使徒信条はイエスが「処女マリアより生れ〔た〕」(natus ex Maria Virgine)と告白していますが、その基になっているのは福音書のクリスマス物語です。ギリシャ・ローマ世界には英雄が神と人間の女性との間から生まれたとする神話が存在します。最も有名なのは初代ローマ皇帝アウグストゥスですが、そこには処女降誕のモティーフはありません。処女降誕はイエスこそが「救世主」と呼ばれたアウグストゥスを凌ぐ真の「救い主」にほかならないことをヘレニズム・ローマ世界に伝えるために生み出されたのです。しかし、マリアのクリスマスに思いを馳せるとき、聖書が真に伝えているのは、後の教会が強調した「処女性」や「母性」の象徴としてのマリアではなく、「マリア讃歌」(ルカ福音書1章46−55節)においてこの世の価値観の転換を宣言する自由と解放を求めるマリアだと言えるのではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大……
「公同の教会」とは、「普遍的な教会」や「全体教会」を意味し、この世界に無数に存在する現実の個々の教会は時間と空間を超えた同一性を有する普遍的な教会でもあるというキリスト教神学の教理です。この語の初出はアンティオキアの第2代主教イグナティオス(35年頃〜110年頃)であり、彼は「主教が現れるところ、そこに会衆が在らねばならない。それはイエス・キリストが在ますところ、そこに公同の教会が在らねばならないのと同じことである」(『イグナティオス書簡:スミュルナの人々への手紙』8章2節a[私訳])と述べています。この引用の後には、主教が洗礼と愛餐(聖餐)の執行の認可者であり、神の代理人の如く崇めるようにも勧告されており、「公同の教会」の教理は主教の絶対的権威とセットになってもいますので、聖書主義に立つプロテスタントの側から改めて「公同の教会」とは何なのかを再考することが必要かもしれません。なお、……
日本基督教団は10月の第1日曜日を「世界聖餐日・世界宣教の日」に定めています。前者は1930年代にアメリカの長老派教会で始まり、1940年にアメリカ全体に広まったエキュメニカルな運動であり、現在はカトリックとプロテスタント諸教派が相互の違いや多様性を認め合い、分断や対立から一致へと向かう超教派運動として世界中で行われています。後者は戦後に教団が世界聖餐日を採用するに当たり、世界の教会の一致の証として世界宣教のために協力し合うことを目的として定められ、現在は海外で働く宣教師やアジア圏から教団関係学校に留学している学生を覚える日になっています。教団は聖餐理解や宣教理解をめぐって対立や分断が続いていますが、その本来の精神に立ち返り、合同教会として相互の違いや多様性を認め合う世界聖餐日・世界宣教の日が実現するように願っています。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)……
1923年9月1日に発生した関東大震災は10万人を超える死者・行方不明者を出しました。未曾有の災害を覚えると同時に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」といったデマが流され、6千人以上の朝鮮人が日本人によって虐殺されたことを忘れることはできません(http://www.ayc0208.org/2_8/kanto.php)。デマの発生源は特定できませんが、デマの流布に最も力を発揮したのは内務省であり、虐殺を実行した自警団を組織したのは軍と官憲でした。このように朝鮮人虐殺は国家機関の主導によって行われたのですが、政府は民衆や自警団に虐殺の責任を転嫁し、さらに司法省を使って朝鮮人の犯罪が事実でもあるかのように情報を捏造することで、朝鮮人虐殺の国家的関与を隠蔽したのです。聖書は最後の審判で歴史の全てが明らかになると述べていますが、それは問題を歴史の彼方に先送りにするためではなく、今ここで問題を明……
いつの頃からか8月の平和を訴える情景が風物詩にしか感じらない自分がいます。その理由を考えながら、「戦責告白」※を読み返しました。やはりこの告白に色濃く残るナショナリズムやジェンダーの視点の欠如が気になったのですが、戦責告白からは風物詩のような雰囲気を感じることはありませんでした。この告白には日本の侵略戦争を正視し、二度と同じ過ちを繰り返してはならないという本気さが溢れ出ているからです。かの戦争から「侵略」の二文字が消え、平和の名の下に戦争が肯定される矛盾、そしてこの矛盾を見過ごしにしてきた自分の在り方が平和を訴える情景を風物詩に感じさせていたようです。ロシアのウクライナ侵略という現実の直中にあって、戦責告白が見据える平和を渇仰する「明日にむかっての決意」を胸に刻みつつ、8月15日の敗戦記念日を迎えたい。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)
※「戦責告白」とは、……
7月22日はマグダラのマリアの記念日です。近年の研究は彼女が傑出したイエスの弟子であったことを明らかにしています。ローマのヒッポリュトスは復活の最初の証人である彼女に「使徒たちのなかの使徒」という最高の称号を贈っていますが、その一方でペトロを復活の最初の証人とするために、「罪の女」のラベルを貼って彼女を貶めることも繰り返されてきました。東方教会にはマリアを「罪の女」とする意見はありませんので、西方教会が男性の権力を守るためにマリアを貶めてきたのだと考えられます。プロテスタントには基本的に聖人の制度はありませんが、ジェンダーバイアスから自由になる日として、マグダラのマリアの記念日を覚えたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)……
日本基督教団は宗教団体法による宗教団体統制を目論んだ国家の要請に基づき、1941年6月24〜25日に創立しました。それ以前からプロテスタントの諸教派を統合した日本独自の合同教会の誕生をという機運が高まっていたこともあり、宗教団体法を渡りに船とばかりに合同を推し進めたとも言えます。戦時下の教団がかの戦争を是認し、加担していったことを考えると、日本独自の合同教会の誕生をという機運そのものが近代日本のナショナリズムへの同化だったと言えます。2022年5月15日に沖縄の本土復帰50年を迎えました。沖縄の本土復帰を前に、1969年2月25日に沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同が実現しました。しかし、この合同もまた近代日本のナショナリズムに沖縄を再び同化させるものだったとは言えないでしょうか。2022年の教団創立記念日に当たり、沖縄との関係修復を願いつつ、教会の合同とはいったい何なのかを立ち止……
ペンテコステはギリシア語で50を意味する数詞ですが、元来は五旬節(ペンテコステ)と呼ばれるユダヤ教の収穫祭を表します。使徒言行録2章1−42節によれば、五旬節にイエスの弟子たちに聖霊が降り、弟子たちは異言を語り、イエスの死と復活の真意を悟ったペトロが説教をし、三千人が洗礼を受けたと伝えられています。これは神話的に創作された物語ですが、五旬節にイエスの弟子以外の新たな信者が生まれることで教会が誕生したことから、キリスト教ではペンテコステを聖霊降臨祭と呼び、言わば教会の誕生日として祝っています。ペンテコステはクリスマス、イースターと並ぶキリスト教三大祝祭のひとつですので、この機会に覚えてください。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)……
復活祭(イースター)は十字架で処刑されたイエスが死から三日目に復活したことを祝うキリスト教最大の祝祭です。イースターの語源はゲルマン神話の春の女神エオストレ(オスタラ)と説明されることが多いのですが、これは定かではありません。しかし、冬という自然が死を迎えているかのような季節の後に到来する春は、新たな生命の誕生や再生を象徴する季節であり、復活祭(イースター)が春の女神の神話と結び付けられているのは、イエスの復活が長い冬の後に希望として到来する新たな生命や再生をもたらす春の祝祭でもあるからだと言えるのではないでしょうか。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)
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