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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

教団新報:一覧

【4897・98号】人ひととき 阿川小夜子さん くすしき恵み

2019年3月2日
 小夜子さんは、1926年に上海で生まれ、その後、青島に移って生活をしていたときに、母親を病気で亡くしたことから人生が大きく変わった。女学校に行くことが出来なくなり、19歳の時に家族のために萩の夫の所に嫁いで来た。家業の米屋ではオートバイで重い米を配達した。大変きつい仕事だった。  夫が病気を患い長い闘病生活を送ることになり、男の子を一度も抱くことがなかった。どうすることも出来なかったと涙した。水子地蔵に熱心に罪の赦しを祈って来たが、何十年たっても心は暗闇に閉ざされたまま大きな重荷となっていた。  そんな折、キリスト者となった娘からイエス・キリストの福音を聞くようになった。夢の中でイエスさまが現れ、その手には丸々とした男の赤ちゃんが抱かれていて、自分の腕に抱かせてくださった。「その子どもの重みとあどけない顔を一生忘れられない」という。イエスさまが自分の長年の苦しみをわかってくだ……

【4897・98号】厚い交わり

 新しく教団の役についたことを知った北海教区の信徒の方々が「大変ですね」と声をかけてくれる。教団の事情に関心のある方々からは「教団はどうしてごたごたしてるんでしょうかねえ」とも尋ねられる。「北海教区のような教会の交わりが、教団全体としては乏しいのも一因と思いますよ」と答えたが、あまりぴんとこない様子だった。  1月、毎年恒例の北海教区の「年頭修養会」に、子どもたちや教区外からも含め340名余が集まった。北海教区の全礼拝出席者数の約2割にあたる。一泊二日の集会に厳寒の北海道各地から時間とお金をかけて集まり、会場のあちこちで「一年ぶり!」「元気だった?」とあいさつが行き交う。北海教区の七つの地区が持ち回りで実行委員会を担当し、もう数十年になる。  何年か前の年頭修養会で、クイズコーナーの企画があった。北海教区の諸教会にかかわる楽しい質問に、参加者全員が「〇」「×」で答える。最後に「……

【4896号】メッセージ すべての民をわたしの弟子に 久世そらち

2019年2月16日
さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。 そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 《マタイによる福音書 28章16~20節》 すべての民  「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と命じられたとき、弟子たちは戸惑い、むしろ反発すら覚えたことでしょう。  「すべての民」とは「すべての民族」という意味です。復活の主イエス・キリストは、「ユダヤ人だけでなく、他民族つまり異邦人たちのところに行って、彼らをあなたがたと同じ仲間とし……

【4896号】西日本豪雨災害 報告 《広島県呉地区、岡山県西平島地区・真備地区》 豪雨から半年を経て各地区の支援

《呉地区》冬を過ごすため  18年7月の西日本豪雨災害により呉も大きな被害を受けた。5年前の広島の土砂災害で災害支援の働きをした広島宣教協力会広島災害対策室は、呉の諸教会と協力して超教派による「キリスト教会広島災害対策室呉ボランティアセンター」を立ち上げ、災害発生直後より災害支援のボランティア活動を行った。  まず4週間に限り宿泊を伴うボランティア活動を行った。被災地の教会や牧師が支援活動で疲れ果て倒れることがないように予め期限を設けた。呉平安教会も宿泊場所の一つとなった。北海道から九州まで、更に海外からも教派を超えキリスト者・求道者が多数来てボランティアに参加した。被災した教会、教会員、教会員家族や知人、教会の建つ地域の順で要望に応えていくこととした。  呉市内で被害が大きかった地域の一つ天応では、社会福祉協議会と協力しながら、ショベルカーやダンプカーなど重機も投入しての活……

【4896号】2・11メッセージ

 毎年2月11日は国民の祝日に関する法律によって「建国記念の日」とされ「建国を偲び、国を愛する心を養う」と規定されている。紀元前660年2月11日に神話上の人物とされる神武天皇が橿原にて即位したことを以て、従来この日は「紀元節」と呼ばれてきた。天皇制を中心とする統一国家成立の根拠とされるこの建国神話は、かつてのアジア太平洋地域への侵略戦争を正当化することに用いられ、国内へは、天皇を現人神として祭り上げ、国民を皇国臣民とし、その宗教的枠組みたる国家神道への帰依を促すための宮城遥拝を強い、皇国史観の養成と戦争協力のための挙国一致体制をつくりあげる役割を果たしたのであった。  日本基督教団は1967年よりこの日を、「信教の自由を守る日」としている。何故ならば、戦前戦中を通して、天皇制の名のもとに信教の自由が抑圧されてきた歴史があるからである。敵性宗教とみなされてきたキリスト教会は国家の懐柔……

【4896号】▼牧会者とその家族のための相談室委員会▲ 3月より相談受付を開始

 「牧会者とその家族のための相談室」の相談電話が、2019年3月4日(月)に開始されることとなった。この相談電話は、毎週月曜日午前10時から午後4時まで(午後0時から1時は休憩時間)、電話によるカウンセリングの経験を重ねた方々が相談の窓口となる。  1月15、16日、鎌倉黙想の家において、相談員のガイダンスミーティングと委員会を相談電話開始に向けての準備として開催した。  この相談室は、2009年より、『「障がい」を考える小委員会』において、牧会者とその家族の自死や精神的疲労、それに伴う教会の崩壊的状況、その深刻な問題を協議し、設置が検討されてきた。協議の中で、精神的ケアの取り組みが急務であることの重要性が確認され、「牧会者とその家族のための全国交流会」を3回開催し、2018年、ようやく、「牧会者とその家族のための相談室委員会」の設置に至った。  相談室の目的は、牧会学的……

【4896号】教区議長コラム ♦四国教区♦ 黒田 若雄 教会間の協力・伝道のネットワーク

 四国教区では、ここ数年、今後の四国伝道をどう進めていくのかについての協議を行っている。それは、様々な統計的指標が示しているように、人口減少や高齢化率の上昇が他の地域以上に激しい四国で、神がどのような歩みを求めておられるかということを考えることであると思う。その中で、更に課題として受け止めさせられてきたのは、教会間の協力の重要性である。四国教区は、教区互助制度を教区活動の根幹と位置付けてきた。その意味で、教会間の連携を大切にして歩んできている。しかし、この少子高齢化が急激に進む中で、これまでの思いを超える、新しい意識に基づく教会間の協力体制の必要性を思わされている。  四国教区では、いくつかの教会が、互助受給教会との協力の中で、新しい地域への伝道に取り組んでいる。その姿は、互助を受給する教会が単に支援を受けているだけではなく、伝道の重要な拠点として働きを担っていることを明確に示してい……

【4896号】消息

土井龍也氏(無任所教師)  17年12月2日逝去、83歳。広島県生まれ。60年同志社大学大学院卒業。同年より久世教会を牧会し、松山城南高校に務めた。  遺族は息・土井龍一さん。   井柳福次郎氏(隠退教師)  18年11月10日逝去、87歳。静岡県生まれ。63年日本聖書神学校卒業。同年より荒尾、鳥羽、四日市教会を牧会し、02年隠退。  遺族は妻・井柳みどりさん。   笠原芳光氏(無任所教師)  18年11月10日逝去、91歳。54年同志社大学大学院卒業。同年より神戸教会、神戸森伝道所を牧会。  遺族は息・笠原一人さん。   藤原繁子氏(桜本教会主任担任教師)  18年12月6日逝去、84歳。東京都生まれ。69年日本聖書神学校卒業。72年より上大岡、桜本教会を牧会。  遺族は夫・鈴木文治さん。  ……

【4896号】宣教師からの声 沖縄キリスト教学院の創設と二人の宣教師 金 永秀(沖縄キリスト教学院宗教部長)

 1957年、沖縄戦から12年を経て沖縄キリスト教学院(沖縄キリスト教短期大学・沖縄キリスト教学院大学)は、戦争の悲惨さを体験した沖縄キリスト者たちの、平和な島を作る担い手を輩出したいという願いから誕生した。沖縄では琉球大学に次いで2番目に創設された大学である。  いわゆる外国ミッションボードによって建てられた大学ではない。しかし、その創設のために尽力した二人の宣教師なくして、この学院の誕生は難しかったであろう。一人はウオルター ・W・クライダー(Walter W. Krider)宣教師(米国メソジスト教会派遣)、一人は前田伊都子宣教師(米ディサイプルチャーチ派遣)である。初代理事長・学長の仲里朝章牧師が学院の精神的な指導者であったが、クライダー宣教師は財政面を支え、前田宣教師は教務を担当する形で学院は出発することができた。  クライダー宣教師は、1920年ボストン大学神学大学……

【4896号】人ひととき 砂塚 秀子さん 神の御計画の中にいる

 砂塚さんの父上は、97歳で洗礼を受け、地上の人生最後の7年間をキリスト者として娘と共に過ごした。父上が書き溜めたノートを見せてもらった。毎日書き写した聖書の言葉や説教、祈りの言葉が何冊にも亘って記されていた。  その父が召されたのは、砂塚さんが教区の婦人部委員長として最後の務めであった教区報告会を終えた次の日だった。  父が召された翌年のイースターには、秀子さんの中学生の孫が受洗を決心し、4歳の弟も幼児洗礼を受け、そして、長年祈ってきた夫も孫たちと共に受洗した。すべてが神の御計画であると知った出来事だったと言う。  秀子さんがはじめてキリスト教と出会ったのは、高校生まで育った長野・生坂においてだった。生家で一緒に暮らすことになった小学校の先生であった親戚のお姉さんが、近くの寺を借りて教会学校を始めた。松本から訪ねてくる宣教師と一緒にお姉さんが熱心に祈っているのを襖の陰か……
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