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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

アブラハムの子孫として

2024年2月1日

アブラハムの子孫として
――ガザとイスラエルの和解を求める――

28ユダヤ人もギリシャ人も存在せず、奴隷も自由人も存在せず、男性と女性は存在しない。なぜなら、あなたたちはみなキリスト・イエスにおいてひとりだからである。29もしあなたたちがキリストのものであるのなら、あなたたちはアブラハムの子孫であり、約束による相続人たちだからである。
(ガラテヤ人の信徒への手紙3章28−29節[私訳])

 ガラテヤ書3章28−29節は、民族差別、身分差別、性差別を止揚するキリスト教の平等性の根拠となる聖書テクストとして頻繁に引き合いに出されてきました。しかし、これはあくまでも教会内倫理として、キリスト教徒が教会内においては差別することもされることもないという限定条件つきの平等が語られているにすぎません。しかも、パウロが敢えて差別ゼロ宣言をしていることから、実際には教会内に差別が横行していたことが想像できるのです。したがって、パウロのこの言葉を手放しで賞賛することはできません。にもかかわらず、担当者が今月の聖書の言葉としてこのテクストを選択したのは、現在のパレスティナ・ガザの惨状を考えるとき、この言葉に一縷の希望があると感じたからにほかなりません。

 ガラテヤ書3章28−29節において、パウロの関心が置かれているのは、29節がアブラハムに言及していることからもうかがわれるように、民族の垣根の問題です。パウロはキリストにおいて民族間の障壁が取り除かれ、「キリストのもの=キリスト教徒」もまたユダヤ人と並んで「アブラハムの子孫」(単数形)となり、「約束による相続人たち」(複数形)になると言っているのです。これはキリスト教徒もユダヤ教徒と並んで、救いに与れるということを述べており、パウロの論理に従えば、ユダヤ教徒もキリスト教徒も「アブラハムの子孫」なのです。そして、この「アブラハムの子孫」というパウロの論理を突き詰めると、それは現代の宗教間対話において展開されている「アブラハムの宗教」に逢着します。すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教は全てアブラハムの信じた同じ神を信仰する宗教だという考えです。

 イスラエルとパレスティナ・ガザの戦争という名の殺戮の連鎖を止めるためには、「アブラハムの子孫」や「約束による相続人たち」という開かれた宗教的言説を通じて、パレスティナ人とイスラエル人の双方が「アブラハムの子孫」として、民族の垣根を超えて、「約束による相続人たち」となって、パレスティナ/イスラエルの地に共存していくしか現実的には道はないように思えるのです。わたしたちキリスト教徒もまた、ユダヤ教徒とイスラム教徒と同じく「アブラハムの子孫」に属しています。「アブラハムの子孫」として、「アブラハムの宗教」に連なる者として、パレスティナ・ガザとイスラエルの和解を求めたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一

 

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