青森松原教会は、本年10月に創立124年を迎えます。私が赴任してから3度目の冬を迎え、毎年様々な気づきが与えられています。
1年目に気づかされたことは、教会が地域の方々に知られていないという現実でした。現在地に移転してから約30年。タクシーに乗っても場所がわからない、毎年行なっている行事チラシを配布しても「初めてやるの?」と聞かれる。「まず教会の存在を知っていただかなければならない」との想いを、強く抱かされた初年度でした。
2年目に入り、通りに面した場所へ、夜はLEDライトで光る大きな案内看板を設置し、各案内チラシも配布範囲を拡大、町会の様々なイベントに携わり、教会ホームページを開設、教会フェイスブックも開始しました。
地域との交わりが密になるにつれ、少しずつ地元にも教会の存在が浸透していきました。町会役員やその家族たちが伝道集会等に出席してくださるようになり、町会の回覧板に伝道礼拝のチラシを挟んでくださるようにもなりました。
毎年与えられ始めた受洗者、毎週通う求道者の増加。少しずつ教会に活気が戻ったように感じ始めた2年目の終わり頃に、はたと気づかされたのは、それと反比例するかのように大きな勢いで沈んでいく青森県の現状でした。若者を中心に毎年1万人を超える人々が県外へと流出していきます。
どれだけ伝道に力を入れようとも、それ以上の勢いで街全体が沈んでいく。このままではいけない。青森をどうにかしなければいけない。そのような想いで、青森を愛し、青森を元気にしようという取り組みに関わるようになりました。
街づくりや、地域活性化を中心とした様々なセミナーに参加し、多くの学び仲間が与えられ、その仲間たちが教会の様々なイベントを手伝い、参加してくれるようになりました。そこで与えられたつながりから、八戸市教育委員会主催の中学校全校集会で、青森の活性化についての講演を依頼され、青森市や弘前市でプレゼンの機会を与えられるようにもなりました。
けれども、私はあくまで「教会の牧師」です。何か新しい事業を始める訳でも、社会運動を行う訳でもありません。すべては伝道のための業です。なぜ牧師が、教会が、青森の元気についての夢を語るのか。それは、教会が古来より、「教育」と「文化」の発信地だったからです。教会から学校が生まれ、教会から音楽や美術といった芸術、文化が生まれ、そこに多くの人々が集うことによって新しいものが生まれた。地域のコミュニティの場であり、新しい創造の場、それが教会だと思うのです。
忘れ去られた小さな街、ユダの地ベツレヘム。もっとも卑しい仕事と言われた羊飼い。クリスマスの物語には、もっとも救いを必要とする者の所へ、最初に福音が届けられた出来事が記されています。
進む高齢化。止まらない人口の流出。貧困。人々のあきらめ。青森県や奥羽教区が抱く厳しい現状。しかし、そのような弱さにも目を注いでくださるお方がおられます。その救いの約束が十字架と復活にさやかに示されているのです。その確信を胸に、これからも地域に根差した福音前進のための働きを、続けてまいりたいと思います。