高知教会では、毎年最初の祈祷会を「新年祈祷会」として、役員が奨励を担当している。
今年担当した役員は、都合で出席できなかったので私が代読をした。その中で、改めて、礼拝の持つ意味、自分にとって洗礼や聖餐とは何かについて研鑽していきたいと書かれ、最後こういう言葉で閉じられていた。「特に今年は、復活について深く学ぼうと思っている」と。
この言葉を読み、とても考えさせられた。信徒の方々が、今何を求めているのか、その一端を知らされたように思う。今年の高知教会の修養会は、信徒の準備委員の意見で、「信仰義認」について学ぶことになっている。また、昨秋の四国教区全体修養会の主題も「死について」であった。これも、信徒の準備委員の意見であったと聞く。
このようなことを通し、信徒の方々が、信仰の内容について、深く受け止めたいという思いがあると感じさせられている。勿論、それは、教科書的ではなく、聖書が示す真理を自分に深く関わることとして、生き生きと受け止めたいということだと思う。その求めに、自分がどう歩むかと問われる思いがする。信徒の方々が求めている信仰の深い問いを受け止め、聖書に聞いて示される真理を共に分かち合う。そのためにも、信徒の方々と御言葉に深く聞いていきたい、それが、私の新年の祈りとなった。(教団総会書記 黒田若雄)
分かち合い、助け合い、共に生きる1年のために
1月13日に信濃町教会を会場に新年礼拝を以下のタイムスケジュールで行いました。11時より礼拝。12時より共に昼食、発題・応答、話し合いとまとめ。
2024年度活動方針の一つである、「地域ごとの教会間の交流・協力」に重点をおき企画し、ゲストに小林よう子奥羽教区議長をお招きし挨拶と応答をいただきました。
礼拝では本郷中央教会の米山結実牧師にエステル記とヘブライ人への手紙より「伴走者イエス」との説教をしていただきました。困難にあっても主イエスが伴走者としていてくださること、教会もまた主イエスが共に走ってくださっていることを力強く語ってくださいました。讃美3曲のうち2曲は、弓町本郷教会の二俣泉さん作詞作曲の讃美歌を用いました。
「発題と応答」では、石神井教会の村上実基牧師から「支区は教会たりうるか?」との発題をしていただきました。九州教区・神奈川教区での経験を通して牧師会でお互いの教会の情報が密に行われていることや、地区の教会から自分の教会を考えることをお話しくださいました。小林議長からは、「奥羽教区は小さい教会が多いが、それでも頑張りたい。教区の教会性を大切にしていて教派性よりも地域性が先立っている」とのこと。
昼食時には池袋西教会と信濃町教会の信徒3名による三重奏があり、にじのいえ信愛荘のためのバザーもあり、くつろいだ雰囲気の中で分かち合いの時を持ちました。
参加者は支区内17教会から約80名でした。参加者からは楽しかったとの感想がありましたが、北支区には48の教会があり「みんなで礼拝」を捧げることができたか課題です。教会員の高齢化が進み苦闘している状況だからこそ、主イエスが共に走ってくださっているのだから信条の違いを越えて共に生きよ、と語られる神様のみ声を聞いたように思います。(高橋真軌報)
伝道推進室より応援した教会・伝道所
この地にある教会としての歩み
大台めぐみ教会牧師 吉川 進
三重県の伊勢神宮の脇から海に出る宮川は、奈良、和歌山との県境にまたがる大台ヶ原山を源流とする清流です。
大杉谷と呼ばれる渓谷を20キロほど下った荻原村に明治中期に生まれた少年が、病弱の幼年期を越えて伊勢の県立中学校に進み、山田教会でキリストの福音に触れたのが、1900年。病弱の少年は同志社神学校に進み、設立間もない京都同胞キリスト教会に所属する神学生からやがて同胞キリスト教団の指導者となる。これが、のちに日本基督教団成立後から、大戦後も長く京都教区長を務めた安田忠吉牧師。病気で何度も死線をさまよい、その都度命を与えられた安田師は、神の恩寵を熱く説く説教者・伝道者とされ、優れた指導力で教派を育てた。
1946年安田師は、ホーリネス迫害の時に廃止された尾鷲教会を再興するよう、小出忍牧師に促した。自らの生地にもキリストの光を、と同年9月から荻原中学校の校舎を借り、小出師が尾鷲から月1回の出張で礼拝を開始させた。その後、メソジスト教会の牧師であった鈴木義徳牧師に開拓伝道を託した。翌47年1月に村から土地と建物の払下げを受け、保育園も村の教育の象徴となった。こうして、1947年7月24日に荻原教会(二種教会)が設立された。
さらに1951年4月、同じ郡内で、居住者の多い三瀬谷駅近くに三瀬谷伝道所を設立し、54年から三瀬谷で朝礼拝、荻原で夕礼拝の構成で鈴木師が主任教師を併任する体制とし、外部から牧師たちを講師に呼びながら特別伝道礼拝を頻繁に行った。
三瀬谷伝道所は、56年に三瀬谷教会として新たに教師を招聘し、その後5名の教師によって牧会されたのち、1980年に荻原教会を吸収し、鈴木師を主任教師として大台めぐみ教会に合同した。64年から始めた紀勢線沿線の紀伊長島、尾鷲両教会とのブロック伝道は、毎年行う研修会となり、のちに年1回の合同礼拝として、現在も続けられ、教会相互の励みとなっている。
88年に鈴木師が引退し、5名の教師方が継承後、2010年に紀伊長島出身の町田久子牧師が地域での人脈を通じて教会につながる講演会などを工夫した。2015年から吉川が牧会を引き継いで、音楽会、落語会などを通して教会に人が出入りする工夫をして現在に至る。
荻原、三瀬谷の両教会が、草創期から保育園の事業で地区の幼児教育に貢献、教会の伝道に大きな力を与えられたが、61年に保育園が町立となることで子供たちとのつながりが急激に薄くなったことは残念である。鈴木師が一族で、荻原の地に移り住んで長く牧会に当たった働きは草創期を支え、最も記憶される。
教会は、伊勢の奥にあるこの地理的状況にぜひ残したいと願っています。伝道の在り方に工夫が必要なのか、課題を感じています。主のみ旨が成りますようにと祈らされています。
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