない確固とした足場を持っていないと、他を動かすことは出来ない。力を入れれば入れる程、自分の方が動いてしまう。▼同じ本に、こんな場面もある。女性が熱心に床の拭き掃除をしている。しかし、汚れはひどくなるばかり。見ると、彼女の雑巾は汚れきっている。自分自身が汚れていて、他を清めることなど出来る筈がない。▼ところで、トルストイの論理を逆手に取れば、自分を動かすために取るべき手立ては、絶対に動かないものにどこまでも向かって行くことだろう。実際にそのような人が存在するかも。自分をきれいにするには、どうしたら良いだろう。少しの汚れもない方に、清めていただくしかないのだろう。

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