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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

キリスト教の小部屋

 

 

クリスマスに歌い踊る
――荘厳なクリスマスと情熱のクリスマスを――

1ハレルヤ。
歌え、ヤハウェに向かって、新しい詩歌を、
彼〔=ヤハウェ〕の讃歌を、敬虔な者たちの集会において。
2喜べイスラエルは、自らの創造者(たち)において、
シオンの息子らは歓べ、自らの王において。
3彼らは彼の名を讃美せよ、輪舞で、
タンバリンとリラで、彼らは彼に向かって讃美を奏でよ。
(詩編149編1−3節[私訳])

 

 11月30日(日)からアドヴェント(待降節)に入りました。アドヴェントとは、12月25日のクリスマスまでのおよそ4週の期間を指し、クリスマスに備えるシーズンです。日本のクリスチャン人口は1%に満たないとされますが、そのクリスマスの賑わいから、キリスト教国ではと錯覚する旅行者がいてもおかしくありません。日頃は肩身の狭い思いをしている日本のクリスチャンも、クリスマスシーズンにはスポットライトを浴びて主役になったかのように大手を振って闊歩したくなります。その反対に教会の帰りにイルミネーションで輝く街並みや家々を見て、後れを取ったような気分になり、本当のクリスマスの意味を知っているのは自分たちクリスチャンだけなのだと強がってしまう場面もあるかもしれません。
 冒頭に引用した詩編149編1−3節は、詩編の信仰が静的(スタティック)に祈りに沈静するだけのものではなく、動的(ダイナミック)に神を讃美し、歓喜するものでもあることを示しています。ここで詩編が描く讃美し、歓喜する人間の姿は、「ジェンカ」さながら輪になって集団で歌い踊り、タンバリン(手鼓)とリラ(竪琴)を用いて、全身全霊で神を誉め称え、踊りに興じる情熱的なものです。
 担当者が今月の聖書テクストとして詩編149編1−3節を選んだのは、クリスマスのシーズンを迎えても、この世界の惨状を見ていると、楽しくなくなってしまうのだけれども、何もかも忘れて集中できるのは、フラメンコを踊り、音楽を聴いているときだけであり、せめて歌って、踊って、辛いことを忘れたいとの理由からだそうです(クリスマスというより、忘年会のようですが……)。
 詩編149編が描く情熱的に踊りに興じる信仰者の姿に触れると、すぐにダビデの姿が浮かんできます。ダビデの名が冠せられる詩編が数多く残されていることからも想像できるように、彼は歌とリラ(竪琴)の名手として知られていますが、名うてのダンサーでもありました。彼は神の箱をエルサレムに運び入れるさいに、全身全霊でヤハウェ(神)の前で踊りました(サムエル記下6章12−16節)。しかも、彼は裸に亜麻布の衣(エフォド)を纏っただけの姿で、角笛を吹き鳴らし、飛び跳ねて踊ったのです。その姿は熱狂的なものだったに違いありません。
 このようにダビデや詩編149編の信仰者たちの姿からもうかがわれるように、古代イスラエルにおいて踊りは神を讃美し、歓喜する重要な役割を持っていました。しかし、時代が下り、ヘレニズム文化が支配的になると、「ダンサー」(ギリシャ語κίναιδος/ラテン語cinaedus)は専ら女性の職業になり、ミソジニー(女性嫌悪)によって男性が踊ることは「女々しい」(ギリシャ語μαλακός/ラテン語malacus)とされ(Iコリント書6章9節参照)、悪徳として忌避されるようになったことが知られています(拙著『同性愛と新約聖書――古代地中海世界の性文化と性の権力構造』風塵社、2021年、287−293頁)。この背後には「理性」(ロゴス)の重視と情動(パトス=情熱)の抑制というギリシャ哲学のエートスが横たわっており、この文化のなかで育まれたキリスト教では、理性的に言葉を操ることが重んじられ、情熱的に踊ることは脇に追いやられてしまったのです。
 そして、同様のエートスは現代のキリスト教にも引き継がれており、ダビデのように神を讃美し、踊ることは信仰とは無関係のものとされているように思えるのです。しかし、古代から祭りには歌と楽器と踊りがつきものです。荘厳な雰囲気でキャンドルに火を灯すクリスマス礼拝が人を惹きつけることは確かです。しかし、クリスマス礼拝の楽しさはクリスマスキャロルを歌うことでもあります。そして、礼拝後に持たれるクリスマス祝会の楽しい雰囲気も忘れることはできません。そこでは歌、踊り、ページェント(降誕劇)などが行われているからです。
 もっとも、こんなことを小難しく考えていることがそもそも変なのですが……。今年のクリスマスはどう過ごしますか? クリスマス礼拝でキャンドルライトを灯しつつ、クリスマスキャロルを歌い、荘厳にクリスマスを祝うことに加えて、礼拝後のクリスマス祝会やプライベートな場で情熱的にクリスマスを祝い、歓喜してみてはいかがでしょうか。世界が壊れかかっているからこそ、この世界の惨状に思いを馳せつつ、イエスの誕生に思いを寄せ、子どものように、クリスマスを思いっきり祝い楽しんで欲しいのです。
 とはいえ、教会のクリスマスは本物志向ですから、さすがに礼拝で踊るのはハードルが高いとは思うのですが、――必要であれば、「せめて歌って、踊って、辛いことを忘れたい」と願っている牧師でもある担当者が「説教者兼ダンサー」として教会に赴きますので――いつかダビデや詩編の詩人のように、クリスマスに歌い踊ってみてください。みなさんが荘厳なクリスマスと情熱のクリスマスを過ごせるよう願いつつ、メリークリスマス!
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン/宗利淳一)

 


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