「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。 それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。
「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。
「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。 彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。
見よ、このような日が来る、と主は言われる。
わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
王は治め、栄え
この国に正義と恵みの業を行う。
彼の代にユダは救われ
イスラエルは安らかに住む。
彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。
【5009・10号】第42総会期第8回常議員会(1面)
【5009・10号】お知らせ(1面・2面)
【5009・10号】伝道推進室委員会・宣教委員会(2面)
【5009・10号】教区伝道委員長会議・社会委員会(2面)
【5009・10号】第15回日本基督教団部落解放全国会議in京都(3面)
【5009・10号】教区議長コラム(3面)
【5009・10号】事務局報(3面)
【5009・10号】ガザ紛争被災者救援募金のお願い(3面)
【5009・10号】事務局よりお知らせ(3面)
【5009・10号】伝道報告−伝道のともしび−(4面)
【5009・10号】「隠退教師を支える運動」全教区推進協議会(4面)
【5009・10号】人ひととき(4面)
【5009・10号】葬られた『ぼっち』(4面)
「高校の体育祭は地獄でした」と、ある牧師。「ぼく、『ぼっち』だったんです」と明かす。「でも、お弁当を独りぼっちで食べていても、イエス様はいてくださったんです」。問わず語りのような証しは、使徒信条の「死にて葬られ、陰府にくだり」の告白と共にこぼされた。
独りが好き、ぼっちも平気、という人も少なくないが、皆で共になすべき業の中で、孤立させられるのは辛い。「おひとりさま」と「ぼっち」は違う。私は好んで(休みが限られているので、仕方なくか)「ぼっちライダー」を自認しているが、自己紹介で「アラ還ぼっちライダー」としているSNSのフォロワーは1300人を超えてきた。ネット上には、「ぼっち弁当」を避ける方法などというものも数々紹介されている。
しかし、この世のあらゆる業を終えて主のもとに召されるとき、「共に、一緒に」はない。人はすべて「ぼっち」だ。その時になって初めて「ぼっち」を経験するとしたら、その孤独と不安は、ほぼ絶望に近いのではないだろうか。
「陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます」。そのあなたが「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」と告白する者にとっては、究極の「ぼっち」はすでに葬られた。月曜ぼっちライダーは、秋の心地よい風を切りながら「ぼっち」を味わう。
(教団総会副議長 藤盛勇紀)
主に仕える便利屋として
高知教会員
山中 誌朗さん
高知で生まれ育ち、高知教会の傍にある幼稚園に通った山中誌朗さん。幼稚園の行事で教会を訪れたこともあったが、教会に通うことはなかった。
大学では、家の商売を継ぐことを願った父の勧めで商学部に入った。卒業して広告代理店で働いた後、24歳の頃に父が経営する運送会社で働きはじめ、40歳の頃に後を継いだ。50歳になった頃、石油価格の高騰により業界が厳しくなり、会社を畳むことになる。残務処理に携わる中で債務の返済に追われ、付き合いがあった人々が離れて行く悲哀も経験。同時期に父が闘病の末に召され、相続をめぐる親族とのやり取りも加わり、精神的に疲弊しきってしまう。
この頃、相談していた法律事務所が高知教会の傍にあり、集会案内が目に留まり、45年ぶりに教会の門をたたいた。はじめての礼拝で「いつくしみ深き」が歌われ、「世の友われらを捨て去る時も…」の歌詞に涙が溢れた。以来、礼拝に通い、半年後のイースターに受洗した。その後、牧会委員会、教育委員会で奉仕し、今は長老を担っている。
次の仕事を模索する中で介護士の資格を取り、「便利屋」を始めた。この職の元祖と言われるキリスト者の自伝を読み、その中に記されていた詩編1編が心に響いたという。それまで、仕事の中で傲慢になる時もあったことを悔い、神に仕える思いを持って取り組む姿勢を教えられた。仕事では、高齢の方からの依頼が多いが、最近では話し相手として呼ばれたのではないかと思うケースも増えている。
信仰と共に新たな職を与えられ、主の教えを愛する人の幸いを噛みしめている山中さん。自身の歩みを振り返りつつ、「神の選びを受け入れるところから信仰は始まる。その姿勢は間違っていなかった」と語る。
「運動の輪を広げよう」
隠退教師への感謝とともに
「隠退教師を支える運動」全教区推進協議会が、10月13日に教団会議室において、対面参加22名、ズーム参加5名にて開催された。「運動の輪を広げよう」とのテーマ設定の下で午前10時より午後3時半までの圧縮された中、恵まれた協議会を持てたことを感謝したい。協議会に先立ち礼拝が捧げられ、網中彰子教団総幹事よりマタイによる福音書22章37〜40節のみ言を通して「一方的な神の愛に生かされているからこそ私たちは生きることができる」とのメッセージに与った。協議会に移り、雲然俊美教団総会議長より、協議会あてにメッセージが届けられて励ましを与えられた。その後、山田昌人事務局長の司会の下で、昨年度諸報告、今年度事業計画および、新任推進員のための研修会開催の報告がされた。続いて中川義幸年金局理事長より、教団年金の近況説明として、特に今回は新任推進員のために「年金制度」の基本的な事項について説明を受けた。
午後全体協議に入り、2教区推進員による発題の下で話し合いがなされた。発題要旨は以下のとおりである。教区伝統である「一つなる教会」を大切にし、教区総会において教団問案使、年金局理事と支える運動推進員の挨拶を組み込んで頂く。年2回「100円献金・謝恩日献金」の依頼文を教区書記名で送付。総会報告書に各教会献金状況の報告。未献金教会への献金依頼をする。教団新報「年金特集号」の「謝恩日献金・100円献金」一覧表に加えて、両献金共に未参加の教会・伝道所を加えた一覧表を送付して運動参加を呼び掛ける。与えられた機会を用いて参加を呼びかける等、具体的事例を挙げて話し合われた。この信徒運動が教区、支区等の支えの下で育まれ、全信徒に協力の輪が広がるよう願い、「隠退教師を支える運動 私たちのビジョン」を味わい唱和し、祈りをもって感謝のうちに散会した。
(鈴木秀信報)
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