飢えている者は幸いか?
――満腹して笑える世界と神の支配(神の国)――
21幸いなるかな、今飢えている者たち。
あなたたちは満腹するようになるのだから。
幸いなるかな、今泣いている者たち。
あなたたちは〔ゲラゲラ〕笑うようになるのだから。
25禍いあれ、あなたたちに。
今満ち足りている者たち。
あなたたちは飢えるようになるのだから。
禍いあれ、今〔ゲラゲラ〕笑っている者たち。
あなたたちは嘆き、泣くようになるのだから。
(ルカ福音書6章21、25節[私訳])
「幸いの言葉」はマタイ版の「山上の説教」(マタイ福音書5−7章)に並行する内容が伝えられていますが(マタイ福音書5章3−12節)、上に引用したルカ版の「平野の説教」(ルカ福音書6章17−49節)にイエスの語った本来の息づかいが残されています。しかし、いくらイエスの言葉だといっても、21節の「飢えて……
アブラハムの子孫として
――ガザとイスラエルの和解を求める――
28ユダヤ人もギリシャ人も存在せず、奴隷も自由人も存在せず、男性と女性は存在しない。なぜなら、あなたたちはみなキリスト・イエスにおいてひとりだからである。29もしあなたたちがキリストのものであるのなら、あなたたちはアブラハムの子孫であり、約束による相続人たちだからである。
(ガラテヤ人の信徒への手紙3章28−29節[私訳])
ガラテヤ書3章28−29節は、民族差別、身分差別、性差別を止揚するキリスト教の平等性の根拠となる聖書テクストとして頻繁に引き合いに出されてきました。しかし、これはあくまでも教会内倫理として、キリスト教徒が教会内においては差別することもされることもないという限定条件つきの平等が語られているにすぎません。しかも、パウロが敢えて差別ゼロ宣言をしていることから、実際には教会内に差別が横行していた……
逃げて、愛しい人
――「逃げて」と言える雅歌の世界線に希望を置く一年を――
13「園に住まう女(ひと)よ、
〔貴女の〕仲間の男たちが貴女の声に注意を向けている、
〔貴女の声を〕俺に聞かせて。」
14「逃げて、愛しい男(ひと)よ、
そしてカモシカや若いシカのようになって、
香料の山々の上で。」
(雅歌8章13−14節[私訳])
雅歌は古代ユダヤの恋愛詩集であり、引用した8章13−14節は雅歌の最後を飾る恋愛詩です。この詩に登場する「園に住まう女」と「愛しい男」は恋人同士なのですが、どうやら敵対する集団に属しているようです。このように解釈すると、13節の「仲間たち」がこの女の属する集団の男たちを指しており、敵対する男を捕まえるために罠を仕掛け、その罠から「愛しい男」を救うために、14節で女が「逃げて」と声を張り上げている意味が理解できるのです。
今回担当者から雅歌8……
クリスマスにガザの平和を願う
――ロバに乗ったメシアによる戦争放棄と平和の宣言――
9大いに喜べ、娘シオンよ、
歓声を上げよ、娘エルサレムよ。
見よ、あなたの王があなたのもとに来る。
彼は義とされ、救われた者である。
貧しく、ロバに乗る者、
雌ロバの子である雄ロバに。
10わたしはエフライムから戦車を、
エルサレムから軍馬を断つ。
戦の弓は断たれ、
彼は諸民族に平和を語る。
彼の支配は海から海にまで、
大河から地の果てにまで及ぶ。
(ゼカリヤ書9章9−10節[私訳])
ヘブライ語聖書(旧約聖書)にはシオニズムを正当化する言葉があり、そのことからユダヤ教の総体が現在のイスラエルを全肯定していると勘違いしてしまう向きがあります。しかし、歴代のラビたちはユダヤ人のディアスポラ(離散状態)ないしガルート(追放状態)を自分たちの罪を償うための宗教的義務と解釈し……
ガザに平和を
33見よ、眠らずにいなさい。あなたたちはその時がいつなのかを知らないからである34それは土地から離れているある人が自分の家を離れるときに、自分の僕たちに権限を与え、ひとりひとりにそれぞれの仕事を与え、門番に目を覚ましているよう命じるようなものである。35だから、目を覚ましていなさい。あなたたちはその家の主人がいつ来るのか、それが夕方か夜中か鶏が鳴く頃か朝かを知らないからである。36家の主人が突然来て、あなたたちが居眠りしているのを見つけることがないように。37あなたたちにわたしが言っていることを、全ての人たちにわたしは言っているのである。目を覚ましていなさい。(マルコ福音書13章33−37節[私訳])
2023年10月17日にパレスティナのガザにあるアハリー・アラブ病院が爆撃されたというニュースが飛び込んできました。親しい人たちがアハリー・アラブ病院を支援す……
時代を変える女性の物語
――詰める女と詰められるイエス――
24さて、彼はそこから立ち上がってティルスの領域へと出かけて行った。そして、彼はある家に入ると、誰にも知られたくないと思った。そして、彼は隠れていることができず、25すぐにある女が彼のことを聞きつけた。彼女の娘が汚れた霊に憑かれており、彼女はやって来て、彼の足もとにひれ伏した。26さて、その女はギリシャ人であり、種族としてはシロ・フェニキア人であった。そして、彼女は彼に自分の娘から悪霊を追い出してくれるよう頼んだ。27すると、彼は彼女に言った、「まずは子どもたちが満腹になるようにさせてくれ。子どもたちのパンを取り上げて、子犬たちに放り投げるのは良くないからだ」。28すると、彼女は答えて、そして彼に言う、「主よ、食卓の下の子犬たちだって子どもたちの〔こぼした〕パンくずは食べるのですよ」。29すると、彼は彼女に言った、「この……
関東大震災の朝鮮人虐殺から100年を覚えて
5さらに、ギレアドはエフライムに通じるヨルダン川の渡し場を占領した。エフライムの逃亡者たちが「渡らせてくれ」と言ってきたとき、ギレアドの男たちが「お前はエフライム人か」と言うと、彼は「違う」と言った。6すると、彼らは彼に「シッボーレト」と言ってみろと言い、彼が「スィッボーレト」と言って正確に発音できないと、彼らは彼を捕らえてヨルダン川の渡し場で虐殺した。こうして、このときエフライムのうちから4万2千人が斃(たお)れた。
(士師記12章5−6節[私訳])
冒頭の引用は2022年9月1日に日本基督教団HPにアップされた金迅野牧師(在日大韓基督教会横須賀教会)のメッセージ「『関所』で新しい『われわれ』を紡ぐ」が用いている聖書箇所の一節です。このメッセージおいて、金牧師は関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒をまいている」といったデマが流れ、戒厳令……
安心して眠れる夜を
――ひとりひとりの生と平和を大切に――
6わたしは横たわって眠り、目を覚ましました。
ヤハウェがわたしを支えてくださるからです。
7わたしは恐れません。
取り囲んでわたしに迫り来る万の民を。
(詩編3編6−7節[私訳])
詩編3編6−7節は身を横たえることすらままならない苦悩の最中で、いつぶりかと思えるように安心して眠り、目が覚めたら朝を迎えていたというただそれだけのことが、いかに幸いであるのかを詠っています。この詩には誰しもが経験する悲嘆や苦悩が詠われており、詩編の詩人も孤独に苛まれて眠れぬ夜を過ごすわたしたちと変わらぬ苦悩を抱えていたことに慰められる思いがします。しかし、日本の侵略戦争を懺悔しつつ、広島、長崎、沖縄にも思いを馳せる暑い夏にこの詩編を読むと、やはり戦時下の状況が浮かんできます。戦争は民族や国などの一定の社会的集団の問題として大局……
友として
――部落解放祈りの日に寄せて――
さて、ペトロは相当の日々をヤッファにある革なめし職人シモンのもとに滞在したのであった。
(使徒言行録9章43節[私訳])
冒頭の引用はペトロがタビタという女性弟子を甦らせた死者蘇生の奇跡物語(使徒言行録9章36−43節)を締め括る描写です。ペトロが奇跡を行った後に向かったのは皮なめし職人シモンの家でした。古代ユダヤ世界では「皮なめし」は動物の死と血に触れることや悪臭を放つことを理由に穢れた職業として差別の対象とされていました。時代や文化は異なりますが、ここには被差別部落の伝統的職業に対する差別と通底する問題があることに気づかされます(栗林輝夫)。ペトロがシモンのもとに滞在した期間を新共同訳聖書や協会共同訳聖書は「しばらくの間」と訳していますが、正確には私訳に示したように「相当の日々」ですので、長期間ペトロがシモンの家で過ごしたこ……
子どもが大切にされる今を
——子どもの日(花の日)に寄せて——
アーメン、わたしはあなたたちに言う、子どもを受け入れるように神の国を受け入れる者でないのならば、そこに入ることは断じてない。
(マルコ福音書10章15節[私訳])
「子どもを受け入れるように」と訳したテクストは、「子どもが〔神の国を〕受け入れるように」と翻訳することも可能であり、それが通常の理解とされています。つまり、子どもが無垢で無力なままで神の国を受け入れる姿が模範として示されているとの解釈です。しかし、この科白(ロギオン)はイエスに触れてもらおうと近づいてきた子どもたちを妨げた弟子たちに向かって、子どもを抱き上げながら発せられたものですので、私訳のように理解するのが至当です(マルコ福音書9章37節参照)。子どもを受け入れるという当たり前に思えることが、実は古代世界では当たり前ではなく、むしろ弟子たちの態度が……