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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4988・89号】記事一覧

2022年12月31日

【4988・89号】第42総会期第3回常議員会(1・2面)
【4988・89号】お知らせ(1面)
【4988・89号】「教団新報」2022年11月12日号掲載記事についてのお詫びと訂正(2面)
【4988・89号】《第42回教団総会》主な総会議事結果(2面)
【4988・89号】▼日本YMCA同盟ウクライナ避難者支援プロジェクト ▼(3面)
【4988・89号】教区議長コラム(3面)
【4988・89号】▼EMS総会報告▲(3面)
【4988・89号】ウクライナ救援募金期間延長のお知らせ(3面)
【4988・89号】出版局 正職員(経験者)募集(3面)
【4988・89号】「兵庫県南部大地震記念の日」追悼礼拝(3面)
【4988・89号】事務局報、お詫び・訂正(3面)
【4988・89号】伝道のともしび -伝道報告-(4面)
【4988・89号】▼WCC第11総会オンライン報告会 ▼(4面)
【4988・89号】人ひととき(4面)
【4988・89号】盲伝70周年記念感謝会に出席して(4面)

 

 11月22日、戸山サンライズ(新宿区)にて開催された、日本盲人キリスト教伝道協議会(議長・田中文宏。略称「盲伝」)の創立70周年記念感謝会に出席した。盲伝は、ヘレン・ケラー氏の日本における視覚障がいのキリスト者に対する祈りと支援によって、1951年に誕生した超教派の伝道団体である。
 私は神学生時代に、盲伝婦人部が創設した「東京サフランホーム」(視覚障がいの女性たちの生活と職業の自立支援施設)で、マッサージ等の往診の際の車での送迎のバイトをした。それがきっかけとなって盲伝の集会に参加し、秋田の教会に赴任してからは東北盲信徒会に所属して、40年を越える交わりをもたせていただいている。
 この度の70周年記念感謝会であらためて思わされたことは、私はこの盲伝における視覚障がいのキリスト者の方たちから、生涯ブレることのない信仰の姿勢を教えられ、牧師として育てていただいているということである。隣人と共に歩むということはたやすいことではない。しかし、ここに本当に隣人と共に歩んでいる信仰者がいるという多くの証しを見させていただいている。
 盲伝においても、高齢化やコロナ禍の中での活動の困難さといった課題はあるが、今この時も、盲伝に連なる一人ひとりの信仰者の力強い歩みがなされていることを覚えていきたい。

(教団総会議長 雲然俊美)

音楽の力で人々を繋ぐ

坂部 宏子さん

 坂部宏子さんは北海道・帯広の出身。得意の音楽を生かし教会と地域とに奉仕する。
 父親は帯広で小学校教員として勤めていたが、オペラ歌手の夢を追い上京。教壇に立ちつつ週末にアマチュア歌手として活躍したが、戦時の栄養失調がたたり声が出なくなる。この父の無念さが坂部さんの音楽の原動力ともなった。
 坂部さんは戦後、高校生の時に地元のメノナイト教会で受洗。その後8人家族のうち5人が同じ教会や日本基督教団で信仰に導かれた。
 関西でキリスト教を学んだ後に全国の教会を巡り、40代で北海道に戻る。幼稚園の教諭、園長も15年間務めた。
 08年、夫婦・娘3人家族の健康のため「気候の温暖な」仙台平野に移住。10年に教団・名取教会に家族で転入会した矢先、東日本大震災に見舞われた。新たな地での信仰の友が津波の犠牲となり、教会は被災した。しかし坂部さんはここでめげない。仙台南部を中心に開始していた歌や趣味のサークルをさらに拡大、10以上のグループを展開する。幼児教育に長く携わったが、高齢者層にこそ学びのニーズがあると読んだ。地元紙の告知欄と口コミを活用し、これまで延べで数百人のメンバーをまとめてきた。
 名取教会のある地区は福島第一原発エリアを含む。避難を余儀なくされた伝道所が二つあり、住民が戻り始めた小高地区で19年秋より自由な歌のサークル「サフラン」を展開。仙台の集会は古参メンバーに託した。コロナ禍の中断の後22年春に再開。会場も地区交流センターから小高伝道所に移した。会堂は複数の地域住民グループの交流の場となっている。
 80歳の記念に賛美の映像投稿も開始。視聴者数は伸びている。音楽の力は信仰の伴侶として人々を繋ぐと信じる。

ユース枠代表議員、スチュワードから報告を聞く

 11月22日、日本基督教団主催でWCC(世界教会協議会)のオンライン報告会が行われた。WCC総会は今年の8月31日から9月8日にかけてドイツのカールスルーエで開催されている。
 西之園路子WCC代表議員はWCC成立の歴史や本総会全体の概略について報告、伊勢希ユース枠代表議員はプレユースでの世界のユースたちとの出会いとその出会いを通し与えられた気づきや恵みについて報告、スチュワードとして参加した内田幸四郎神学生(東京神学大学)は、WCCにおけるスチュワードの働きについて報告した。写真を多用しつつ、それぞれの異なる視点からの臨場感溢れる報告となった。
 WCCスチュワードは、世界中の諸教会から集った18〜30歳のユースで構成されている。彼らはプレ集会に先んじて現地入りし、WCC総会に向けての諸準備を行い、また一ユースとしてプレユース集会に参加。総会が始まると、受付や入口のセキュリティチェック、会場内の誘導、ヘッドホンセットや資料の配付、会場準備等の奉仕に当たる。スチュワードの多忙な働き無しにはこの総会は成り立たない。そしてこのスチュワードの中から将来の世界の教会を担う者たちが誕生する。現在のWCCのリーダーたちの中にもスチュワード経験者は少なくない。
 今回の総会で、日本に一枠与えられているユース枠に教団から代表を派遣できたこと、またスチュワードとして参加するユースが与えられたこと(内田神学生は自ら応募して、スチュワードに採用された)、そしてこのような報告会で二人のユースから報告を聞けたことは、教団にとってもとても喜ばしいことであった。
 WCC総会では青年たちも積極的に発言していた。WCC総会で中央委員に選出された150名の内、青年の占める割合は13%、女性は約4割。それでももっと青年や女性の数を増やして欲しいとの要望が出ていた。

(西之園路子報)

「きらきら・わくわく・のびのび」と

横浜本牧教会牧師・横浜本牧教会附属早苗幼稚園園長
宮川 周子

 横浜本牧教会は、アメリカのメソジスト・プロテスタント教会の信仰を受け継いで創設されました。その歴史は、ミス・ガスリーとミス・ブリテンによる日本伝道から始まります。教育を通して宣教をするために、1880年ブリテン女学校(1886年に横浜英和女学校と改称)が創立されました。その後、同教会からクライン牧師が日本に派遣され、1886年7月11日に「横浜第一美普教会(横浜本牧教会)」が誕生します。最初は12名から始まった教会でしたが、その頃教会を支えたのが、英和女学校校長ミス・ハジスや、英和女学校の人々でした。創立当初から英和女学校と横浜本牧教会は、一つの集団と言えるほどつながりがとても強かったのです。
 1908年横浜英和女学校附属早苗幼稚園は本牧上台に幼稚園を移し、寄付金を託してくださったシールド氏の名前を取り、「シールド早苗幼稚園」と命名されます。これが現早苗幼稚園の始まりでした。しかし1923年に関東大震災が起こり、園児はほとんど行方不明となってしまいました。そして時代は戦時下へ。1945年5月29日の横浜大空襲にて、会堂、牧師館、幼稚園舎、全てが焼失。会員のほとんども戦災を受けますが、礼拝を守るために人々が一丸となって信仰を守ったのです。1950年9月より伊藤与雄牧師の園長兼任により、横浜本牧の地で本格的に幼稚園の業が開始されました。そして1959年「横浜本牧教会」「早苗幼稚園」と教会と幼稚園が改称され、さらに1972年に新園舎が完成し、現在に至ります。

 早苗幼稚園は今年で114周年を迎えました。「きらきら・わくわく・のびのび」と毎日を過ごせるよう、「キリスト教教育」・「遊びを重視した教育」・「共に歩む教育」を三本柱として毎日、保育の業に励んでいます。歴史の中で私たちの生活が変化したように、幼稚園の在り方も変化してきました。2015年から「横浜市施設給付型幼稚園」として、預かり保育を導入しました。また、2017年から近隣施設の児童養護施設「日本水上学園」の児童を受け入れています。約1割の子どもたちが在園しています。様々な背景を持った子どもたちです。少しでも安心できる場所・存在として幼稚園が役立てればと思っています。
 長い歴史を経て今にいたる私たちの幼稚園ですが、多くの課題が山積みです。特に保護者や教職員へのキリスト教伝道が課題です。それぞれキリスト教保育に理解は示しているものの、なかなか教会につながりません。また少子化により、少しずつ園児数も減少しています。しかしながら援助が必要な子どもの割合は増えていくばかりで、難しい経営が続いています。園長を務めて5年となりますが、今も続くコロナ禍によって「今まで通り」の保育がなかなか出来ません。早く全員で楽しい会食の時を持ちたいと祈るばかりです。その中にあっても、神さまが一番良い道を示してくださると信じ、歴史ある幼稚園の伝統を祈りながら守っていきたいと願います。

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