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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【5028号】人ひととき(4面)

2025年1月25日

聖霊にとらえられて

芳賀よし子さん

 クリスチャンの友人の誘いで、初めて石巻山城町教会の礼拝に出席したのは13歳の頃。その後上京し、お姉さんの誘いで銀座教会の礼拝や祈祷会、讃美歌練習会に出席するようになった。しばらくして、三井勇牧師より受洗を勧められた。神さまのことも信仰もよく分からなかったが、三井牧師は「受洗は卒業ではなく入学ですよ。これからみ言葉を学ぶことですよ」と微笑みながら優しく語りかけてくれた。この言葉に後押しされて、1954年のクリスマスに受洗した。

 その後石巻に戻り、結婚を機に夫も信仰を与えられた。夫は病身で59歳の時に天に召された。24年間の結婚生活のうち23年間は闘病生活だった。夫の介護、子育て、仕事に明け暮れる毎日だったが、不思議と今はそのすべては神さまのご計画であり、神さまのなさることに無駄はないと思える。

 東日本大震災の時には、自宅の1階が浸水し、食料も水もない中4日間一人で救助を待ち続けた。その間、眠れない夜を過ごしながら、神が創造し、支配されるこの世界に起こる苦難に対して「神さまあなたの御心はどこにあるのですか」と問うばかりであった。この時主イエスの憐れみを失いかけていた。しかし、聖霊が芳賀さんの心と耳を開いてくれた。不安の中でみ言葉が次々とささやいた。「主は与え、主は取り去る」、「わたしはあなたを見捨てない」。聖霊の働きを確信できたとき、雲が晴れたように思い煩いから解放された。いかなるときも主は聖霊を通して働いてくださり、共におられる。91歳となった今も、この信仰の確信に生きている。芳賀さんは、「今私には何も悩みがないのよ。信仰が与えられているって本当に素晴らしいね」と語ってくれる。この先も主に委ねて生きていく。

 あれから30年。当時私は大阪・北摂地区にある茨木教会の担任教師2年目。最初の子が生まれてまだ2ヶ月。あの日、突然の強震に見舞われた。

 夜明け前でもあり、瞬間何が起こったのか分からなかった。タンスが倒れるかと思って、片手でタンスを押さえながら、もう片方の手を、隣に寝ていた長女の脇について、揺れが収まるのを待った。階下では、玄関に置いてあった金属バットが大暴れして、もの凄い音を立てていた。大阪で大地震に遭うなど、全く想定外だったので混乱したが、何が起こったのか理解するのに時間はかからなかった。震災を巡る当時の教団の混乱に、若かった私は正直、絶望しかけた。

 それから16年。東日本大震災の時は、教団の総務幹事。震災初期に仙台に入ってから、岩手から千葉までほとんどの被災地を訪ねたが、阪神・淡路大震災と全く違ったのは、被災地の途轍もない広さと、初めて経験するレベルの原発事故。最終的な処理のゴールも見えない。

 そして能登半島地震から1年。心身と生活の傷の癒えないまま、未だ復興の道筋さえ見えてこない。

 多くの人々が途方に暮れる思いで、何とか日常生活を建て上げている。そこに、途方に暮れても失望させない神の憐れみが現されることを信じる。(教団総会副議長 藤盛勇紀)

伝道推進室より応援した教会・伝道所

不思議な形で働く神様

黒石教会牧師 伊丹 秀子

 黒石の町に最初に福音を伝えてくれたのは東奥義塾の学生たちでした。時は1878年。津軽藩の藩校だった東奥義塾で「新しい教え・キリストの福音」を聞いて信じた若き学生たちが驚きと共に黒石の町での伝道を開始したのでした。

 しかし52年の間、黒石の町には「教会」が与えられませんでした。義塾の学生と共に弘前教会の牧師たちが熱心に伝道をしてくださり、町の歴史にさえ「公会堂でヤソの集会が行われ二百名もが集まった」と記録されたにもかかわらず、長い間、黒石の町には教会が与えられませんでした。

 1930年。佐藤又男さんという一人のクリスチャンが「わぁが本家から分けてもらった土地を献げるハンで、ここサ教会を建てケ」と申し出てくださり、大工の相澤さんという方が弘前教会をモデルに最初の小さな教会を建ててくださいました。

 しかし最初の会堂・大工町会堂が建った後、佐藤又男さんの御一家が次々と結核で天に召されてしまいました。また大工の相澤さんも戦争に駆り出され天に召されてしまいました。

 戦争中、大工町会堂では日曜夜に外に灯りがもれないように黒布で窓を覆って礼拝が守られ続けました。この時、黒石教会の礼拝を助け導いてくださったのが聖愛中学高等学校の聖書教師・高島清子先生。ごく少数の参加者でしたが、戦争中も黒石教会は礼拝を守り続けました。

 戦後、世の中にキリスト教ブームが起こった時、黒石教会でも「牧師招聘」の祈りが始まりました。経済的な問題からそれは困難な課題でしたが、それでも太田実先生や金井輝夫先生が黒石教会に定住してくださった短い期間、教会は地域の若い方々で賑わいました。

 そして塚原啓一先生が赴任。お連れ合いが絵を教えるという形で生活を支え伝道してくださいました。次の菅原祐治先生の時代には多くの熱心な方々が教会に集い、少しばかりの混乱さえ起こるほどでした。

 この混乱を治めてくださったのが日野長臣先生。お連れ合いがピアノを教えて家族の生活を支え、御夫婦で伝道してくださいました。日野先生の次に来てくださったのが真壁巌先生。近隣の浪岡伝道所と八甲田伝道所の兼牧をし、更に東奥義塾で教えながら伝道してくださいました。真壁先生が御病気で休職せざるをえなくなった時には、地域の教会の牧師たちが説教応援に来てくださり感謝でした。

 1999年12月には塚原先生時代からの祈りだった会堂の移転新築が実現しました。感謝でした。会堂建築の翌年から毎年「年に一度のニュースレター」を多くの方に送ることができ感謝しています。

 黒石教会は会員数が少なく常に経済的な弱さを抱えていました。しかし神様は不思議な形で働いてくださいます。10月半ばから突然、海外から黒石に働きに来ている方々が礼拝に集ってくださるようになり、本当に励まされています。主が常に共にいてくださることを感謝です。

愛を追い求めなさい。霊的な賜物、特に預言するための賜物を熱心に求めなさい。異言を語る者は、人に向かってではなく、神に向かって語っています。それはだれにも分かりません。彼は霊によって神秘を語っているのです。しかし、預言する者は、人に向かって語っているので、人を造り上げ、励まし、慰めます。異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げます。あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。
だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。笛であれ竪琴であれ、命のない楽器も、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうして分かるでしょう。ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか。同じように、あなたがたも異言で語って、明確な言葉を口にしなければ、何を話しているか、どうして分かってもらえましょう。空に向かって語ることになるからです。世にはいろいろな種類の言葉があり、どれ一つ意味を持たないものはありません。だから、もしその言葉の意味が分からないとなれば、話し手にとってわたしは外国人であり、わたしにとってその話し手も外国人であることになります。あなたがたの場合も同じで、霊的な賜物を熱心に求めているのですから、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい。だから、異言を語る者は、それを解釈できるように祈りなさい。わたしが異言で祈る場合、それはわたしの霊が祈っているのですが、理性は実を結びません。では、どうしたらよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊で賛美し、理性でも賛美することにしましょう。さもなければ、仮にあなたが霊で賛美の祈りを唱えても、教会に来て間もない人は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。わたしは、あなたがたのだれよりも多くの異言を語れることを、神に感謝します。しかし、わたしは他の人たちをも教えるために、教会では異言で一万の言葉を語るより、理性によって五つの言葉を語る方をとります。

みんなのトイトイ子ども食堂 《千葉県》

ゆったり無理せず、息ながく

 日頃のご支援ありがとうございます。千葉県市原市辰巳台の京葉中部教会の礼拝堂やキッチンを使って「みんなのトイトイ食堂」の活動を始めて早8年になります。ほんの少しでも孤食になる子の息抜きの場になればと始めた輪が広がって、現在は、毎月第1土曜日と第3土曜日に教会のキッチンで調理し、多目的室、椅子をどけた礼拝堂で、賑やかに遊びや会食を楽しんでいます。会食は大体毎回80食。また担当の方が準備してくださる遊びのグッズは次々工夫され、その道具で遊ぶ子どもたちの反応とエネルギーは私たちにとっても大きな喜びです。

 また予約制ですが月1回のフードパントリーでお米(5キロ)や野菜などを提供する活動も続けています。現在は約50世帯の方が申し込んでいます。活動に共感した方から食材やご寄付を頂くこともあり感謝しつつ、使わせていただいています。私たちは小さな団体ですが、調理、配膳、遊び、パントリーとそれぞれの担当者が責任をもって手早く対応してくださるのも感謝です。

 様々な困難をかかえた毎日の暮らしがしんどい方にとって、また一人ぼっちで日々過ごしている方にとって、そこに行けば笑顔があり、対話があり、子どもの歓声があるという「場」があることの大切さを痛感します。すっかりなじんだ子どもたちが、手続きするお母さんの手を振り切ってさっさと遊びのコーナーに行く姿を見ると「やった!」と、ついニンマリします。

 最近は、大学生や支援学校の生徒さんのボランティアも加わり、子どもたちは年齢の近いお兄さんやお姉さんが遊んでくれるので大喜び(う〜ん、若さには叶わないな、とおばさんのひとり言)。12月はクリスマスということでケーキを奮発!メニューもちょっと豪華!

 試行錯誤は続きますが、ゆったり無理せず今後も継続すること、「支援」ではなく「共に」過ごす時間を大事にすることを目標として、スタッフ一同これからも頑張ります。(山本友子報/みんなのトイトイ食堂代表・京葉中部教会員)


 香櫨園教会のつどい場「地域サロンオアシス」 《兵庫県》

神の代理人としての奉仕

 香櫨園教会は2022年10月から地域に会堂を開放して「地域サロンオアシス」と名付けたつどい場の活動を行っています。この活動は、この地域に、行き場のない子ども、高齢者、障がいを持つ孤独な人が多いことから、「さみしい思いや辛い思いをしている方の居場所を教会の中に作ろう」、「人と人をつなげ、一人ではないと実感できる場所を目指そう」との教会員の願いと祈りによって始まりました。そして、毎月第4土曜日の午後の2時間、参加費100円、30〜40名の規模で開催されています。

 2時間の活動の内容は、毎月趣向を凝らしたメニューを提供して、それに参加してもらう「チャレンジコーナー」が中心です。これまでに、「スマホ教室」、「ボッチャ」、「ノルディック・ウォーキング」など数々の企画をして楽しんでいただきました。その他にも、同じテーブルに座った者同士で交流する「お茶会」や、その季節の歌を歌い、手話も楽しむ「みんなで歌おう」などのコーナーもあります。

 これまでの参加者の中には、「身近な人を亡くした」、「病気と闘っている」など一人暮らしの孤独な方々が多くいました。それでも初めて知り合った参加者の間では、自分の生き方、趣味、その他さまざまなことについて、心を開いて話し合う中で、すぐに打ち解けて人間関係が作られていくようでした。

 教会員のさまざまな賜物によって開始されたつどい場でした。しかし、今では一般参加者、地域の大学生、社会福祉協議会のスタッフなど、さまざまな方々の賜物が生かされる素敵なつどい場に成長しました。

 これからも、私たちはこの活動を通して「地域に関心を向けて、共に生きる人々に愛を示す」キリスト者の役割を果たしていこうと思っています。また、賜物を生かして、神の代理人としての奉仕を重ねていきたいと願います。その理由は、各地域に建つ教会は、神の愛の対象であり、神の代理人だからです。さらに、地域の多くの方々の賜物が用いられることによって、この地域に「愛し合う世界」が現れていくことを祈ります。(宮本幸男報/「地域サロンオアシス」代表・香櫨園教会牧師)

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