第55回西中国教区定期総会が、五月九日~十日、パルメイト出雲を会場に開催された。広島・山口での開催が続く中、十数年ぶりの島根での開催となった。
開会礼拝に続き組織会。正議員一三六名中一一七名の出席で総会成立。常置委員会推薦准議員承認の際、現在の教団執行部の姿勢や教団総会議長名で配布された『二〇〇六年度教区総会への挨拶』の内容に対する強い疑義と抗議の声が議場から上がり、「教団問安使を准議員にせず口頭での挨拶も認めない」との動議が出された。原案のうち教団問安使の准議員承認を他の准議員承認と切り離して扱い、まず動議について採決し少数否決。続いて原案も少数否決となった。この結果、傍聴及び口頭での挨拶の余地は残されたが、教団問安使はその希望を出すことなく会場を後にした。関連事項として、総会直前の常置委員会で採択された「『二〇〇六年度教区総会への挨拶』への抗議」を総会名で採択すべきとの建議案が出され……
第61回奥羽教区定期総会が、五月二三日~二四日、奥羽キリスト教センターにて開催された。開会時、出席正議員は、一一六名中一〇〇名だった。
開会礼拝の後、議事は、冒頭の諸手続きを終えて、二名の教師から提出された按手礼受領願い、二名の補教師試験合格者から提出された准允受領願いをそれぞれ審議、承認し、直ちに式が執行された。
議長報告では、六郷伝道所廃止申請の提出を受けて常置員会で審議のうえ今総会の議案とすることが報告された。三陸南地震の被災教会復興については、05年十月、復興委員会活動を終了したが、度重なる自然災害等により募金は目標額(二九〇〇万円)に届かなかったこと、また被災一教会に借入金返済が残っていることが報告された。「教区内の教会・伝道所の教勢・財政の何れも、もはや限界ではといわれる状況」として、教勢の漸減、また教区財政の節減に努めたこと、各教会負担金の算定方式改定を財務委員会にて検討……
四六〇三号一面、北海教区総会報告中、教団総会議員選挙結果の【教職】、西岡裕(月寒)を、西岡裕芳(月寒)にお詫びして訂正します。
五月二一日〜二二日、第60回/「合同」後37回兵庫教区定期総会が行われた。「痛む“いのち”を共に生きる福音を信じて…」をテーマに、開会礼拝で「震災5年目の宣教にあたっての告白」によって被災教区としてのあり方が確認された。
一日目、総会議長の予備選挙で候補となった上位者三名が、所信表明で辞退を申し出た事で、選挙は長期化した。議事は中断され、常置委員会が急遽開かれたが見解は一致せず、選挙は翌日に持ち越された。翌日、常置委員会から「所信表明で予備選挙結果を覆すことはできない」との見解が示され本選挙が行われた。結果、菅根信彦新議長が選ばれた。「議長を正教師に限らず、補教師や信徒も対象にする事を考える」旨建議案が出され、「正義員に限るのか、準議員も含むのか」等の質疑の後、常置委員会に付託された。副議長には真砂良克氏が選出され、書記は常置委員会付託とされた。
多くの時間を割いて議された「兵庫教区ク……
第81回東海教区総会は、五月二三~二四日、下田のホテル伊豆急を会場に、開会時正議員二〇〇名中一七六名が出席し開催された。
議論は、【議案13】「損失金処理に関する件…石原元会計が横領した六九、三〇五、一三四円を損金として処理する。」に集中した。
第一読会の冒頭、北紀吉議長は、事柄と常置員会等による対応の経緯とを説明し、「教区を揺るがすような不祥事」が起こったことを諸教会に詫びた。また、甲府中央教会から二千万円が献げられ、取り敢えず06・07年度の謝儀互助等、当座の必要がまかなわれたこと、石原元会計より弁済誓約書・計画書が提出されたことが報告された。
議場から相次いで、質問・意見が述べられた。殆どが、会計監査に当たった者、告訴を避けた四役・常議員の対応・責任を追求するものであった。会計処理や弁済計画書の内容を巡っても、長時間の質疑が行われた。
予定時間が尽き採決され、一五五名中一三三……
死の陰の谷を行くときも
東海教区で起こった横領事件を報告しなければならない。兵庫教区総会の報告も不正流用問題に触れている。その他、教会的にはより重要、より深刻な事柄が数々起こっている。事柄には背景もあるし、軽々な論評は避けたいが、教団が「死の陰の谷を行く」ような重大な危機にあることは、誰も否定できないだろう。
現在の立場の故に、「同宗連」の「副議長」も担当しており、他宗教(者)との交流も深い。
四月中旬、その同宗連役員会のメンバーが、浜名湖近くの「方広寺」を訪問されたので、せっかくの機会だから夕食をと、取材の終わる頃に迎えに行った(仏教系二人、新宗教一人)。
食事には少し早く、小堀遠州作庭で有名な龍潭寺に行ったが、山門への道で「ここは庭の手入れが大変だな。一年間に三百万くらいかかるぞー。うちは、何千万だよー」と俗っぽい話。
こんな言葉を交わしながら、本堂に入ったが、仏教系の方は当然と言えば当然だが、仏像の前では無言で合掌(両手ではないが、右手を胸の所に持ってきて黙祷)されたが、その所作が、実に見事。
つまり「庭の手入れに何千万かかる」という俗っぽい話をするが、仏像の前では、その所作が見事に決まる。見るからに修行をキチンと積んだことが分かり、背広姿の普通の人がその所作の時には「僧」と化し、……
ドルカスのお母さんと大家族
使徒言行録9章に「タビタ-訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」-と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた」とある。「やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた」という言葉に、ドルカスの人となりが窺われる。
摩尼昌子さんは、このドルカスの名を冠した乳児院「ドルカスベビーホーム」の施設長として、新生児から二歳児まで二〇数名の子どもたちと生活を共にする。時代は超少子化。しかし乳児院で生活している乳幼児の数は一九六〇年代から変わっていない。乳幼児が施設で生活しなければならない理由は、家族の病気と家庭生活を維持できない事情とに分けられる。不倫や虐待など、その時代にマスコミに取り上げられる問題が、必ずその時代の入所理由となってくるという。最近は、虐待によって障害を持つよ……
今年のはじめ一月十九日の朝八時半頃、大久保教会の牧師館が、隣家から出た出火によって延焼しました。幸い主任牧師川上善子先生と担任教師川上朝恵先生は、近隣の人たちの助けもあって、無事でしたが、お住まいを完全に失うことになりました。
大久保教会は、主日の礼拝だけは、近くの矯風会館を借りていますが、その他の活動は、牧師館である川上先生方のお宅を中心に行ってきました。ですから、今回の被災で、大久保教会は教会の伝道活動の拠点を失った状態になりました。
被災状況を知った東京教区北支区、矯風会をはじめ、婦人会連合関係の方々など、川上先生方と交わりのある諸団体・学校が、いち早く支援の手を差し伸べて下さり、お支え下さっております。
これらの支援活動に加えて、川上善子先生の神学校(東京神学大学)時代の同級生有志で、さらに支援の輪を広げようと、「川上善子先生を支える会」を立ち上げました。この会は、同級生川上……
互いに近づき、神へと近づく
ユージン・ホール
(合同メソジスト教会派遣宣教師)
テサロニケの信徒への手紙一2章8節「わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです」。
◇◇
三年前、妻と私がシアトルから新潟に来た時、私たちはひとつの望みをもっていました。若い人たちにキリスト教を伝えることでした。
新潟市は人口八〇万人以上。十三歳から二二歳の青年はおよそ七万五千人。実際にイエス・キリストの福音の素晴らしさをまだ聞いたことのない、若者たちです。私たちはここでは唯一の日本基督教団の宣教師ですが、神の国のために、自身の賜物を喜んで用いる数人の友がいます。
教会学校のプログラムが継続されている一方で、教会の若者との関わりに身を捧げる宣教や、教会に行って……