1997年2月に『讃美歌21』を刊行して以来、今年で8年を迎えます。この間、わたしたちの期待を越えて、何十万という多くの方々に受け入れられていることに大きなよろこびと感謝をおぼえます。
1998年5月、『讃美歌21略解』編集にあたって判明した作者生没年他の新しい情報を加え、若干の誤記・誤植を「正誤表」という形で公表いたしましたが、その後、「ガリラヤの風かおる丘で」(57番)の作詞者 別府信男氏より、歌詞間違いのご指摘をいただきました。『讃美歌21』の校正の際には、先生ご本人もわたくしどもも見落としてしまっていた間違いでした。お詫びして次のように訂正させていただきます。「2節(誤)弟子たちに→(正)弟子たちを」。『讃美歌21』本文は2001年12月発行以降の版から訂正させていただいておりますが、それ以前のものについてはお手数ですが、ご訂正の上お用いくださいますようお願いいたします。
また……
心の隙間
塩見 耕一
(北星学園余市高等学校宗教主任)
北星学園余市高校。この何年か「ヤンキー先生」という愛称で義家弘介先生が話題になった学校です。それ以前から高校中退生や不登校経験者などを積極的に受け入れてきた高校です。
転編入制度を設け、こうした生徒たちを日本全国から受け入れ始めたのは今から十八年前でした。このときからこの学校は全国の若者が抱えている問題の噴出する最先端の場となったのです。暴力、いじめ、などはそれ以前からもありました。そうしたことに逃げずに正面から取り組み、生徒たちと一緒に集団の中で問題を解決してきたという自信があったから新しい歩に踏み出したのです。しかし、そこに集まった若者は義家少年をはじめ心に痛みを抱えやり場のないいらだちを抱えた子ども達だったのです。格闘の日々が始まりました。ありったけの知恵と力を出し合って祈りつつ対決する毎日でした。
時代と共に常に……
重い課題はたくさんあるが
吉岡光人
西東京教区の範囲は東京の中野区・杉並区と市部全域です。この辺りはこの四〇年ほどで、急激に住宅地化され人口の増加した地域です。このような地域ですので、三〇年~四〇年程前に開拓伝道を開始した、まだ若い教会が多いのが特徴です。「東京都」にはありますが、西東京教区内の各教会・伝道所の様子は都心にある教会とはかなり違っていると言うことができるでしょう。
一九七〇年代に、当時の東京教区西支区が「教区になろう」と決議してから既に三十年以上が過ぎました。この間にこの地域を取り巻く社会的事情は大きく変化しました。例えば、土地価格が高騰したため、一教会で土地を取得するということはとても難しくなってしまったというようなことや、「世界一大学が集中している地域」ではあるけれども、この時代にあって学生への伝道はとても難しいというようなこともあります。
しかし、教区化……
二月二一日~二二日、教団会議室において第34総会期第一回在日韓国朝鮮人・日韓連帯特別委員会が開催された。今期委員会は教団の緊縮財政で委員数が一一名から削減されて、酒井薫、◎芦澤雅子、尾崎風伍、 ◎土井桂子、米倉美佐男、宮崎達雄、◎吉澤惠次の七名となった。(◎は信徒) 招集者酒井委員による奨励の後自己紹介、委員長に酒井委員、書記に土井委員を選任し、秋葉正二前期委員長の要請陪席を承認して議事を開始した。主な議事と協議・決定事項は次の通り。
⑴「平和聖日献金」を韓国挺身隊問題対策協議会を通じて日本軍「慰安婦」被害者へ捧げる実務が「戦後補償を求める六委員会連絡会」から「戦後補償を求める委員会」そして「教団総幹事一任」となった経緯を聞き、現在総幹事と「課題を継承する連絡会」という 二通りでなされている募金及び送金の一本化の努力を委員長に要請した。
⑵外キ協関連=在日韓国朝鮮人の指紋押捺拒否運……
第一一三回神奈川教区総会が、二月二六日、清水ヶ丘教会を会場に行われた。鳥羽徳子氏の司式により開会礼拝が行われた後、正議員二二五名中、一四七名で総会は成立。
組織会に続き、「補教師の准允執行に関する件」と「正教師の按手礼執行に関する件」が上程された。准允受領志願者一名と、八名の按手礼志願者の所信表明を受け、質疑の後、それぞれの議案は可決。午前中に准允式と按手礼が執行された。
また、新潟県中越地震後初めての教区総会となる今総会では、同地震による「被災教会会堂等再建支援委員会」の小橋孝一委員長、関東教区から村田元副議長、飯塚拓也書記が、被災状況を説明し募金を呼びかけた。昼食前に直ちに議場で募金が集められ、一五万円が献げられた。
今回の総会では、議長、副議長、常置委員選挙が行われたが、岩崎隆議長は三選禁止の条項に該当し議長交替の選挙となるため、大きな動きのある選挙が予想されていた。選挙の結果……
本紙4574号で『信徒の友』創刊四〇周年記念感謝会の報告が掲載された。二回にわたってその四〇年の歩みを概観したい。
特設委員会として定期刊行物研究委員会が発足したのは、第12教団総会期の一九六三年のことであった。当時定期刊行物としては、「基督教新報」「教会婦人」「こころの友」「働く人」「礼拝と音楽」「聖書の世界」「教会青年」等が発刊されていた。これらとの関連を視野に入れながら、信徒雑誌を月刊で刊行する準備が進められた。
これにそって信徒雑誌刊行準備委員会が組織されて、以下の確認がなされた。(1)教団の信徒の連帯性を強める。(2)教会において信徒の信仰生活に役立たせる。(3)「日毎の糧」のように、毎日の信徒の信仰生活を実用的に助ける。(4)宣教基本方策の目指しているところを内容的に推進する。(5)楽しんで読みうるもの。
発足当時の編集委員は、ぜひ信徒に委員長をとの大村勇議長の意向もあり……
二月一七日、第34総会期第一回教育委員会が教団会議室において開催された。今期の委員は岸憲秀(招集者)、池上信也、加藤誠、久世そらち、真壁巌、宮田登喜子、石丸泰樹(CoC関係学校推薦、ただし三月まで)の七名である。
まず委員会の組織がなされ、委員長に岸憲秀、書記に加藤誠が選出された。続いて前委員会からの申し送り事項が確認された。今期は半数以上が新しく選出された委員ということもあり、委員会の活動についての説明を勝山健一郎担当幹事より受けた。教育委員会の活動は実務委員会の要素が強く、その働きは『教師の友』の教会教育プログラム作成、キリスト教教育主事に関する事項、教区担当者会の開催、クリスマス献金依頼など多岐にわたり、各委員が複数の実務を担当する必要があることを確認した。
昼食後協議に入り、実務担当者を選任した。また委員会から関係団体、委員会に派遣される委員を選任した。
次に二〇〇五年三月八……
去る二月二四~二五日、教団会議室にて第34総会期第一回社会委員会を開催した。出席は、招集者・小出望、上地武、小森宏(日本キリスト教社会事業同盟)、難波幸矢、張田眞、村田元、山本光一の七名。担当幹事の今泉幹夫、職員の新名知子である。
招集者の奨励により開会礼拝をもった。第32総会期より慣例となっている。自己紹介の後、委員会組織に入り、委員長に小出委員を、書記に張田委員を互選。諸報告の後、前総会期委員会よりの申し送り事項を確認した。
主な協議事項は下記のごとくである。
▽靖国・天皇制問題小委員会委員長、委員の選任。村田委員を委員長に選任し、委員五名を選考した。委員就任の承諾を得てから氏名を公表したい。
▽委員の担当を決めた。「働く人」編集委員に難波委員、日本キリスト教社会事業同盟理事に張田委員、日本キリスト教保育所同盟理事に上地委員、「社会委員会通信」担当に山本委員が当たる。
▽〇四……
第34総会期第一回伝道委員会が、二月二八日~三月一日に教団で開催された。選出された七名のうち一名の欠席で行われた。まず招集者の北紀吉委員によって開会礼拝が行われた後組織が編成され、委員長に北紀吉委員、書記に白砂誠一委員が選出された。そして前期委員会報告ならびに申し送り事項が確認された。
その後、今期委員会の方針及び計画について協議がされ、前期伝道委員会の申し送り事項に関する事柄の継続を尊重しながらも、同時に今期の委員会による新しい視点を加えて、一年後にまとめることとした。
また、関係委員会の担当者は次の通りとなった。宣教委員会・北紀吉委員長、「信徒の友」「こころの友」編集委員・渡辺和史委員、大見川昭子委員、「働く人」編集委員・白砂誠一委員、農村伝道担当者・辻中明子委員、深澤奨委員、刑務所伝道担当者・渡辺和史委員、土肥聡委員が選ばれた。
尚、開拓伝道協議会担当者は選出しないこととした。……
▼真冬・厳冬とまで評された就職状況に好転の兆しがあるそうだ。しかしそれは大学新卒しかも男子学生の場合。未だ未だ春は遠い。▼D・ウェストレークに『斧』という小説がある。斧・axは、首切り・馘首の意味があるそうで、発想は日本語と同じだ。主人公は、自分と専門が似通っていて再就職のライバルになりそうな失業者を、偽の求人広告で呼び出しては殺していく。最後に、狙いを定めていた技術者を葬り、その後釜を襲う。小説はその過程と心理を克明に描いたもの。▼ウェストレークらしいユーモアむしろドタバタ喜劇を期待して読んだのに、最後までドストエフスキーばりにシリアスなままだった。米国の通俗小説に描かれた光景は、日本では一〇年後二〇年後に現実となる場合が多い。『斧』は九七年の刊、不況がこれ以上長引くようだと。▼牧師の世界では五〇代・六〇代での転任も珍しくない。退職金も貰うことだし、世間の目から見れば、退職であり再就職だ……