復讐の連鎖を断ち切る
――詩編の詩人から広島・長崎へ――
22なぜなら、わたしは貧しく、乏しく、
わたしの心はわたしの内奥で刺し貫かれている。
23影が傾くように、わたしは過ぎ去り、
バッタのように、わたしは振り払われる。
24わたしの両膝は断食のゆえによろめき、
わたしの肉体は脂肪を失くして痩せ衰える。
25わたしは彼らの嘲笑の的になり、
彼らはわたしを見て、その頭を振る。
26わたしを助けてください、ヤハウェ、わたしの神よ、
わたしを救ってください、あなたの慈しみにふさわしく。
(詩編109編22−26節[私訳])
詩編109編は6−19節に呪詛の言葉が連ねられていることから、長らく「呪いの詩編」と呼ばれてきました。そこでは腐敗した権力者たちによって法廷に引き摺り出された詩人が呪詛の咆哮を浴びせられています。
冒頭に引用した22−26節は呪詛……
無力さに打ちひしがれながらも
――しつこく何度でもガザに拘り続ける――
6また、彼はわたしに言った、「成就した。わたしはアルファ[であり]、そしてオメガ[である]。初め[であり]、そして終わり[である]。わたしは渇いている者に生命の水の泉からただで与えよう。
(ヨハネの黙示録21章6節[私訳])
ヨハネの黙示録は世の終わりの出来事を預言する文書として書かれています。しかし、その内容は実際には未来の予知ではなく、紀元1世紀後半のローマ帝国支配下において民衆が飢えと渇きに瀕し、命を落としていた現実を炙り出そうとしているのです。
冒頭に引用した黙示録21章6節は終末の出来事が全て成就した後に、天地の創造(アルファ=初め)から世界の終末(オメガ=終わり)までの全てを司る神が、渇く者をひとりも取り残すことなく、尽きることのない「生命の水の泉」を「ただで」与えてくれるとの約束……
強奪された者たちが叫んでいる
――ガザの人たちの叫び声が届く場所に――
1さあ、だから富める者たちよ、迫り来るあなたたちの悲惨さを前にして泣き叫ぶがよい。2あなたたちの富は腐ってしまい、あなたたちの衣服は虫が喰ってしまっている。3あなたたちの金と銀は錆びており、それらの錆があなたたちに対する証しとなって、火のようにあなたたちの肉を喰らうであろう。あなたたちは終わりの日々にありながら富を蓄えたのである。4見よ、あなたたちの畑を刈り入れた労働者たちの賃金、つまりあなたたちによって強奪された賃金が叫んでいる。そして、収穫した者たちの叫び声が万軍の主の耳に入っている5あなたたちは地上で贅を尽くし、放蕩に耽り、屠りの日にありながらあなたたちの心を太らせたのである。6あなたたちは義人を断罪し、殺害した。彼はあなたたちに敵対していない。
(ヤコブの手紙5章1−6節[私訳])
ヤコブ書5……
荒野から世界を見る
――荒野の洗礼者ヨハネに寄せて――
4洗礼者ヨハネが荒野に起こり、そして〔諸々の〕罪の赦しに至る悔い改めの洗礼を宣べ伝えていた。5すると、彼のもとにユダヤ地方の全域とエルサレムの全住民が出て来て、自分たちの〔諸々の〕罪を告白して、彼〔=ヨハネ〕からヨルダン川のなかで洗礼を受けた。6さて、ヨハネはラクダの毛〔革〕を着て、革のベルトを自分の腰の周りに締め、イナゴと野蜜を食べていた。(マルコ福音書1章4−6節[私訳])
洗礼者ヨハネは自らの教団を設けて荒野で洗礼運動を展開していました。この時代のユダヤ教にはクムラン教団に代表される荒野で修道士のように共同生活する人たちがいました。ヨハネもクムラン教団もユダヤ教の宗派であるエッセネ派の流れに属していたと考えられます。ヨハネが巷間から離れ、荒野に退いたのは、腐敗した祭司や貴族といった支配者の権力に背を向けたからです……
絶望のメシア
――希望と絶望を抱えつつ生きる――
29すると、通りすがりの者たちが頭を振って彼〔=イエス〕を蔑み、そして言った、「おい、神殿をぶっ壊して、三日で建てる〔とほざいた〕野郎、30十字架から降りて、自分で自分を救ってみろ」。31同じように祭司長たちも律法学者たちと一緒になり、嘲って〔仲間内で〕言い合った、「こいつはほかの者らを救ったというのに、自分を救うことはできないのだな。32キリスト〔=メシア〕、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りてみるがよい。〔それを〕見せてくれるなら信じようではないか」。また、彼〔=イエス〕と共に一緒に十字架につけられた者たちも彼を罵った。
(マルコ福音書15章29−32節[私訳])
冒頭の引用はイエスが十字架上で侮蔑される場面です。31節でイエスは「こいつはほかの者らを救ったというのに、自分を救うことはできないのだな」と皮肉たっぷりに言……
飢えている者は幸いか?
――満腹して笑える世界と神の支配(神の国)――
21幸いなるかな、今飢えている者たち。
あなたたちは満腹するようになるのだから。
幸いなるかな、今泣いている者たち。
あなたたちは〔ゲラゲラ〕笑うようになるのだから。
25禍いあれ、あなたたちに。
今満ち足りている者たち。
あなたたちは飢えるようになるのだから。
禍いあれ、今〔ゲラゲラ〕笑っている者たち。
あなたたちは嘆き、泣くようになるのだから。
(ルカ福音書6章21、25節[私訳])
「幸いの言葉」はマタイ版の「山上の説教」(マタイ福音書5−7章)に並行する内容が伝えられていますが(マタイ福音書5章3−12節)、上に引用したルカ版の「平野の説教」(ルカ福音書6章17−49節)にイエスの語った本来の息づかいが残されています。しかし、いくらイエスの言葉だといっても、21節の「飢えて……
アブラハムの子孫として
――ガザとイスラエルの和解を求める――
28ユダヤ人もギリシャ人も存在せず、奴隷も自由人も存在せず、男性と女性は存在しない。なぜなら、あなたたちはみなキリスト・イエスにおいてひとりだからである。29もしあなたたちがキリストのものであるのなら、あなたたちはアブラハムの子孫であり、約束による相続人たちだからである。
(ガラテヤ人の信徒への手紙3章28−29節[私訳])
ガラテヤ書3章28−29節は、民族差別、身分差別、性差別を止揚するキリスト教の平等性の根拠となる聖書テクストとして頻繁に引き合いに出されてきました。しかし、これはあくまでも教会内倫理として、キリスト教徒が教会内においては差別することもされることもないという限定条件つきの平等が語られているにすぎません。しかも、パウロが敢えて差別ゼロ宣言をしていることから、実際には教会内に差別が横行していた……
逃げて、愛しい人
――「逃げて」と言える雅歌の世界線に希望を置く一年を――
13「園に住まう女(ひと)よ、
〔貴女の〕仲間の男たちが貴女の声に注意を向けている、
〔貴女の声を〕俺に聞かせて。」
14「逃げて、愛しい男(ひと)よ、
そしてカモシカや若いシカのようになって、
香料の山々の上で。」
(雅歌8章13−14節[私訳])
雅歌は古代ユダヤの恋愛詩集であり、引用した8章13−14節は雅歌の最後を飾る恋愛詩です。この詩に登場する「園に住まう女」と「愛しい男」は恋人同士なのですが、どうやら敵対する集団に属しているようです。このように解釈すると、13節の「仲間たち」がこの女の属する集団の男たちを指しており、敵対する男を捕まえるために罠を仕掛け、その罠から「愛しい男」を救うために、14節で女が「逃げて」と声を張り上げている意味が理解できるのです。
今回担当者から雅歌8……
クリスマスにガザの平和を願う
――ロバに乗ったメシアによる戦争放棄と平和の宣言――
9大いに喜べ、娘シオンよ、
歓声を上げよ、娘エルサレムよ。
見よ、あなたの王があなたのもとに来る。
彼は義とされ、救われた者である。
貧しく、ロバに乗る者、
雌ロバの子である雄ロバに。
10わたしはエフライムから戦車を、
エルサレムから軍馬を断つ。
戦の弓は断たれ、
彼は諸民族に平和を語る。
彼の支配は海から海にまで、
大河から地の果てにまで及ぶ。
(ゼカリヤ書9章9−10節[私訳])
ヘブライ語聖書(旧約聖書)にはシオニズムを正当化する言葉があり、そのことからユダヤ教の総体が現在のイスラエルを全肯定していると勘違いしてしまう向きがあります。しかし、歴代のラビたちはユダヤ人のディアスポラ(離散状態)ないしガルート(追放状態)を自分たちの罪を償うための宗教的義務と解釈し……
ガザに平和を
33見よ、眠らずにいなさい。あなたたちはその時がいつなのかを知らないからである34それは土地から離れているある人が自分の家を離れるときに、自分の僕たちに権限を与え、ひとりひとりにそれぞれの仕事を与え、門番に目を覚ましているよう命じるようなものである。35だから、目を覚ましていなさい。あなたたちはその家の主人がいつ来るのか、それが夕方か夜中か鶏が鳴く頃か朝かを知らないからである。36家の主人が突然来て、あなたたちが居眠りしているのを見つけることがないように。37あなたたちにわたしが言っていることを、全ての人たちにわたしは言っているのである。目を覚ましていなさい。(マルコ福音書13章33−37節[私訳])
2023年10月17日にパレスティナのガザにあるアハリー・アラブ病院が爆撃されたというニュースが飛び込んできました。親しい人たちがアハリー・アラブ病院を支援す……