壁の穴
中谷郁美
(熊谷教会員)
「神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。なぜなら、『恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。救いの日に、わたしはあなたを助けた』…」(Ⅱコリント6・1〜2)のみ言葉を贈られて、40才台半ばで、静岡教会で伝道師をしていた夫と見合い結婚をした。静岡の2年余りは忙しかったが、楽しかった。二人でいる時は、互いに自分の体を休ませる事で精一杯だった。その後、熊谷教会に招かれ、今、7年目を終わろうとしている。
わたしの愛唱聖句は、「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであった…」(イザヤ53・4)である。4年前、子供の時から患っていた慢性腎炎が悪化して、在宅での透析治療が始まった。1日4回、4~5時間置き、2Lの薬液を腹部のチューブで出し入れする。操作は至って簡単。しかし、体力、気力は確実に落ちた。
そんな私の傍らで牧……
伝道について思う
北 紀吉
「教区コラム」の依頼を受けた。議長に引き続いて副議長に、とのこと。何処やらの教区総会では、「副議長は閑職だから手当ては減らせ」との尊いご意見があったとか。「議長事故あるときには」との規定故、無理からぬことか。今回のご依頼は、副議長には責任が無いので好き勝手に意見が言えるのではとのご意向でもあろう。しかし、「議長を助けて」ともあり、議長の思いを越えて好き勝手、無責任に書くことも出来ない。
東海教区では、十二月の臨時総会で福祉厚生規則の改訂を行った。福祉も厚生も同じような意味合いではとの思いもあるが、なによりも福祉・厚生は、伝道のためとの思いが募っての改訂である。と言うことで「東海教区伝道厚生規則」と表題からして変えた。東海教区の伝道への思いを受け止めていただければ幸いである。
近頃思うことがある。新来者の減少である。私の牧する教会では、昨年は前年より二……
一月二四日~二五日、岡山教会において、第四十二回西日本五教区合同宣教研究協議会が開催された。
東中国教区教師部委員長・延藤好英氏による開会礼拝に続き、九州教区・古澤啓太氏、四国教区・黒田若雄氏、西中国教区・西川晃充氏が各教区報告を行なった。
まず古澤氏は、宣教研究委員会二〇〇四年度の主な取り組みとして、①「九州教区年表(続編)」の作成②「九州教区と沖縄教区との関係史」(仮称)年表作成③奄美宣教史(仮称)作成④「教区通信」保守作業について報告された。
次に黒田氏は、今年度の宣教研究委員会の活動として、①互助の研究②伝道地図の作成③各個教会史に関わる資料収集④教区史年表(一九九八~二〇〇二年)の作成等について報告された。そして西川氏は、①教区宣教基本方針・方策の見直し②教区教職研修会③分区間協力における若干の提言について報告された。
夕食後の発題(一)と協議の時には、東中国教区議長・宇……
一月二一日、第34総会期第一回年金局理事会が開催された。
昨秋の教団総会に常議員会から提案した「教団年金危機打開に関する件」が否決されて初めての理事会であったので、議案否決と今後の取り組みについての感想と意見を、自己紹介とともに全員が発言した。 ▽年金財政が危機的状況にあることは理解できるとしても、その打開の為に、諸教会に献金依頼をするというやり方は安易に過ぎたのではないか。
▽給付カットと掛金アップを並行して実施するなど、大胆な改革をしないと献金に頼るだけではできないのではないか。
▽教団の年金制度はぜひ継続していきたいが、教会を取り巻く環境から考えると、議案の内容がやや大雑把ではなかったか。
▽教区としては年金より教師の謝儀保障に力を注いでいるのが実情である。
▽小規模教会が多い教区なので、財政的に厳しく、負担金減額の方向にある。
▽教団総会での声を謙虚に聞き、次回総会で……
一月三一日、強い寒波襲来の中、関東教区三役の案内で「新潟県中越地震」被災五教会を訪問した。長岡駅に集合、車三台に分乗し、長岡教会から訪問を開始した。一台は十日町教会ボランティアセンターの車で、新井純牧師が一日同行して下さった。参加者は全員太平洋側の居住者。雪国新潟でも豪雪地の雪に驚かされながらの訪問となった。
各教会の牧師・信徒の方々から被害状況を伺うと共に建物を見学し、委員会の果たす役割の重さをひしひしと思わされた。各教会及び付属施設の被害程度は夫々だが、建物の復興のみならず、この困難な時に教会がそれぞれの地域で良き働きをされ、証をされたその灯を消すことのないよう皆で祈り支え合いたいと思った。
十日町教会ボランティアセンターの活動は今なお継続中である。奉仕される方々の健康を心からお祈りし、一日も早い再建・復興を共に成し遂げたいと願うものである。
翌二月一日は、十日町教会で第二回委員……
第34総会期第一回世界宣教協力委員会が、去る二月四日、教団会議室において開催された。今期の委員は大宮溥、上内鏡子、木下宣世、小橋恵子、相良真彦、友川栄、村山盛芳の七名である。
まず委員会の組織がなされ、委員長に大宮溥、書記に木下宣世、実務委員に村山盛芳が選ばれた。
今期の委員の顔ぶれは新しく選ばれた人が多かったので、この委員会の役割や取扱う事項についての説明を受けながら十四項目にわたる報告を主として上田博子担当幹事より聞いた。
新委員の人たちは当委員会が多岐にわたる多くの事柄にたずさわっていることに改めて驚き、責任の重さを感じさせられた様子であった。
昼食後、協議に入り、まずスイス協約委員会の委員に鈴木重正、中道基夫、廣石望の三名を選び、台湾協約委員に大宮溥、村山盛芳、李孟哲の三名を選んだ。
その後、海外に派遣している宣教師の方々の辞任に伴う人事の件や、日本の任地に海外からの宣教……
このたび日・北米宣教協力会が解散することによって第二次大戦後の日本基督教団と北米諸教会との宣教協力の歴史が一つの区切りを迎えることとなった。
第二次大戦中の日本基督教団は国際的に孤立状態であり、政治的弾圧と戦災によって深く傷ついていた。戦後間もなく米国の諸教会は交わりと援助を開始し、一九四七年四月、北米八教派は、合同教会としての日本基督教団と協力する意志を持って「基督教事業連合委員会」 Interboard Com-mittee on Christian Work in Japan(略称IBC)を組織した。会衆派基督教会、ディサイプルス教会、福音改革派教会、福音同胞教会、メソジスト教会、米国長老派教会、アメリカ改革派教会、カナダ合同教会である。
これに対応して日本側では翌年二月に、日本基督教団、日本基督教教育同盟(後にIBC関係学校協議会となる)とIBCとで「内外協力会」Counc……
日・北米宣教協力会(JNAC)の最終総会が一月二四~二五日に米国ケンタッキー州ルイビルの米国長老教会本部で開催された。参加者は、北米各ボードから二名ずつの一二名。日本側は六名。ゲスト四名、通訳三名、スタッフ三名、の計二八名であった。教団/CoCからは山北宣久議長、竹前昇総幹事、久世了CoC議長、上田博子CoC総幹事が出席した。
総会は山北議長の「聖霊による導き」と題する英語による説教と司式、崔正剛在日大韓基督教会(KCCJ)総会長の祝祷による開会礼拝を持って始められた。協議はJNAC元コーディネーターのパット・パターソン氏の「JNACの宣教協力についての歴史的回顧」のレポートの発表から始められた。
パターソン氏は「一九七三年から三二年間JNACは多教派間の宣教協力のモデルであり、KCCJと教団の関係もJNACを通して深められ、また、人権問題、環境問題、沖縄の基地問題、女性の連帯等に取り……
▼地震の被災地を豪雪が襲っている。新聞テレビで見ても、凄まじいばかりだ。▼初任地の教会は大通りに面していた。早朝ブルドーザーが走り、路面が見える程きれいに除雪される。その分、教会の玄関には、時に高さ二mの雪の壁ができる。朝六時頃、かちかちに凍り付いた雪に、スコップ時にはツルハシで向かい合う。九時からの教会学校に間に合わないくらい暇取ることさえあった。大雪が降るたびに、この繰り返し。▼雪について事実ありのまま記したら、大法螺或いは被害妄想と受け止められるだろう。出典不明だがこんな話を聞いた。「立ち小便するなかれ、この下に高田の町あり」。町全体が全く雪に埋もれているという意味だ。▼雪国の子供はそれでも雪が大好き、秋が深まると初雪を待つ毎日。田畑が清々しい雪に覆われると、寒さも忘れて心弾む。大人だって同じだ。今よりずっと雪が多かった江戸時代の『北越雪譜』、舞台は地震被災地域に重なる。豪雪に苦しみ……
マルコによる福音書 八章三一~三八節
手をかけさせない神 古屋博規
イースターを前にしたレントの季節を迎えました。私たちは今、悔い改めと和解とを得て、共に聖餐に与るために、信仰への入門・再入門に備え、全ての者が原点に向き合うように導かれています。古代教会の人々は、四〇日間の修練(レント)の期間に、悔い改め・断食・祈りをもってこの時を迎えたと言われます。
執り成し
「人生は失敗と見ゆる処にて成功する。私が成ろうと熱望したのに成り得なかったそのことが私を慰める」(ロバート・ブラウニング)。この詩は、物事は成功だけでは判断できないことを教えてくれます。愛せる者を愛するということは簡単ですが、愛せない者を愛するという難しさを問われていることにも通じるような気がします。人間の営みの中に起こってくる様々な人間の振る舞いにも、神様は私たちと共にいまし、イエスの執り成される業を通し……