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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【4616号】クリスマスメッセージ

2006年12月16日

ルカによる福音書 1章39~45節

幸いなものたち 広田叔弘

・大変なことを言ってしまった

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』そこで、天使は去って行った。」(1章38節)
にわかに訪れた天来の客人。用を済ませると帰って行きました。マリアの心には昂ぶる気持ちがあったでしょう。天使と対面して神の心を打ち明けられたのです。天使が去った後は、いつもと変わらぬ時間が戻ってきました。
そこでマリアは我に返るように思った。
〝アッ、大変なことを言ってしまった…〟
特別な時間は過ぎました。後に残るものは、神の言葉と信仰の決心のみ。人生全体がかかる重大な決断です。
ほんのわずかな時間で、「お言葉どおり、この身に成りますように。」言ってしまった。
〝これから先、わたしはどうなるのだろう〟
マリアは怖くなりました。
自分で決断をしておきながら、自分の心だけでは受け入れきれなくなってしまったのです。
「マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。」(1章39~40節)
マリアは駆け出して行きます。行く先は一つ。天使がはっきりと言ったのです。「親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。」(1章36節)同様のことが起こっている。マリアはユダの町へと急ぎます。
「マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。』」(1章41~42節)
二人の歳の差は親子以上。エリサベトは、信仰と不安のはざまで恐れおののくマリアを優しく受け入れます。そしてエリサベトは、最後にきっぱりとした調子で告げるのです。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(1章45節)
言葉自体は上品です。しかし、言葉だけのきれいごとを言っているわけではありません。
〝マリア、お前の決断は間違っていないよ。信じたとおりに生きてごらん〟
親類のエリサベトは力強く、これを告げたのです。
エリサベトは祭司ザカリアの妻です。これは意味深いことでしょう。信仰と不安の間で恐れを抱いているマリアです。〝お前の決断は間違っていない〟マリアの信仰に保証を与えます。恐れの中で固くなっている乙女の心を、神さまの許へ橋渡ししてあげたのです。

・信じたとおりに生きてごらん

わたしたちはどうでしょう。不安のない信仰生活はありません。むしろ、神の言葉を真剣に受け止めようとすればするほど、不安やおののきは増し加わるものでしょう。秋に教団総会が行われました。わたしたちの教団の歩みを振り返って、「荒野の四〇年」と語られました。確かにそうだと思います。出エジプトを果たしたイスラエルの民がそうであったように、わたしたちも荒野を旅しました。さまざまな恵みと試練をいただき、過ちと悔い改めを繰り返してここまで来たのだと思います。多くの痛みはあっても、教団の歴史は尊いものです。しかしこれを踏まえてなお、今おかれているわたしたちの現実には厳しいものがあります。それはまるで、体力の弱いものから順番に倒れていくようです。懸命に御言葉を宣べ伝えます。しかしその結果明るい気持ちにはなれません。福音は人の心に届かず、何をどう語ったらよいのか分からなくなるのです。
神の言葉は、平凡な娘に与えられました。彼女は特別な人ではありません。しかし小さなマリアが、全世界の救い主を宿しています。そしてマリアは、自分ひとりの力でキリストの母になったわけではありません。エリサベトの支えが必要でした。信仰と不安の間で苦しむマリアには、支えの言葉が必要だったのです。
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
〝マリア、お前の決断は間違っていない。信じたとおりに生きてごらん〟
わたしたちの行く先には試練があるでしょう。教団全体の歩みを考えても、それぞれの教会の歩みを考えても、急に事柄が好転するとは思えません。地味な努力と忍耐が求められていることは明らかです。しかし、歯を喰いしばって忍苦をしようとするのではありません。わたしたちは主の民です。神さまから祝福されています。欠け多い私たちの只中に救い主キリストは生きておられる。世の多くの人々のために、このわたしたちが、救い主を教会という我が身の中に宿しているのです。ささげる信仰と献身を主が軽んじることはありません。それどころか、わたしたちもまたマリアと共にエリサベトの言葉を聞きます。聞いて良いのです。
〝おっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう〟
エリサベトは聖霊に満たされて言葉を語りました。すなわちエリサベトの言葉は、神さまの御言葉です。主なる神さまが、信仰と不安、そして苦悩を抱くわたしたちの現実を知り、祝福を約束しておられるのです。わたしたちに欠けはあっても、イエスを救い主と信じる信仰に間違いはありません。このお方に命の錨を降ろし、生涯をささげて従う歩みが、祝福されないことなどはないのです。

・保証を与えて下さるのは神さま

エリサベトから御言葉をいただいた後、マリアは賛美の歌をうたい始めます。
「そこでマリアは言った。
『わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。』」(1章46~48節)
不安であった心は、賛美を歌う心に変わりました。小さなマリアが小さいままに、神さまの大きなあふれる愛を歌っています。
クリスマスは、神さまが小さな者たちのために、身を低くされた日です。福音を告げ知らせるために、平凡なわたしたちに恵みが与えられました。世に対して、このわたしたちが、救い主を宿すものになっています。福音を信じる信仰に、間違いはありません。保証を与えてくさるのは神さまです。この道を歩んで行きましょう。繰り返して御言葉を聞きつつ、悔い改めては助け合って、共に前進して行きましょう。
賛美を終えたマリアは、やがて自分の家に帰ります。そこは険しい現実の待つ日常生活の場です。わたしたちも出て行きます。神の言葉と聖霊の祝福をいただいて、社会と隣人の間に出て行く。福音の僕として、慰めと希望をもたらすために出て行くのです。
(下石神井教会牧師)

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