第3回教師委員会は10月28日、神学校問安のあと、関西学院教会にて開催された。
はじめに報告事項を扱ったが、その中で「神学校日献金」の現在の経過報告がなされた。ここ数年、献金が減少する傾向にあるのに加えて、今年は神学校日が台風であったこともあり、さらに厳しい予想であることが報告された。教団の教師養成にとって大切な献金であるので、引き続き献金が満たされるように祈って待ちたい。
今回、特に重要な審議事項は、「教師継続教育研修会」と「教師検定規則第4条および第5条変更」に関する件であった。
教師の継続教育を求める声が高まる中で「教師継続教育研修会」の積極的な意義と長期継続の必要性を受け止めながらも、来年度はオリンピック開催時の混雑等を予想し、開催を見送ることにした。その間、財政的なことも踏まえ、開催場所についても検討を重ねて行くことを決めた。
「教師検定規則第4……
第14回日本基督教団部落解放全国会議㏌関東教区が10月29〜31日に大宮教会を主会場に行われた。テーマは「SAYAMAからの解放〜さらなる広がりへ〜」。全17教区より150名の出席が与えられた。
狭山事件から56年。石川一雄さんは80歳をすぎた今も無罪を訴えている。部落差別が背景にあるこの事件は、様々な新証拠の開示と科学的な鑑定によって、その無罪はますます明らかとなっている。石川さんご夫妻を迎えてのこの会議は、まずそのことを学び、再審無罪の時が一日も早く訪れることを祈り、闘う時となった。また和田献一部落解放同盟栃木県連合会執行委員長(氏家教会信徒)より部落解放運動の歴史とその表舞台でのマイノリティーについての講演を聞き、国際人権基準の視点を持って様々な人権問題に取り組んでいくことを学んだ。
二日目は部落差別問題と共に様々な人権問題を学び分かち合った。性差別を山下明子世界人……
「えきゅぷろ」をご存知だろうか。正式名はエキュメニカルプロジェクト。超教派の青年たちによる集いである。ある時カトリック教会の青年たちが「自分の教会しか知らないので他教派の青年たちと交わりを持ちたい」と願ったことから始まった。
毎回有志の青年たちが実行委員会を組織し、実にきめ細やかな準備を重ねている。実行委員会代表は仙台北教会会員で大学生の三浦洋人さんである。
三浦さんによると、カトリック教会でプロテスタントについての勉強会が始まると集った青年間で交流が生まれ、宗教改革500周年に向け教派を超えて一緒に何かしようとの機運が高まり2017年に最初の集まりがスタートした。初回は約150名の青年が参加。フェイスブックのページには開始当初の熱い思いが記されている。「クリスチャン人口1%弱のこの国で、『イエス・キリストのもとに一致しよう!』と集まった複数の教派(現時点ではカトリック教……
10月14日、富士見町教会で開催、教師、信徒155人が出席した。
第1部記念礼拝では、石橋秀雄教団総会議長が「伝道の命と力の回復」と題して説教した。「教団の歴史に主が憐れみを注ぎ、導いてくださったことに感謝と共に希望を抱いている。『共に祈ろう、共に伝えよう、共に献げよう』、教団伝道推進基本方針の展開を一つになって進めよう」と力強く結んだ。
礼拝後、開会挨拶で望月克仁全国信徒会会長は「二人が一人の未信者を教会に招こう」と訴えた。
第2部講演・フォーラムでは、大会主題「青年伝道」について増田将平牧師による主旨説明の後、「若者と献げる喜びの礼拝」と題して大嶋重徳KGK総主事が登壇した。「私たちの歴史の中で、伝道はしてきたが、私たちの子どもたちに信仰を繋いでくることを怠ってきたのではないか」と問いかけた。
「学生時代に長老から自分のために祈ってほしいと言われ、祈る……
佐々木 茂氏(鹿島栄光教会主任担任教師)
19年11月6日逝去、82歳。台湾・台南市生まれ。72年日本聖書神学校卒業。同年より酒田、鹿島栄光教会を牧会。
遺族は妻・佐々木容子さん。
尾崎風伍氏(隠退教師)
19年11月4日逝去、89歳。長野県生まれ。86年受允、88年受按。86年より海老名、井草、久我山伝道所(90年教会設立)を牧会し、08年隠退。
遺族は妻・尾崎マリ子さん。
神奈川教区・横須賀基督教社会館理事長 佐藤 千郎
富国強兵を柱に据えた国家が、昭和20年敗戦により崩壊、占領下にあった時、軍都横須賀の文化都市への転換を志した人物が、米海軍横須賀基地司令官デッカー大佐です。キリスト者デッカーは着任直後の1946年、市内にある旧海軍施設を使い、教育、医療、福祉の事業を始めるよう、キリスト教関係者に呼びかけました。「戦争の落とし子」と言われる所以です。
この時、日本基督教団は、学校(現横須賀学院)、衣笠病院、横須賀基督教社会館、3施設の開設に責任を持ち、教団総会議長も含め牧師、信徒らが、それらの運営を担いました。
横須賀基督教社会館は杉浦義人牧師の着任を待って活動を開始、間もなくして地域青年の希望により聖書研究会が開かれ、後に田浦教会に発展します。
1948年2月着任の初代館長エベレット・トムソンは戦前、米国メソジスト教会宣教師とし……
11月2日、東京教区千葉支区主催で、東京基督教大学(TCU)キャンパスツアーが開催された。ツアーの副題として「魅力的な教会となるために」と題され、特に次世代の若い信徒をどのように教会へ繋げていくかを意識する会となった。
この会は、日本基督教団の伝道資金を用いる会で、千葉支区としては伝道資金を用いた3回目の会である。また、TCUは千葉支区内にある福音派の神学校であり、千葉支区の伝道の視点が、他教派との協働という視点を持ち合わせていることを表すものでもあり、そのようなプログラムに伝道資金が用いられる意義は大きいだろう。
参加者総数は、16教会、71人であった。
プログラムはまずTCU教授である岡村直樹氏による「青年へのミニストリーと宣教のビジョン」と題された講演から。日本基督教団の、教区青年担当者会でも講演の経験がある講師である。「若者が、つい心を開きたくなる教会の大……
「生まれてからずっと神様に導かれてきたと気付いたんです」。そう受洗のきっかけを振り返った通り、幼いときからキリスト教が近くにあった。教会幼稚園、教会学校、ミッション系の高校、短大と過ごした。卒業後は教会付属幼稚園の先生に。結婚後退職し、夫の駐在先バンコクへ同行。そこで、以前勤めていた幼稚園を運営する教会の事務員と偶然再会。日本人宣教師の開く集会に誘われて通った。異国の地での生活、特に出産と子育てに孤独を感じたが、集会の人々が支えてくれた。しかし信仰には至らなかった。
帰国後、今度は夫が単身で海外へ。3人の子供を抱え、夫の両親と隣同士の生活に。慣れない環境で家族を守るため、良い母親であろうと目の前の課題を必死にこなした。苦しくても我慢すれば報われる日が来ると信じ、自分の思いに蓋をした。でも誰も認めてくれない。そればかりか乳がんも患った。空しかった。周りへの恨みが募った。誰かに救って……
SNSによって情報を発信し、その影響力の大きい人物を「インフルエンサー」と呼んでいる。最近、新人採用において、SNSのフォロワーが一定数を越えているといった条件を満たしているインフルエンサーのための「インフルエンサー採用枠」を取り入れた企業が増えているとのニュースがあった。
さて、キリスト教史における「福音のインフルエンサー」と言えば、まずパウロではないだろうか。彼は、「この男は疫病のような人間」(使徒24・5)と恐れられるほど福音宣教の感染力…ではなく影響力を持っていたということである。
そのような働きは、16世紀の宗教改革者たちにおいてもそうであったし、明治期に来日した宣教師たちの信仰に立脚した教育、医療、福祉等々の各分野における先駆的な働きにおいてもそうであったと思う。
以前、ある牧師が、「我々牧師は、パウロのように外に出かけて行って福音を宣べ伝え、出会った……
移住地で受け継がれた信仰
ピラポ自由メソジスト教会 パラグアイ
2019年5月に、パラグアイのピラポ移住地のピラポ自由メソジスト教会に赴任しました。2015年に知花スガ子宣教師が神様の導きによってこの教会の信徒と劇的な出会いをし、40年間ほぼ無牧だった教会に常駐の牧師として遣わされました。知花牧師は4年の間に土地を購入して新会堂を建築しました。その後任として着任し、6月23日にパラグアイ各地とブラジルからの参列者35人を与えられて、喜びの献堂式を執り行いました。
ピラポ移住地は、1960年8月2日から入植が始まり、別の移住地から移ってきたJICA職員でキリスト教徒の酒井夫妻が教会を建てて礼拝を始めました。自由メソジスト教団からエンカルナシオン教会に派遣された塚本登牧師が、ピラポ教会で毎月礼拝を献げるようになりました。塚本牧師は長くパラグアイにいて多くの日本人移住者に授洗し、……