関東大震災の朝鮮人虐殺から100年を覚えて
5さらに、ギレアドはエフライムに通じるヨルダン川の渡し場を占領した。エフライムの逃亡者たちが「渡らせてくれ」と言ってきたとき、ギレアドの男たちが「お前はエフライム人か」と言うと、彼は「違う」と言った。6すると、彼らは彼に「シッボーレト」と言ってみろと言い、彼が「スィッボーレト」と言って正確に発音できないと、彼らは彼を捕らえてヨルダン川の渡し場で虐殺した。こうして、このときエフライムのうちから4万2千人が斃(たお)れた。
(士師記12章5−6節[私訳])
冒頭の引用は2022年9月1日に日本基督教団HPにアップされた金迅野牧師(在日大韓基督教会横須賀教会)のメッセージ「『関所』で新しい『われわれ』を紡ぐ」が用いている聖書箇所の一節です。このメッセージおいて、金牧師は関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒をまいている」といったデマが流れ、戒厳令が敷かれたとき、語頭に濁音が立たない朝鮮語の特徴を利用して、軍隊や自警団が朝鮮人を見つけ出すために、「15円50銭(じゅうごえん・ごじゅっせん)」と言ってみろと言い、「ちゅうこえん・こじゅっせん」と正確に発音できない人を虐殺した歴史に触れています。
士師記12章5−6節は紛争を制したギレアド人がエフライム人を殲滅するために、エフライム人がשׁ(sh)の発音ができずにס(s)と発音することを利用して、渡し場に来た者に「シッボーレト」(שִׁבֹּלֶת)という言葉を正確に発音できるかどうかを確認し、「スィッボーレト」(סִבֹּ֗לֶת)と発音するや否や虐殺したという物語です。ヘブライ語のシッボーレトは「穀物の茎」や「水流」を意味しますが、ここでは単にשׁ(sh)を発音できないエフライム人を罠に嵌めるためだけに持ち出されています。
この士師記の故事から、ある社会集団の成員と非成員を選別して排除する指標として用いられるフレーズや合言葉を意味する「シボレート」(シボレス)の概念が生み出されました。そして、日本でシボレートが用いられた代表的な事件こそが、先に紹介した金牧師が触れている今年100年を迎える関東大震災における朝鮮人虐殺にほかなりません。このようにシボレートとは特定の氏族や民族に対する憎悪から生み出され、士師記の「シッボーレト」や関東大震災の「15円50銭」という何気ない言葉が生と死の境を決定してしまったのです。関東大震災の朝鮮人虐殺から100年を覚えて、その歴史すらなきものにしようとする時代に抗して、「15円50銭」というシボレートによる朝鮮人虐殺という加害の歴史を忘れないとの思いを新たにします。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
安心して眠れる夜を
――ひとりひとりの生と平和を大切に――
6わたしは横たわって眠り、目を覚ましました。
ヤハウェがわたしを支えてくださるからです。
7わたしは恐れません。
取り囲んでわたしに迫り来る万の民を。
(詩編3編6−7節[私訳])
詩編3編6−7節は身を横たえることすらままならない苦悩の最中で、いつぶりかと思えるように安心して眠り、目が覚めたら朝を迎えていたというただそれだけのことが、いかに幸いであるのかを詠っています。この詩には誰しもが経験する悲嘆や苦悩が詠われており、詩編の詩人も孤独に苛まれて眠れぬ夜を過ごすわたしたちと変わらぬ苦悩を抱えていたことに慰められる思いがします。しかし、日本の侵略戦争を懺悔しつつ、広島、長崎、沖縄にも思いを馳せる暑い夏にこの詩編を読むと、やはり戦時下の状況が浮かんできます。戦争は民族や国などの一定の社会的集団の問題として大局的に捉えられる傾向にありますが、そこに個々の人間がおり、個々の「生」(生命・人生・生活)があるということが忘れられているとの感を禁じえません。詩編3編6−7節は民族や王国という社会的集団よりも、ひとりの詩人の「生」に徹底してこだわり、ひとりの人間存在にフォーカスを当てています。神学的に戦争や国家を省察することも重要かもしれませんが、せめて8月だけは安心して眠れぬ夜を過ごしている個々の人間の思いに寄り添い、ひとりひとりの生と平和を大切にする日々にしたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
友として
――部落解放祈りの日に寄せて――
さて、ペトロは相当の日々をヤッファにある革なめし職人シモンのもとに滞在したのであった。
(使徒言行録9章43節[私訳])
冒頭の引用はペトロがタビタという女性弟子を甦らせた死者蘇生の奇跡物語(使徒言行録9章36−43節)を締め括る描写です。ペトロが奇跡を行った後に向かったのは皮なめし職人シモンの家でした。古代ユダヤ世界では「皮なめし」は動物の死と血に触れることや悪臭を放つことを理由に穢れた職業として差別の対象とされていました。時代や文化は異なりますが、ここには被差別部落の伝統的職業に対する差別と通底する問題があることに気づかされます(栗林輝夫)。ペトロがシモンのもとに滞在した期間を新共同訳聖書や協会共同訳聖書は「しばらくの間」と訳していますが、正確には私訳に示したように「相当の日々」ですので、長期間ペトロがシモンの家で過ごしたことがうかがわれます。つまり、ペトロが「相当の日々」をシモンの家で過ごしたという描写からは、ペトロとシモンが友としてゆっくり一緒に過ごしていた様子が浮かんでくるのです。7月9日に「部落解放祈りの日」を迎えます。ペトロとシモンのように、友として出会い、友として一緒に歩んでいくことによって、身近な生活から部落解放を求め続けていきたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
子どもが大切にされる今を
——子どもの日(花の日)に寄せて——
アーメン、わたしはあなたたちに言う、子どもを受け入れるように神の国を受け入れる者でないのならば、そこに入ることは断じてない。
(マルコ福音書10章15節[私訳])
「子どもを受け入れるように」と訳したテクストは、「子どもが〔神の国を〕受け入れるように」と翻訳することも可能であり、それが通常の理解とされています。つまり、子どもが無垢で無力なままで神の国を受け入れる姿が模範として示されているとの解釈です。しかし、この科白(ロギオン)はイエスに触れてもらおうと近づいてきた子どもたちを妨げた弟子たちに向かって、子どもを抱き上げながら発せられたものですので、私訳のように理解するのが至当です(マルコ福音書9章37節参照)。子どもを受け入れるという当たり前に思えることが、実は古代世界では当たり前ではなく、むしろ弟子たちの態度が普通だったのです。子どもが子どもとしてその存在が認知されるのは近代になってからであり、特にこのテクストで言及されているのが「幼な子」(パイディオン)を表すことを考えると、子どもを大切にするイエスの思いは、神の国の未来にではなく、その生命さえも軽んじられていた「幼な子」を大切にする現世の今に向けられていたのです。6月の第2日曜日の「子どもの日」(花の日)を迎えるに当たって、子どもたちが大切にされる今を願わずにはいられません。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
積極的ニヒリズムを生きる
——友と食べて飲むことに一縷の希望を——
コヘレトの言葉1章2−11節は、「空の空/空の空、一切は空である」(2節)という言葉が象徴するように、人間の歴史は太古より永遠回帰のように繰り返されるだけの空虚なものだと吐露しています。「空」と訳されているヘブライ語のהֶבֶל(ヘベル)は「霧/息/風/虚いくもの/偽り」といった意味を持っていますので、「無/空/虚無/無意味/無価値)を意味するラテン語のnihilから造られた「ニヒリズム」(虚無主義)とコヘレト書を結びつけるのも無理からぬことだと感じられます。現代のニヒリズムの祖であるニーチェが提唱したのは、あらゆるものが無意味であるゆえに、後ろ向きに生きざるを得ない消極的ニヒリズムではなく、あらゆるものが無意味であるのなら、前向きに生きることを肯定する積極的ニヒリズムだと言われています。そして、コヘレト書もまた、食べて飲むことが労苦のうちに幸せを見出すことだと繰り返し述べており(2章24節、3章12−13節)、倒れても起こしてくれる友がいることを幸いだとも語っています(4章9−10節)。福音書にはイエスの食事の場面が何度も現れ、イエスが様々な人たちと繰り広げた友愛が強調され、最後の晩餐では天国での酒宴を仰ぎ望んでいます。戦争、貧困、格差などは決してなくならないといったニヒリズムが支配するこの世界の直中において、——現世でも、そして願わくは来世でも——友と食べて飲むことに一縷の希望を見出す積極的ニヒリズムを生きるほかないのかもしれません。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
イエスの家族観
——アジール(逃れ場)としての教会——
マルコ福音書3章34−35節はイエスと家族との間の不和や葛藤を描写する「イエスの家族」(3章20−21節、31−35節)と呼ばれるテクストを締め括る言葉です。イエスが自分の家族だと宣言する「自分の周りを囲んで座っている人たち」(34節)とは「群衆」を表します(32節)。群衆とはイエスの周りに集う寄る辺のない人たちであり、その人たちもまた家族から「おかしくなった」と言われていたイエスと同じように(21節)、家族や社会から零れ落ちてしまった存在だったのです。イエスは古代地中世界で当然視されていた子孫繁栄のための婚姻制度に背を向け、規範的な家族でいることを強制するしがらみから自由になろうとしていました。翻って現代の教会を省みるとき、教会が好む「神の家族」という理念が人を縛りつける鎖になってしまってはいないでしょうか。レントからイースターを迎えるとき、家族や社会が求める「当たり前」や「普通」という名の圧力に押し潰されそうになっている人たちのアジール(逃れ場)として教会が生まれ変わることも必要ではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
- マルコ福音書3章20−21節、31−35節のテクストに関しては、新著『クィアな新約聖書——クィア理論とホモソーシャリティ理論による新約聖書の読解』(風塵社、2023年3月30日発行)137−160頁をご覧いただければ幸いです。
30アーメン、わたしはあなたたちに言う、これらのすべてのことが起きるまでは、この時代は過ぎ去ることはない。31天と地は過ぎ去るだろうが、わたしの言葉が過ぎ去ることはないであろう。(マルコ福音書13章30−31節[私訳])
レント(受難節)
——この世界の痛みを覚えつつ過ごす——
冒頭の引用は「小黙示録」(マルコ福音書13章)において「アーメン」で導入されるイエスの唯一の言葉です。30節の「これらのすべてのこと」は24−27節の「天体の滅亡」が表す宇宙万物の終焉に至る一連の出来事を指します。また、その予兆として「戦争と戦争の噂」(7節)や「地震と飢饉」(8節)などが起きるとも言われていますが、ロシアのウクライナ侵攻、シリアとトルコの地震や飢餓に喘ぐ今の時代を彷彿とさせるかのようです。31節においてマルコは天地万物が過去のものになったとしても、イエスの言葉だけは忘れ去られることはないと断言します。ここでマルコが言うイエスの言葉とはローマ帝国支配下で抑圧や苦難を被っている人たちに向けられたイエスの福音にほかなりません。小黙示録の直後の14章からマルコ福音書ではイエスの受難物語が始まります。イエスの受難を覚えるレント(受難節)にこそ、紛争、戦争、地震、飢餓、迫害の被害に遭っている人たちを覚えて、支援を続ける必要があるのではないでしょうか。なぜなら、この世界の痛みを覚えつつ過ごすことこそが、イエスの受難に与ることにもつながるからです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
抵抗としての暴力
——強者の暴力と弱者の暴力——
非暴力主義を掲げるキリスト教では、イエスがエルサレム神殿で暴れたという事件を「宮清め」と呼んで正当化しています。しかし、いくら誤魔化そうとも、この事件がイエスの暴力沙汰であることに変わりはありません。問題は暴力を一様に否定することで、却って暴力を肯定してしまうという逆説が生じてしまうことにあります。だが、暴力は一様ではありません。強者の暴力と弱者の暴力は同じではないのです。圧倒的な力を持つ強者の暴力と抵抗としての弱者の暴力は正反対の場合すらあります。四福音書が揃って神殿でのイエスの暴力事件を伝えているのは、イエスの暴力がやがて圧倒的な力を持つ権力者の暴力によって十字架刑へと行き着いてしまったという現実を直視しているからにほかなりません。翻って現代社会を見るとき、強者に対する弱者の抗議が暴力やテロとしてラベリングされてしまうことで、強者の暴力が等閑に付されるという逆説が生じている現実に気づかされます。「宮清め」という過激なテクストを再読することを通して、強者の暴力と弱者の暴力という暴力の両義性を再考し、今も各地で起こっている戦争や紛争という名の暴力に抗っていく力にしたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
「こう書いてあるではないか。
友のための死/愛する者のための死
自分の生命を自分の友〔=愛する者〕のため棄てる、
これよりも大きな愛を誰も持っていない。
ヨハネ福音書15章13節(私訳)
ヨハネ福音書15章13節は「友のための死」と呼ばれる有名なテクストですが、イエスの贖罪死よりも大きな愛はないことを想起し、信者にも同様に死を理念化して示しています。「友」(原文は複数形)の原意は「愛する者」ですが、ここでは16節の「奴隷」と対比して用いられています。「友/愛する者」のために死ぬことが最も大きな愛だというのは、確かに自己犠牲を厭わない無償の愛として称賛に値するのかもしれません。しかし、戦争の名において、「友のための死/愛する者のための死」はその死が自己犠牲を超えて、自ら望んだ死でもあるかのような錯覚によって死が理想化され、力を持つ者によって力を持たない者の生命が収奪されてしまう事態を引き起こします。新しい年を迎え、「戦争と戦争の噂」(マルコ福音書13章17節)が絶えない世界において、「理想主義」というラベリングに屈することなく、「平和」を求めつづけたいとの抱負を新たにします。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
マリアのクリスマス
使徒信条はイエスが「処女マリアより生れ〔た〕」(natus ex Maria Virgine)と告白していますが、その基になっているのは福音書のクリスマス物語です。ギリシャ・ローマ世界には英雄が神と人間の女性との間から生まれたとする神話が存在します。最も有名なのは初代ローマ皇帝アウグストゥスですが、そこには処女降誕のモティーフはありません。処女降誕はイエスこそが「救世主」と呼ばれたアウグストゥスを凌ぐ真の「救い主」にほかならないことをヘレニズム・ローマ世界に伝えるために生み出されたのです。しかし、マリアのクリスマスに思いを馳せるとき、聖書が真に伝えているのは、後の教会が強調した「処女性」や「母性」の象徴としてのマリアではなく、「マリア讃歌」(ルカ福音書1章46−55節)においてこの世の価値観の転換を宣言する自由と解放を求めるマリアだと言えるのではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
※クリスマス物語については、以下の拙論を参照してくださると幸いです。
(1)「マリアのクリスマスの回復――文化研究批評(ジェンダー・セクシュアリティ研究)による解釈」『福音と世界』新教出版社、2016年12月号、30−35頁。
(2)「クィアな聖家族――ルカ降誕物語のクィアな読解」『福音と世界』新教出版社、2021年12月号、30−35頁。
マリア讃歌(ルカによる福音書1章46-55節)
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
公同の教会
「公同の教会」とは、「普遍的な教会」や「全体教会」を意味し、この世界に無数に存在する現実の個々の教会は時間と空間を超えた同一性を有する普遍的な教会でもあるというキリスト教神学の教理です。この語の初出はアンティオキアの第2代主教イグナティオス(35年頃〜110年頃)であり、彼は「主教が現れるところ、そこに会衆が在らねばならない。それはイエス・キリストが在ますところ、そこに公同の教会が在らねばならないのと同じことである」(『イグナティオス書簡:スミュルナの人々への手紙』8章2節a[私訳])と述べています。この引用の後には、主教が洗礼と愛餐(聖餐)の執行の認可者であり、神の代理人の如く崇めるようにも勧告されており、「公同の教会」の教理は主教の絶対的権威とセットになってもいますので、聖書主義に立つプロテスタントの側から改めて「公同の教会」とは何なのかを再考することが必要かもしれません。なお、殉教を美化することはできませんが、イグナティオスは、自らの信念を貫いた結果、ローマで殉教の死を遂げていますので、無責任な権威主義者ではなく、「良い羊飼い」を地で行く「牧者」だったようです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
世界宣教の日
日本基督教団は10月の第1日曜日を「世界聖餐日・世界宣教の日」に定めています。前者は1930年代にアメリカの長老派教会で始まり、1940年にアメリカ全体に広まったエキュメニカルな運動であり、現在はカトリックとプロテスタント諸教派が相互の違いや多様性を認め合い、分断や対立から一致へと向かう超教派運動として世界中で行われています。後者は戦後に教団が世界聖餐日を採用するに当たり、世界の教会の一致の証として世界宣教のために協力し合うことを目的として定められ、現在は海外で働く宣教師やアジア圏から教団関係学校に留学している学生を覚える日になっています。教団は聖餐理解や宣教理解をめぐって対立や分断が続いていますが、その本来の精神に立ち返り、合同教会として相互の違いや多様性を認め合う世界聖餐日・世界宣教の日が実現するように願っています。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
関東大震災と朝鮮人虐殺
1923年9月1日に発生した関東大震災は10万人を超える死者・行方不明者を出しました。未曾有の災害を覚えると同時に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」といったデマが流され、6千人以上の朝鮮人が日本人によって虐殺されたことを忘れることはできません(http://www.ayc0208.org/2_8/kanto.php)。デマの発生源は特定できませんが、デマの流布に最も力を発揮したのは内務省であり、虐殺を実行した自警団を組織したのは軍と官憲でした。このように朝鮮人虐殺は国家機関の主導によって行われたのですが、政府は民衆や自警団に虐殺の責任を転嫁し、さらに司法省を使って朝鮮人の犯罪が事実でもあるかのように情報を捏造することで、朝鮮人虐殺の国家的関与を隠蔽したのです。聖書は最後の審判で歴史の全てが明らかになると述べていますが、それは問題を歴史の彼方に先送りにするためではなく、今ここで問題を明らかにするようにとの勧告です。歴史修正主義が跋扈する日本社会にあって、歴史を直視し、過ちを認める誠実さを持って過ごす者でありたい。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
戦責告白
いつの頃からか8月の平和を訴える情景が風物詩にしか感じらない自分がいます。その理由を考えながら、「戦責告白」※を読み返しました。やはりこの告白に色濃く残るナショナリズムやジェンダーの視点の欠如が気になったのですが、戦責告白からは風物詩のような雰囲気を感じることはありませんでした。この告白には日本の侵略戦争を正視し、二度と同じ過ちを繰り返してはならないという本気さが溢れ出ているからです。かの戦争から「侵略」の二文字が消え、平和の名の下に戦争が肯定される矛盾、そしてこの矛盾を見過ごしにしてきた自分の在り方が平和を訴える情景を風物詩に感じさせていたようです。ロシアのウクライナ侵略という現実の直中にあって、戦責告白が見据える平和を渇仰する「明日にむかっての決意」を胸に刻みつつ、8月15日の敗戦記念日を迎えたい。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
※「戦責告白」とは、1967年3月26日のイースターに日本基督教団議長の鈴木正久名で出された「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(https://uccj.org/confession)を表す。
マグダラのマリアの記念日
7月22日はマグダラのマリアの記念日です。近年の研究は彼女が傑出したイエスの弟子であったことを明らかにしています。ローマのヒッポリュトスは復活の最初の証人である彼女に「使徒たちのなかの使徒」という最高の称号を贈っていますが、その一方でペトロを復活の最初の証人とするために、「罪の女」のラベルを貼って彼女を貶めることも繰り返されてきました。東方教会にはマリアを「罪の女」とする意見はありませんので、西方教会が男性の権力を守るためにマリアを貶めてきたのだと考えられます。プロテスタントには基本的に聖人の制度はありませんが、ジェンダーバイアスから自由になる日として、マグダラのマリアの記念日を覚えたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
日本基督教団創立記念日
日本基督教団は宗教団体法による宗教団体統制を目論んだ国家の要請に基づき、1941年6月24〜25日に創立しました。それ以前からプロテスタントの諸教派を統合した日本独自の合同教会の誕生をという機運が高まっていたこともあり、宗教団体法を渡りに船とばかりに合同を推し進めたとも言えます。戦時下の教団がかの戦争を是認し、加担していったことを考えると、日本独自の合同教会の誕生をという機運そのものが近代日本のナショナリズムへの同化だったと言えます。2022年5月15日に沖縄の本土復帰50年を迎えました。沖縄の本土復帰を前に、1969年2月25日に沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同が実現しました。しかし、この合同もまた近代日本のナショナリズムに沖縄を再び同化させるものだったとは言えないでしょうか。2022年の教団創立記念日に当たり、沖縄との関係修復を願いつつ、教会の合同とはいったい何なのかを立ち止まって考えてみたいのです。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
ペンテコステ
ペンテコステはギリシア語で50を意味する数詞ですが、元来は五旬節(ペンテコステ)と呼ばれるユダヤ教の収穫祭を表します。使徒言行録2章1−42節によれば、五旬節にイエスの弟子たちに聖霊が降り、弟子たちは異言を語り、イエスの死と復活の真意を悟ったペトロが説教をし、三千人が洗礼を受けたと伝えられています。これは神話的に創作された物語ですが、五旬節にイエスの弟子以外の新たな信者が生まれることで教会が誕生したことから、キリスト教ではペンテコステを聖霊降臨祭と呼び、言わば教会の誕生日として祝っています。ペンテコステはクリスマス、イースターと並ぶキリスト教三大祝祭のひとつですので、この機会に覚えてください。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
復活祭(イースター)
復活祭(イースター)は十字架で処刑されたイエスが死から三日目に復活したことを祝うキリスト教最大の祝祭です。イースターの語源はゲルマン神話の春の女神エオストレ(オスタラ)と説明されることが多いのですが、これは定かではありません。しかし、冬という自然が死を迎えているかのような季節の後に到来する春は、新たな生命の誕生や再生を象徴する季節であり、復活祭(イースター)が春の女神の神話と結び付けられているのは、イエスの復活が長い冬の後に希望として到来する新たな生命や再生をもたらす春の祝祭でもあるからだと言えるのではないでしょうか。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)