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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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コリントの信徒への手紙一14・26~40

2025年1月28日
兄弟たち、それではどうすればよいだろうか。あなたがたは集まったとき、それぞれ詩編の歌をうたい、教え、啓示を語り、異言を語り、それを解釈するのですが、すべてはあなたがたを造り上げるためにすべきです。異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい。座っている他の人に啓示が与えられたら、先に語りだしていた者は黙りなさい。皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。預言者に働きかける霊は、預言者の意に服するはずです。神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。
聖なる者たちのすべての教会でそうであるように、婦人たちは、教会では黙っていなさい。婦人たちには語ることが許されていません。律法も言っているように、婦人たちは従う者でありなさい。何か知りたいことがあったら、家で自分の夫に聞きなさい。婦人にとって教会の中で発言するのは、恥ずべきことです。それとも、神の言葉はあなたがたから出て来たのでしょうか。あるいは、あなたがたにだけ来たのでしょうか。
自分は預言する者であるとか、霊の人であると思っている者がいれば、わたしがここに書いてきたことは主の命令であると認めなさい。それを認めない者は、その人もまた認められないでしょう。わたしの兄弟たち、こういうわけですから、預言することを熱心に求めなさい。そして、異言を語ることを禁じてはなりません。しかし、すべてを適切に、秩序正しく行いなさい。
2025年1月27日
兄弟たち、物の判断については子供となってはいけません。悪事については幼子となり、物の判断については大人になってください。律法にこう書いてあります。
「『異国の言葉を語る人々によって、
異国の人々の唇で
わたしはこの民に語るが、
それでも、彼らはわたしに耳を傾けないだろう』
と主は言われる。」 このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。教会全体が一緒に集まり、皆が異言を語っているところへ、教会に来て間もない人か信者でない人が入って来たら、あなたがたのことを気が変だとは言わないでしょうか。反対に、皆が預言しているところへ、信者でない人か、教会に来て間もない人が入って来たら、彼は皆から非を悟らされ、皆から罪を指摘され、心の内に隠していたことが明るみに出され、結局、ひれ伏して神を礼拝し、「まことに、神はあなたがたの内におられます」と皆の前で言い表すことになるでしょう。
2025年1月26日
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
2025年1月25日

教師逝去

藤田房二(隠退教師)

 24年11月22日逝去、92歳。栃木県生まれ。57年農村伝道神学校卒業、同年より越生、島村、串木野教会を牧会し、24年隠退。遺族は娘・藤田はつほさん。

大島 力(無任所教師)

 24年12月9日逝去、71歳。東京都生まれ。81年東京神学大学大学院修了、同年より阿佐ヶ谷、石神井教会を牧会し、22年まで青山学院大学に務める。遺族は妻・大島一枝さん。

加藤久雄(隠退教師)

 24年12月22日逝去、99歳。愛知県生まれ。56年東京神学大学大学院修了、同年より熱田教会、田原吉胡伝道所を牧会し、10年隠退。遺族は息・加藤渡さん。


正教師登録

村上有子(2024・11・25受按)

加藤 隆、菅根謙治(2024・12・2受按)


補教師登録

蓮沼 明(2024・12・15受允)


教師異動

富山二番町就(代)渡部信子

神の御前で真実に

雲然俊美

次の言葉は真実です。「私たちは、この方と共に死んだのならこの方と共に生きるようになる。耐え忍ぶならこの方と共に支配するようになる。私たちが否むならこの方も私たちを否まれる。私たちが真実でなくてもこの方は常に真実であられる。この方にはご自身を否むことはできないからである。」(テモテへの手紙二2・11〜13/聖書協会共同訳)

困難を耐え忍ぶ

 主の年2025年の歩みが始まりました。私たちは、日々、能登半島地震等の災害によって労苦を担っている方たちを覚えて祈っております。その生活の再建と地域の復興の道のりが険しいことを思い、その地に住む方たちと、その地に立てられている教会の困難な歩みを覚えて祈っております。

 また、長く続くウクライナやガザ地域等における戦闘の終結を心から願い、その嘆きや苦しみを覚えて、平和の実現を祈っております。

 さらに、私たちは、福音宣教の困難さの中で苦闘している教会を覚えて祈っております。教会の活動の維持はもちろんのこと、その存続の困難さに直面している苦悩を覚えて祈っております。

 そのような中で私たちは、「イエス・キリストを思い起こしなさい」(Ⅱテモテ2・8)とのみ言葉を聞きます。テモテへの手紙を記した伝道者は、「キリスト・イエスにある救いを永遠の栄光と共に得るため」(Ⅱテモテ2・10)、あらゆる困難を耐え忍んでおり、「耐え忍ぶならこの方(イエス・キリスト)と共に支配するようになる」(同2・12)と述べています。これは、今日、様々な困難の中で、うめきつつ耐え忍ぶ日々を過ごしているキリスト者とキリスト教会に向けて語られている言葉です。

キリストは常に真実

 テモテへの手紙二の2章11節から13節に記されているみ言葉は、教会の信仰告白の言葉か、あるいは、賛美歌であったのではないかと言われます。

 賛美歌であったとすれば、この手紙を書いた伝道者は、様々な困難に直面するたびに、何度もこの賛美歌を口ずさんだことと思います。そして、様々な困難によって福音宣教の働きが阻まれたり、一向に実りを見い出すことができない時に、「キリストの真実」に立ち帰り、慰めと力を与えられて立ち上がり、前進したことと思います。

 キリストの真実は、主が私たちの罪の赦しと贖いのために十字架において死なれたお姿にはっきりと示されています。主は、十字架の死において、「ご自分の者たちを愛して、最後まで愛し抜かれ」(ヨハネ13・1)ました。

 私たちの信仰の歩みは、このキリストの真実によって支えられています。私たち自身の能力や努力によって得る確かさによるものではありません。それゆえ、私たちは絶えずキリストの真実の確かさに立ち帰り、支えられて、新たな歩みを踏み出すことが必要です。

 私たちの日々の歩みの課題や、教会活動の維持の困難さの中で、私たちは何よりも、このキリストの真実によって支えられていることを覚えなければなりません。キリストの真実により頼み、応答して、様々な困難な課題に直面しながらも、その現実を直視し、忍耐をもって前に進むのです。

神の御前に真実な教会

 私たちは、自分自身が真実な者でないことを知っています。真実でありたいと願いつつも、そうできないでいるのです。「私は自分の望む善は行わず、望まない悪を行っているのです」(ローマ7・19)との嘆きは私たち自身の嘆きです。ですから、私たちの信仰は、神の御前にあって自分の真実を示すことではありません。キリストの真実により頼み、キリストの真実に応えて歩むということです。

 教会も同じです。私たちは、神の栄光を現わす教会として歩みを続けることを願っています。あるいは、世のための教会として、この世の多くの課題を共に担う歩みを続けることを願っています。しかし、今日、多くの教会が、少人数で教会活動を進めることの困難さに直面しております。牧師招聘を決断できない教勢および財政力の低下に悩んでいます。教会の合併や牧師の兼務体制への移行の検討をしています。そのような中で、今こそ教会は、キリストの真実により頼む信仰に立ち帰ることが必要です。

 昨年末、かつて大変お世話になった牧師が書かれた文章を読む機会がありました。そこに次のように書かれていました。「この教会は…(略)…会員数も決して多くはない。勿論これから量的に大教会になることも望ましいことである。しかしそれよりももっと望ましいことは神の前に真実な教会でありたいということである」(『天童教会百年史』の故櫻井重秀牧師の巻頭言より)。「神の前に真実な教会」であらんとすること、つまり、キリストの真実に支えられ、応えて歩むことこそがキリストの体なる教会の務めであるとのことを教えられた言葉でした。

とりなしの祈り

 教会には多くの欠けや破れがあり、弱さを抱えています。しかし、教会はキリストの真実に支えられ、応えて歩み続けます。教会の務めは、「どんなに小教会であっても、この国の、この社会の良心であらんとすること」(同巻頭言より)です。

日本基督教団においては、各地に立てられている教会の多くが、その地域における唯一の教会です。教団はそのような教会の伝道の灯火を消さないために、伝道のネットワークや宣教協力の働きを進めて行く務めが与えられていることを思います。

 昨年のクリスマスには、徐々にコロナ禍以前の教会活動を再開した教会が多かったのではないかと思います。私が33年兼牧している下浜教会では、コロナ禍以前のように、教会に皆が集まって祝会をもつことはしないで、牧師が会員宅に赴いて、クリスマス家庭礼拝をもちました。そうしたところ、普段教会に来ていない教会員の家族全員が出席し、クリスマスの恵みを喜び祝うことができました。そして、その家庭礼拝において、その地域に住んでいる方たちを覚えて、共にとりなしの祈りをささげることができました。

 アブラハムの切なるとりなしにより、主なる神は、10人の正しい人がいるならその町を滅ぼさないと言われました(創世記18章)。教会は、その立てられている地に住む人々を覚えて、神さまの御前にあってとりなしの祈りをささげる務めを担っています。そのようにして、神の御前に真実なキリスト者、そして、教会として、この年の歩みを進めてまいりたいと思います。
(秋田桜・下浜教会牧師)

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