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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

キリスト教の小部屋

分断という名の二項対立図式を脱構築する未来を求めて
――コリント教会の分派争いに寄せて――

4というのも、一方である者は「わたしはパウロ系の者だ」と言い、他方で別の者は「わたしはアポロ系の者だ」などと言っているのだから、あなたたちは人間で〔しかないで〕はないか。5では、アポロとは何なのか。また、パウロとは何なのか。この者たちを通して、あなたたちが信じるに至った奉仕者である〔にすぎない〕。6しかも、それぞれに主が与えてくださった仕方に応じている〔奉仕者でしかない〕のである。7わたしは植えた〔だけであり〕、アポロは水やりをした〔にすぎない〕が、〔ほかならぬ〕神が成長さてくださったのである。したがって、植える者も水やりをする者も何ら重要ではなく、成長させてくださる神だけが重要である。8もっとも、植える者と水やりをする者はひとつではあるが、それぞれが自らの報酬を自らの労苦に応じて受け取ることになるであろう。9というのも、わたしたちは神の同労者だからであり、あなたたちは神の畑、神の建物だからである。

(コリントの信徒への手紙一 3章4−9節[私訳])

 

 Ⅰコリント書は教会内の格差や意見の違いなどを解決するためにパウロが書いた手紙です。引用したⅠコリント書3章4−9節からもコリント教会内部に分派争いがあったことが分かります。この部分のギリシャ語は言葉足らずであり、翻訳するうえでは少々厄介ですが、パウロが言わんとする意味は明瞭です。自分たちは神の同労者であり、その働きには神によって与えられた違いもありはするが、神のもとでひとつの目標に向かっているのだから、アポロ派やパウロ派などの取るに足りないことに拘ることを止めて、神に属する者として、目標に向かって歩もうとの呼びかけです。

 キリスト教の小部屋でこのような建徳的な聖書テクストが取り上げられるのは稀ですが、この背後には分断され続けている世界に対する担当者の逼迫した危機感があり、それは取りも直さず、分断によって命が奪われ続けている世界の惨状に対する深い悲しみと怒りに溢れた思いでもあります。このような分断の潮流は、世界の各地で続く戦争の現実によって最も鮮明に映し出されていますが、日本やアメリカの選挙結果からもひしひしと伝わってきます。そして、時代を先取りするかのように、分断の潮流は日本基督教団の歴史に絶え間なく押し寄せてきました。

 2024年10月29〜31日に第43回日本基督教団総会が開催されました。総会は二年に一度開催される教団の最高の意思決定機関ですが、近しい人から聞いたところでは、スタンスの違いを超えることのできない平行線を辿る議論が続き、何の前進もない徒労感の漂う日々であったとのことです。もちろん、これはその人の個人的な感想であり、むろんその場にいた人たちは真剣に議論をし、自らの思いの丈を表白したのだとは思います。しかし、その人が言うには、このような教団内部のスタンスの違いは、端から眺めると、同じにしか見えないのではないかというのです。それをわたしなりに理解すれば、現在の日本の政党政治において、大局的には保守とリベラルの二項対立図式などはもはやなく、同工異曲を奏でているようにしか感じられないのと同じように、教団内部の議論も異曲同工にしか聴こえなくなってしまっているということです。

 おそらく、このような教団の状況は、日本の政党間の議論がそうであるように、同一の目的や目標が存在せず、それゆえに共通言語を持つことが叶わず、意を尽くして話し合うという厄介なことを避け、異なる意見を封殺するという安易な方法を取ってしまっていることに起因し、その弊害が狭い組織内部のヘゲモニー争いとして立ち現れているのです。しかし、教団内部での立場の違いなど、端から眺めると、存在しないに等しいものでしかないのです。それはパウロがアポロ派もパウロ派もなく、全て神に属していると宣言する内容に通じるものでもあります。そして、このような見立ては、キリスト教主義大学に奉職する教団の教務教師でもあるわたしにとっても、学内の大部分を占める非キリスト教徒の教職員からすれば、学内のキリスト教徒がいずれも同じに見えているであろうことを実感していることからしても、頷かざるを得ない現実でもあります。

 Iコリント書を著したときのパウロは、世の終わりが近いという終末思想に取り憑かれていたということもあり、内部で争っている場合ではないと怒り心頭になり、却って教会内部の争いに火に油を注いでいるようにも見えなくもありませんが、大切なのはアポロでもパウロでもなく、神なのだというパウロの言葉は、人間を絶対視しない――ある種イエスとも通底する――重要な視点を提供してくれます。この時点のコリント教会は発足して間もない小さな集まりに過ぎませんでしたが、その小さな集団でさえも、分派争いが絶えることがなかったことが分かります。発足から80有余年の日本基督教団は吹けば飛ぶような小さな組織かもしれませんが、コリント教会に比すれば遥かに大きな組織だと言えます。その教団に分派争いやヘゲモニー争いがあっても別に不思議なことではありません。しかし、このような現実を直視するとき、怒ったり泣いたりしながら、コリント教会の分派争いに倦むことなく関わり続けたパウロの姿は、今の教団が真剣に向き合うに値する生き方を示していると言えます。

 戦争に満ちた現代世界において、第三次世界大戦の危機さえも叫ばれる状況はまさに終末の様相を呈しているかのようです。このような時代状況において、教団はパウロからアポロ派もパウロ派もないと怒り心頭に説教されているようにさえ思えるのです。端から眺めたら同じにしか見えないにもかかわらず、わたしたちはいったい何に拘り、何のために拘っているのでしょうか。戦争によって命を奪われている現実の直中において、キリスト教の求める「平和」は「社会の平和」か「キリストの平和」かという――端から眺めれば、同じにしか見えない――二項対立図式のアポリアから抜け出すためにも、現在の教団が実践する平和の活動に全力を注ぎつつ、そのうえで聖書主義に立つプロテスタント教会として、分派争いを戒めるパウロの言葉に傾聴し、その働きの違いを神から与えられた違いとしてパウロが是認しているように、わたしたちもまた立場や意見の違いを相互に受け入れ、意を尽くして聞き合い、意を尽くして話し合うことで、これまでの分断という名の二項対立図式を脱構築する新たな未来を求めていくことが必要ではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


困窮するひとりの命を
――古の預言者はガザに遣わされる――

24 すると、彼〔=イエス〕は言った、「アーメン、わたしはあなたたちに 言う、自分の故郷で受け入れられる預言者はひとりもいない 25 そこで、ま ことにわたしはあなたたちに言う、多くのやもめたちがエリヤの日々にイ スラエルにいた。そのとき、天が 3 年 6 ヶ月のあいだ閉じられ、大飢饉が 全地に起こった。26 すると、彼女らの誰のもとにもエリヤは遣わされるこ とはなく、シドン地方のサレプタのひとりのやもめの女性のもとにだけ 〔遣わされた〕。27 また、多くの〔律法に規定された〕皮膚病の者たちが預 言者エリシャの頃にイスラエルにいた。すると、彼らの誰も清められるこ とはなく、シリア人ナアマンだけが〔清められた〕」。28 すると、これらの ことを聞いていた会堂内の全ての者たちは怒りに満たされ、29 そして立ち 上がって、彼〔=イエス〕を町の外に追い出し、自分たちの町が建つ丘陵 の崖に彼を連れて行き、彼を突き落とそうとした。30 だが、彼自身は彼ら のあいだをすり抜けて、歩いて行った。

(ルカによる福音書 4 章 24−30 節[私訳])

 引用したルカ福音書4章24−30節は、イエスがナザレの会堂で公生涯のデビューを飾る物語(4章16−30節)を締め括る場面です。ここに登場するイエスはひときわ煽動的です。いくら故郷のナザレとはいえ、イスラエルにおいて預言者が受け入れられない運命にあるのは昔からの定めであると言うだけでも、古の預言者を大切にする人々は怒り心頭に発しますが、自分を預言者になぞらえ、自分が受け入れられないのも預言者としての宿命であると宣言するイエスに怒髪天を衝くといった雰囲気が伝わってきます。そして、ルカが描くイエスはそこからさらに人々を煽ります。預言者エリヤとエリシャがイスラエルの地にではなく、異邦の地に遣わされた聖書(旧約聖書)の故事をわざわざ引き合いに出し、イスラエルの神が救済するのは、イスラエルの民ではなく、異邦の民なのだと断言しているからです。しかも、イエスはそれをユダヤ教の会堂で言っているのですから、詰め寄られるのも当たり前ですし、崖から突き落とされそうになるほどに、同郷の人たちの気持ちを逆撫でしているのです。
 この場面を一読すると、公生涯の最初から全開で飛ばすイエスに驚きつつも、どこか飄々とした印象も受けます。取り囲まれて崖から突き落とされそうになっても、人々の間をすり抜けて、――走り去ったのではなく――歩いてどこかに行ってしまったのですから。イエスはどこだ、どこだと探している合間に、ゆっくりと歩いてイエスがいなくなってしまう描写はコントの一場面でもあるかのようです。しかし、イエスはそれから二度と故郷のナザレに戻ることはありませんでした。
 この物語においてイエスとナザレの人たちを隔てたのは、地縁や民族の枠内で物事を完結させる故郷の人たちとそのような枠組みに囚われることのないイエスとの考え方や生き方の違いだったのですが、このような狭隘な民族主義が排外主義につながっていくことを批判するイエスの姿勢は、自国ファーストに突き進む現代世界をも射抜くものだと言えます(嶺重淑)。さらに、このテクストにおいてイエスは預言者エリヤとエリシャが異邦の困窮するひとりにだけ遣わされたことをとりわけ強調しています。このようにイエスが示す預言者の姿は、イスラエルによるガザの危機がレバノンやイランに広がることによって、世界の関心が原油問題、中東戦争、そして第三次世界大戦の危機に移り、ガザで今も続く惨劇が後ろに追いやられてしまう事態に否を突きつけているように思えるのです。
 このようなガザの惨状とその状況を生み出し温存し続けてきたのは帝国主義と植民地主義という名のデモーニッシュな力であり、それはポストコロニアルと言われる状況においても、イスラエルによるガザの惨劇が象徴するように、そのデモーニッシュな相貌を露わにして猛り狂っています。確かに、イスラエルとレバノン、そしてイスラエルとイランの戦争を止めなくてはなりませんが、中東の危機を回避するためにも、まずイスラエルとガザの停戦が最優先であることは確かですし、それこそが世界の危機という名のもとに忘れられているガザの困窮するひとりの命を救うことにつながるからです。古の預言者が現代に甦るとすれば、その預言者はガザに遣わされるのではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


現代のヘイト問題から歴史認識の問題へ
――長血の女と朝鮮人虐殺――

25さて、12年もの間、血の流出を病んでいるひとりの女がいた。26大勢の医者たちによって散々苦しめられ、自分の持ち物すべてを費やしたが、何の甲斐もないどころか、よりいっそう悪くなってしまったのだが、27彼女はイエスのことを聞いて、群衆に紛れ込み、後ろからその衣に触った。28というのも、「せめてあの男(ひと)の衣にでも触ることができれば、自分は救われる〔=癒される〕だろう」と彼女は〔何度も〕言っていたからである。29するとすぐに、彼女の血の源流が乾き、彼女は悪疾から癒されていることをその身に感じた。30するとすぐに、イエスは自分から力が流れ出たことに気づき、群衆のなかを振り返って〔何度も〕言った、「誰だ、わたしに触ったのは」。31すると、彼の弟子たちが彼に〔何度も〕言った、「あなたは群衆があなたに押し迫っているのを見ていながら、『誰だ、わたしに触ったのは』などと言うのですか」。32しかし、彼は〔何度も〕あたりを見回して、このことをした女(ひと)を見つけようとした。33すると、この女は自分に起こったことを知っていたので、恐ろしくなり、震えながら、進み出て、彼〔の足もとに〕にひれふし、彼にありのままをすべて話した。34すると、彼は彼女に言った、「お嬢さん、あなたの信頼があなたを救った〔=癒した〕のですよ。平安に帰るといいよ。そして、悪疾から〔癒されたまま〕元気でいるんだよ」。

(マルコによる福音書5章25−34節[私訳])

 

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 担当者から2024年9月のテーマを関東大震災時の朝鮮人等の虐殺の問題にするとの連絡を受け、その説明には朝鮮人虐殺がガザの虐殺の状況と同じ生々しいグロテスクな現実であることが記され、その最後に聖書箇所として長血の女のテクストの前半部が指定されていました。原稿に取りかかろうとした矢先に、高熱に見舞われ、数日寝込んでも熱が下がらず、病院に行って検査を受けた結果、新型コロナウイルスに初感染していたことが分かりました。高熱のせいもあってか、長血の女の物語と朝鮮人虐殺がどう結びつくのかが判然とせず、夢現つの状態で漸くそのつながりを了解したしたつもりで原稿を書き始めたのですが、熱にうなされてイミフな文章を書いている説もあることを予めお断りしておきます。

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 冒頭に引用したのは「長血の女」のテクストです。「長血」とは女性の不正出血(不正子宮出血)を表しますが、経血を含めた女性の出血を不浄とする律法の――差別的な――規定によって(レビ記15章19−30節)、この女性は12年もの間、「穢れ」のラベルを貼られ、社会から隔離され、不当な差別と抑圧に喘いできたのです。彼女は身体的・精神的・宗教的・社会的・経済的・家族的・性的などのあらゆる次元で自分を苦しめてきた悪疾から救われたいと渇仰し、イエスの衣に触れたのです。しかし、これはその時代においては暴挙でしかありません。人混みに紛れてイエスの衣に触れるということは、不特定多数の人たちに彼女の「穢れ」を移してしまうタブーを冒すことにほかならなかったからです。もし知り合いに顔を見られてしまったら、あるいは彼女が長血であることがバレてしまったとすれば、リンチに遭って殺されるかもしれない・・・。まさに彼女は命賭けでイエスに触れたのです。
 毎年9月になると、関東大震災時の在日朝鮮人等の虐殺が想起されます。昨年(2023年)は虐殺から100周年でもあり、福田村事件の映画が公開されるといった出来事もありました。今年(2024年)はどうでしょうか。東京新聞(ウェブ版)によれば、今年も東京都知事は朝鮮人犠牲者らを追悼する式典に個別に追悼文は送らず、朝鮮人虐殺の史実については、さまざまな研究があると述べるに留めているとのことです。しかし、このような動向とは異なり、埼玉県知事が朝鮮人を悼むさいたま市内の式に追悼文を送ることを検討しているとも報じられています。埼玉県知事の歴史認識をめぐっては、すでにネットではヘイト発言も巻き起こっており、ヘイトの声に屈することなく、公正な視点から朝鮮人虐殺の歴史が省察されるよう願うばかりです。
 1年前の2023年9月の「キリスト教の小部屋」でも触れたように、朝鮮人の虐殺は――日本人が犠牲になった福田村事件からも分かるように――単に見た目で判別したわけではなく、「15円50銭」が「シボレート」(合言葉)になり、「じゅうごえんごじゅっせん」と正確に発音できない者を炙り出して実行されたことが知られています。それと同様に、長血の女も見た目からは「長血」という――本来は存在するはずのない――「穢れ」を持つことが知られるはずもなく、彼女は身バレしないように注意を払い、群衆に紛れてイエスにそっと触れたのです。しかし、イエスは彼女に気づき、「誰だ、わたしに触ったのは」と何度も問います。イエスの問いは律法を破った穢れた自分に向けられた断罪のように彼女には響いたのです。群衆のなかですから、自ずと大きな声になっていたでしょうし、繰り返し問われたのですから、そう感じたとしても仕方ありません。それゆえ、彼女は「恐ろしくなり、震えながら、進み出て、彼〔の足もとに〕にひれふし」たのです。
 長血を穢れとするのは、女性であることを理由に女性を排除する偏見でしかありません。それと同様に朝鮮人虐殺は、朝鮮人であることを理由に朝鮮人を排除する憎悪犯罪(ヘイトクライム)にほかならないのです。関東大震災後の朝鮮人たちは「恐ろしくなり、震えながら」身を潜めていましたが、軍隊、官憲、自警団などに見つかってリンチに遭い、殺されたのです。犠牲者の数は関東大震災の死者10万5千人の1%〜数%とされ、したがって千人〜数千人に上る朝鮮人たちが殺されたのです。それは壊滅的な打撃を受けた関東大震災の被災地を中心に起こった虐殺です。その光景はガザで起きているのと同じ阿鼻叫喚の世界だったのです。
 現在の日本では朝鮮人等の虐殺はなかったという歴史認識が大手を振ってまかり通る事態にしばしば遭遇します。この歴史認識は在日コリアン等に対するヘイトスピーチと並行して現れたものです。つまり、朝鮮人等の虐殺を否定する歴史認識は、新自由主義史観や歴史修正主義といった新たな歴史観の仮面を被ってはいますが、実際には現代のヘイトが生み出した偏見でしかないということです。その意味では、長血の女が女性特有の血の流出を「穢れ」とする偏見から自らを解き放つ新たな一歩を踏み出したように、わたしたちもまた在日コリアン等を排除する「ヘイト」という偏見から自らを解き放つ新たな第一歩を踏み出すことによって、現代のヘイト問題から歴史認識の問題へと歩みを進めることができるのではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


 

復讐の連鎖を断ち切る
――詩編の詩人から広島・長崎へ――

22なぜなら、わたしは貧しく、乏しく、
わたしの心はわたしの内奥で刺し貫かれている。
23影が傾くように、わたしは過ぎ去り、
バッタのように、わたしは振り払われる。
24わたしの両膝は断食のゆえによろめき、
わたしの肉体は脂肪を失くして痩せ衰える。
25わたしは彼らの嘲笑の的になり、
彼らはわたしを見て、その頭を振る。
26わたしを助けてください、ヤハウェ、わたしの神よ、
わたしを救ってください、あなたの慈しみにふさわしく。
(詩編109編22−26節[私訳])

 

 詩編109編は6−19節に呪詛の言葉が連ねられていることから、長らく「呪いの詩編」と呼ばれてきました。そこでは腐敗した権力者たちによって法廷に引き摺り出された詩人が呪詛の咆哮を浴びせられています。
 冒頭に引用した22−26節は呪詛の言葉の直後に置かれており、自分を陥れた権力者たちによって葬り去られようとしている詩人の祈りが綴られています。この詩人は社会的・経済的な立場を奪われただけではなく、精神的にも追い詰められ(22節)、影が夜の闇のなかに消え去るように、あるいは邪魔なバッタが振り払われるように、葬り去られる運命にあるというのです(23節)。詩人は不当な訴えに抗して食を断ち、立ち上がる力もないほどに衰弱し(24節)、嘲笑の標として敵対する者たちから頭を振られて愚弄されます(25節)。しかし、詩人は迫り来る死の影に飲み込まれそうになりながらも、神に救いを祈っています(26節)。
 このように詩編109編において詩人は敵対者たちの呪詛に呪詛を返すことはせず、引用した22−26節のすぐ後では、敵対者たちが呪いを与えるのに対して、神は祝福を与えると述べることで(28節a)、復讐の連鎖を何とか断ち切ろうとしているのです。
 しかしながら、キリスト教は詩編109編を自らに敵対する者たちに対する呪詛を正当化するために用いてきた歴史があります。その典型は使徒言行録1章20節に引用されている詩編109編8節に関する拡大解釈です。使徒言行録1章20節では、ペトロの口からイスカリオテのユダの死地が「アケルダマ」(血の土地)という呪われたものになったことが語られているのですが、ペトロの発言を拡大解釈して、古代の教父たちは詩編109編をイスカリオテのユダと関連づけて読むようになり、詩編109編は「イスカリオテの詩編」(Psalmus Ischarioticus)と名づけられるようになったのです。しかも、キリスト教は「イスカリオテのユダ」を「ユダヤ人」の原型と見なし、それがそのままキリスト教のユダヤ人に対する呪詛とユダヤ人迫害を正当化する聖書的根拠とされるようになったのです(エーリヒ・ツェンガー)。
 この復讐の連鎖は今も続いています。キリスト教がユダヤ人を理不尽に迫害したように、キリスト教は「イスラム嫌悪」(Islamophobia)によってイスラム世界を呪ってきました。そして、その復讐の連鎖はさらに形を変え、イスラエルによるパレスティナ侵略として、1947−1948年から現在のガザ侵略に至るまで続いています。
 このような歴史を振り返ると、呪いや復讐の連鎖を断ち切ることよりも、呪いや復讐に身を委ねることの方がたやすいだけではなく、それを正しいと感じてしまっているのが人間という存在だと言わざるを得ないのです。
 終戦から79年目の8月を迎えます。侵略戦争の過ちを認めて反省することが自虐史観と言われることすらなくなるほどに、かの戦争が正当化され、アジア周辺諸国に対する呪いが復讐の連鎖のように日常に侵食しています。呪いと復讐の連鎖が観念ではなく、現実になるとき、それはガザやウクライナで起こっている現実のように、人の生命は血と肉塊になり、跡形もなく消し飛ぶ阿鼻叫喚が目の前に広がるのです。その最も非道な現実を経験した被爆地の広島と長崎が、呪いと復讐に身を委ね、死と戦争の影に飲み込まれてしまっていたとしても、おかしなことだったとは言えません。しかし、広島と長崎は二度と核兵器が使用されることのないように求め、二度とあの過ちを繰り返さないように願い続けています。その姿は復讐の連鎖を断ち切ろうとする詩編の詩人と重なり、死と戦争の影に飲み込まれてしまいそうな自分に呪いと復讐の連鎖を断ち切るよう迫っているように思えるのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


無力さに打ちひしがれながらも
――しつこく何度でもガザに拘り続ける――

6また、彼はわたしに言った、「成就した。わたしはアルファ[であり]、そしてオメガ[である]。初め[であり]、そして終わり[である]。わたしは渇いている者に生命の水の泉からただで与えよう。
(ヨハネの黙示録21章6節[私訳])

 ヨハネの黙示録は世の終わりの出来事を預言する文書として書かれています。しかし、その内容は実際には未来の予知ではなく、紀元1世紀後半のローマ帝国支配下において民衆が飢えと渇きに瀕し、命を落としていた現実を炙り出そうとしているのです。
 冒頭に引用した黙示録21章6節は終末の出来事が全て成就した後に、天地の創造(アルファ=初め)から世界の終末(オメガ=終わり)までの全てを司る神が、渇く者をひとりも取り残すことなく、尽きることのない「生命の水の泉」を「ただで」与えてくれるとの約束です。「ただで」と訳したδωρεάν(ドーレアン)は元来「賜物」や「贈物」を意味する語ですので、「生命の水の泉」は現世で渇いている者だけが来世で享受できる神の賜物や贈物であるという神の偏愛が表明されています。しかし、これは未来の天国の素晴らしさを描写しているようでありながら、実際には黙示録の著者が目の当たりにしていた飢えと渇きに喘ぐ者たちが置かれている現実世界のむごたらしさを描いているのです。自分の力では飢え渇く人たちを助けることのできない無力さに打ちひしがれ、黙示録の著者はせめてローマ帝国支配という悪辣なこの世界が滅びて天国=神の国が到来するときには、神がそれらの人たちを嘉せられるようにとの願望を来世に託さざるを得なかったのです。
 キリスト教の小部屋の担当者が今月の聖書の言葉として黙示録21章6節を選んだのは、4人に1人が飢餓の状態にあるガザの人たちを助けることのできない無力さに打ちひしがれ、せめて来世ではとの思いを持つほかにはないペシニズム(厭世主義)に押しつぶされそうになりながらも、今この現実世界でガザの飢え渇く人たちを助けたいとの思いを諦めることなどできようはずがないからにほかなりません。イスラエルによるガザの侵略が始まってからは、毎月のようにガザがテーマになっており、特に今月はその魂の奥にある呻きから、ガザの人たち、特に飢え渇く子どもたちに思いを馳せていることを実感しつつ、黙示録の言葉を受け取りました。
 このようにしつこいほどにガザに拘る姿はヨハネの黙示録とも重なります。なぜなら、黙示録の著者は7章16−17節や22章17節でも、飢え渇く人たちを助けたいゆえに、渇いている人に生命の水を神が飲ませてくださるとの約束を繰り返しているからです。何度繰り返しても届くことのない現実に直面しているからこそ、また同じ奴がまた同じことを言っているという蔑みの視線と声に曝されようとも、等閑に付すことなどできないのがガザの人たちの生命であり、その生命と直結する飢えや渇きというガザの人たちが置かれている現実です。黙示録から2千年のときを経ても、権力者や為政者の暴挙や愚挙によって被害を蒙るのは民衆、とりわけ子どもたちであるという現実は変わってなどいません。来世に希望を託すことしかできないような現実の直中にあって、自分の無力さに打ちひしがれながらも、現世でしつこく何度でもガザに拘り続けたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


強奪された者たちが叫んでいる
――ガザの人たちの叫び声が届く場所に――

  1さあ、だから富める者たちよ、迫り来るあなたたちの悲惨さを前にして泣き叫ぶがよい。2あなたたちの富は腐ってしまい、あなたたちの衣服は虫が喰ってしまっている。3あなたたちの金と銀は錆びており、それらの錆があなたたちに対する証しとなって、火のようにあなたたちの肉を喰らうであろう。あなたたちは終わりの日々にありながら富を蓄えたのである。4見よ、あなたたちの畑を刈り入れた労働者たちの賃金、つまりあなたたちによって強奪された賃金が叫んでいる。そして、収穫した者たちの叫び声が万軍の主の耳に入っている5あなたたちは地上で贅を尽くし、放蕩に耽り、屠りの日にありながらあなたたちの心を太らせたのである。6あなたたちは義人を断罪し、殺害した。彼はあなたたちに敵対していない。
(ヤコブの手紙5章1−6節[私訳])

 

 ヤコブ書5章1−6節は古代地中海世界において農産物を取り仕切る大土地所有者を厳しく批判する内容が記されています。ここで批判に曝されている大土地所有者とは、現代世界の穀物メジャーのようなグローバル企業に相当すると言えば分かりやすいでしょうか。4節前半で新共同訳聖書が「支払わなかった(賃金)」と訳しているギリシャ語のἀποστερέω(アポステレオー)は「強盗する」や「略奪する」という意味ですので、私訳に掲げたように「強奪された(賃金)」を意味します。ですから、ここで言われているのは、単に賃金が支払われていないことだけを言っているわけではなく、賃金そのものが不当に低く抑えられていたり、労働者を借金漬けにして不当な利息を搾取したりすることなどを含めて、当然支払われる賃金が不当に支払われていない状態が恒常化していたことを批判しているのです。
 このように考えると、5節は単に金持ちを批判しているだけではなく、貧しい者から悪辣に強奪して得た富によって、贅を尽くし、放蕩に耽っている者を批判しているということが分かります。そして、それがまさに2−3節の富める者の富が腐敗し、衣服に虫が喰い、金と銀が錆び、その錆が広がっていくように、富が富める者を侵食してしまう状態でもあるのです。しかし、4節後半にあるように、富める者たちによって強奪され、搾取された者たちの叫び声が神にまで届いており、それは1節、3節後半、5節が指摘するように、富める者たちを襲う悲惨な結末として間近に迫っているとヤコブ書は告発するのです。そして、最後の6節では富める者が義人を罪に定めて殺していると批判し、この世界では「富める者=力のある者」が「義人=力のない者」を虐げて罪人に仕立てて殺すことさえあり、しかも無抵抗の「義人=力のない者」が殺されているというのです。
 今この時代の直中においてヤコブ書5章1−6節を読むとき、それは日本社会においては増税という名目で賃金を強奪する政府や非正規雇用や不況という名目で賃金を強奪する資本が富を専有し、相対的貧困や格差が広がっている現状となって迫ってきます。しかし、国際社会に目を転じると、ここ最近はメディアにあまり取り上げられなくなっている感のあるパレスティナ・ガザでは、第一次世界大戦以降の欧米の中東政策や利権問題に端を発するパレスティナに対する強奪や搾取の流れがイスラエルに引き継がれ、パレスティナは生命、土地、家屋、財産、仕事、食料をはじめとする衣食住および人権や教育などの強奪と搾取に曝され続けている現状として露わになっています。そして、5月26日にイスラエルがガザの避難民に移動を命じたラファ難民テント村のまさにその場所を爆撃した殺戮は、ヤコブ書5章6節が批判する無抵抗の義人を断罪して殺害した「罪」が再び繰り返されたことを如実に示しているのではないでしょうか。
 もはや抵抗することすらできないガザの人たちが断罪され、殺害されています。「強奪された者たちが叫んでいる」のです。それは「ガザの人たちの叫び」です。その叫び声は「万軍の主の耳に入っている」だけではなく、わたしたちにも届いています。ガザの人たちに思いを寄せ、強奪されているガザの人たちの叫び声が届く場所にいることからはせめて逃げないでいたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


荒野から世界を見る
――荒野の洗礼者ヨハネに寄せて――

  4洗礼者ヨハネが荒野に起こり、そして〔諸々の〕罪の赦しに至る悔い改めの洗礼を宣べ伝えていた。5すると、彼のもとにユダヤ地方の全域とエルサレムの全住民が出て来て、自分たちの〔諸々の〕罪を告白して、彼〔=ヨハネ〕からヨルダン川のなかで洗礼を受けた。6さて、ヨハネはラクダの毛〔革〕を着て、革のベルトを自分の腰の周りに締め、イナゴと野蜜を食べていた。(マルコ福音書1章4−6節[私訳])

 

 洗礼者ヨハネは自らの教団を設けて荒野で洗礼運動を展開していました。この時代のユダヤ教にはクムラン教団に代表される荒野で修道士のように共同生活する人たちがいました。ヨハネもクムラン教団もユダヤ教の宗派であるエッセネ派の流れに属していたと考えられます。ヨハネが巷間から離れ、荒野に退いたのは、腐敗した祭司や貴族といった支配者の権力に背を向けたからです。人の住まない荒野は野獣や野盗がいて危険な場所でもあったのですが、世俗から隔絶された静寂の場でもあったからです。
 そのヨハネのもとにエルサレムを中心とするユダヤの人たちが続々と押し寄せて来たとマルコ福音書は伝えています。この報告は誇張されてはいますが、ヨハネに魅了された人たちがいたことは確かです(ヨセフス『ユダヤ古代誌』18:118)。しかし、ヨハネは領主ヘロデ・アンティパス(ヘロデ大王の息子)の行状を批判した廉で捕えられ、有名なサロメの舞の場面で斬首されてしまいます(マルコ福音書6:14−29)。このような事態に至ったのは、ヨハネのカリスマ性や人気に支配者のヘロデ・アンティパスが怯えていたからにほかなりません(マルコ福音書6:14−16、ヨセフス『ユダヤ古代誌』18:116−119)。
 預言者エリヤの再来と呼ばれていることからも推し量れるように、ヨハネにとって荒野は支配者の力が及ぶことのないアジール(逃れ場/逃れの町)でした。しかし、エリヤの時代とは異なり、ヨハネの時代の支配者は荒野に逃げた危険分子を放っておいてはくれませんでした。このようなヨハネの姿はいくら逃げても住む場所を奪われてきた現代のパレスティナの人たちの現状とも重なります。
 紀元392年にキリスト教がローマ帝国によって国教化されたのと相前後して、修道院が増えていったと言われます。これは権力と結びついたキリスト教に背を向け、権力から距離を置いて世俗から隔絶された「荒野」で生きることを選んだ人たちがいたことを意味します。確かに、巷間に出て生きる方が世情に通じ、世の中の現実を身をもって味わえます。しかし、世間から離れてみてはじめて見えて来る世の中の現実もあるのです。洗礼者ヨハネが身を置いた荒野は小さな世界でしかなかったかもしれませんが、その小さな世界に身を置くことによって、この世界をより透徹して見ることを可能にしたのです。そして、ヨハネのもとを訪れた人たちが巷間に戻り、その人たちがヨハネの荒野の視点を継ぎ、小さな世界から大きな世界を見つめ直し、やがてヨハネの弟子であったイエスにバトンが渡されていったように思えるのです。
 現代世界はグローバリズムの名の下に常にグローバル化した大きな世界に身を置いて物事を考え生きるよう急かされます。しかし、荒野の洗礼者ヨハネはグローバリズムによって忘れられがちになってしまうことに気づくようわたしたちを呼び起こしてくれているのです。なぜなら、ヨハネが生きた時代もローマ帝国を中心とするグローバリズムの波が押し寄せ、ユダヤ世界の地域性や独自性が失われかけていたからです。わたしたちはグローバル化した世界がどこか遠くの外国にでもあるかのように思い違いをしてしまいがちですが、現実には自分が生きている小さな生活世界もグローバル化の波から決して自由ではありません。自分の小さな生活世界の些細な変化に気を留めることが世界を理解することに繋がるのだとすれば、幻想のようなグローバル化した世界に幻影のように生きることではなく、荒野が象徴する小さな生活世界に地に足をつけて考え生きることが大切だとは言えないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


絶望のメシア
――希望と絶望を抱えつつ生きる――

 29すると、通りすがりの者たちが頭を振って彼〔=イエス〕を蔑み、そして言った、「おい、神殿をぶっ壊して、三日で建てる〔とほざいた〕野郎、30十字架から降りて、自分で自分を救ってみろ」。31同じように祭司長たちも律法学者たちと一緒になり、嘲って〔仲間内で〕言い合った、「こいつはほかの者らを救ったというのに、自分を救うことはできないのだな。32キリスト〔=メシア〕、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りてみるがよい。〔それを〕見せてくれるなら信じようではないか」。また、彼〔=イエス〕と共に一緒に十字架につけられた者たちも彼を罵った。
(マルコ福音書15章29−32節[私訳])

 冒頭の引用はイエスが十字架上で侮蔑される場面です。31節でイエスは「こいつはほかの者らを救ったというのに、自分を救うことはできないのだな」と皮肉たっぷりに言われています。つまり、イエスが誰かを救ったなどというのは単なる夢物語でしかなく、こんなふうに十字架につけられて自分を救うことすらできないのだから、イエスは誰ひとりとして救うことのできない夢想家でしかないと言われているということです。そして、この直後にイエスは「神よ、神よ、どうして俺を棄てるんだ」(34節)と叫び、最後にもう一度「大声を発して息絶えた」(37節)とマルコ福音書は伝えています。ここにいるのは誰ひとり救えない現実を突きつけられ、その生涯の全てを否定し尽くされて息絶えた「絶望のメシア」とでも言えるイエスです。
 このように「絶望のメシア」として描かれるイエスの姿は、ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルによるパレスティナ・ガザ侵攻が突きつける「ひとつの命」の尊厳にいつの間にか鈍感になってしまっているわたしたちを告発するかのようです。確かに、わたしたちは遠く離れた日本の地から、平和を求めて行動や発言を繰り返したり、「キリスト教の小部屋」の記事を更新したりすることで、「命」に思いを馳せてはいます。しかし、わたしたちは遠くにいるガザの人たちのひとりを「救う」ことができないばかりか、身近なひとりの人を「救う」ことすらできてなどいません。確かに、わたしたちも現実世界の不条理を突きつけられ、失望し、後悔の念に押し潰されてはいるでしょう。しかし、十字架上のイエスのように絶望しているなどとはとても言えません。身近な人が目の前で殺され、自らも命を奪われているガザの人たちのように絶望などしていないのです。
 2024年のイースターを迎え、イエスの復活が語られています。イエスの十字架刑とイエスが殺されたという現実があたかも復活の通過点でもあるかのように流されてしまってはいないでしょうか。イエスが絶望の淵で息絶える直前に、誰かを救えるというイエスの希望は絶望となって十字架上のイエスに襲いかかってきたのです。この世界には希望を持つことすら許されない現実があります。希望がない代わりに絶望もない世界です。希望しない代わりに絶望しないのか、希望する代わりに絶望するのか。それでも、この世界の不条理をどうにかしたいと希望してしまうのだとすれば、誰ひとり救えない現実を突きつけられ、絶望してしまわざるをえないとしても、「絶望のメシア」を仰ぐ者として、希望と絶望を抱えつつ、この世界を生きるしかないと今は言いたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


飢えている者は幸いか?
――満腹して笑える世界と神の支配(神の国)――

21幸いなるかな、今飢えている者たち。
あなたたちは満腹するようになるのだから。
幸いなるかな、今泣いている者たち。
あなたたちは〔ゲラゲラ〕笑うようになるのだから。

25禍いあれ、あなたたちに。
今満ち足りている者たち。
あなたたちは飢えるようになるのだから。
禍いあれ、今〔ゲラゲラ〕笑っている者たち。
あなたたちは嘆き、泣くようになるのだから。
(ルカ福音書6章21、25節[私訳])

 

 「幸いの言葉」はマタイ版の「山上の説教」(マタイ福音書5−7章)に並行する内容が伝えられていますが(マタイ福音書5章3−12節)、上に引用したルカ版の「平野の説教」(ルカ福音書6章17−49節)にイエスの語った本来の息づかいが残されています。しかし、いくらイエスの言葉だといっても、21節の「飢えている者」や「泣いている者」が「幸い」だという宣言に簡単に納得などできないというのが素直な感想ではないでしょうか。なぜなら、SDGsの目標2が「飢餓をゼロに」であることからも分かるように、飢餓は以前からこの世界が抱える逼迫した問題であり、飢えるということが「幸い」でないことはあまりにも明白だからです。ユニセフの調査によれば、世界の総人口80億人の9.2%に当たる7億3500万人が飢餓に直面し、年間282万7180〜719万1120人もの人たちが飢餓によって命を落としているというのです。このような現実からも、「飢えている者は幸い」であるわけはないのです。
 では、イエスは「嘘」を言っているのでしょうか。そう、イエスは敢えて「嘘」を言っているのです。「嘘」というと誤解を招いてしまいますので、敢えてこのような「逆説」(反対の考え)を宣言することで、イエスはわたしたちに注意を喚起していると言い換えると分かりやすいでしょうか。イエスの時代にも多くの難民がいました。イエスはパレスティナ周辺を旅するなかで多くの難民や寄る辺のない人たちと出会いました。イエスの奇跡が食べ物を食べさせることであったり、「主の祈り」(イエスの祈り)が「わたしたちに今日食べるパンを毎日与えてください」という――明日のパンではなく――その日のパンに事欠いている人たちの思いに寄り添うものであったりしたというのは、食べられない「不幸」をイエスが身近に感じていたからです。
 このような観点から、「飢えている者」や「泣いている者」が「幸い」だというイエスの言葉を読み直してみると、イエスが敢えて「逆説」(反対の考え)を宣言することで、「逆説」が指し示す問題そのものを敏感に察知できるようわたしたちを促していることが分かります。つまり、「飢え」がいかに「不幸」であるのかを知っているからこそ、敢えて「飢え」を「幸い」と宣言することで、「飢え」という根源的な問題に無頓着になっているわたしたちに問題の重大さを突きつけているということです。そして、この観点から25節を再読すると、「満ち足りている者」が「禍い」(不幸)だというのは、――マリア讃歌の一節であるルカ福音書1章52−53節が宣告するように――飽食を享受する支配者たちを引き摺り下ろし、「飢えている者たち」が「満ち足りる」ようになる世界を実現しようとする思いがこの「逆説」に込められていることも了解できるのです。
 この「逆説」を現在の日本社会に当てはめると、裏金を作り私服を肥やす政治家を批判し、税金や社会保障や物価高で苦しむ人たちの思いに寄り添うことであるのかもしれませんが、おそらくそれ以上に世界の飢えに喘ぐ人たちの問題に注意を喚起し、さらに日本社会の飢えの問題にも気づくようにと促しているように思えるのです。確かに、世界に蔓延する絶対的貧困は日本にはほとんどないと言えるのかもしれませんが、日本の相対的貧困率は15.7%に上り、人口に換算すると1900万人という膨大な数になります。また、ひとり親世帯(134万4000世帯)――とりわけ母子世帯(119万5000世帯)――の半数が相対的貧困の状況にあり、日本でも飢餓を経験した人は総人口の5.1%に相当する613万人に上ると言われています。やはり「飢えている者は幸い」などと軽々に言うことなどできない現実があるのです。
 キリスト教の小部屋では、これまでガザの平和を求め、戦争に反対の声をあげてきましたが、戦争のない状態(消極的平和)すらない状況に声をあげる以外に方途のない無力さを感じてきました。能登半島地震の被災者が安心して暮らせる状態(積極的平和)にないことに十分な支援ができないことにも同様の力のなさを実感しています。イエスの逆説が伝えるように、「飢え」は「幸い」ではなく「不幸」(禍い)です。しかし、私服を肥やす政治家が果たして本当に「幸せ」だと言えるのでしょうか。
 「〔ゲラゲラ〕笑う」と訳したのはγελάω(ゲラオー)という動詞であり、「大笑いする」というニュアンスなので、ゲラオーにかけて「〔ゲラゲラ〕笑う」と訳したのですが、25節の飽食を貪る者がゲラゲラ高笑いする姿が「幸い」とは思えないのです。私服を肥やす政治家のようになりたいとは思えないからです。しかし、21節が伝える「飢えている者」や「泣いている者」が「満腹」して「ゲラゲラ笑う」ようになること、小さいかもしれないけれど、そこにこそ「幸い」があるように思えるのです。イエスが人々と一緒に食べたり飲んだりした話が福音書に繰り返し現れます。小さいかもしれないけれど、そこで人々は「幸い」を実感していたのです。イエスは「飢えている人」や「泣いている人」が「満腹する姿」や「ゲラゲラ笑う姿」に自分が宣べ伝える「神の支配」(神の国)の実現を垣間見ていたのではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


 

アブラハムの子孫として
――ガザとイスラエルの和解を求める――

28ユダヤ人もギリシャ人も存在せず、奴隷も自由人も存在せず、男性と女性は存在しない。なぜなら、あなたたちはみなキリスト・イエスにおいてひとりだからである。29もしあなたたちがキリストのものであるのなら、あなたたちはアブラハムの子孫であり、約束による相続人たちだからである。
(ガラテヤ人の信徒への手紙3章28−29節[私訳])

 ガラテヤ書3章28−29節は、民族差別、身分差別、性差別を止揚するキリスト教の平等性の根拠となる聖書テクストとして頻繁に引き合いに出されてきました。しかし、これはあくまでも教会内倫理として、キリスト教徒が教会内においては差別することもされることもないという限定条件つきの平等が語られているにすぎません。しかも、パウロが敢えて差別ゼロ宣言をしていることから、実際には教会内に差別が横行していたことが想像できるのです。したがって、パウロのこの言葉を手放しで賞賛することはできません。にもかかわらず、担当者が今月の聖書の言葉としてこのテクストを選択したのは、現在のパレスティナ・ガザの惨状を考えるとき、この言葉に一縷の希望があると感じたからにほかなりません。

 ガラテヤ書3章28−29節において、パウロの関心が置かれているのは、29節がアブラハムに言及していることからもうかがわれるように、民族の垣根の問題です。パウロはキリストにおいて民族間の障壁が取り除かれ、「キリストのもの=キリスト教徒」もまたユダヤ人と並んで「アブラハムの子孫」(単数形)となり、「約束による相続人たち」(複数形)になると言っているのです。これはキリスト教徒もユダヤ教徒と並んで、救いに与れるということを述べており、パウロの論理に従えば、ユダヤ教徒もキリスト教徒も「アブラハムの子孫」なのです。そして、この「アブラハムの子孫」というパウロの論理を突き詰めると、それは現代の宗教間対話において展開されている「アブラハムの宗教」に逢着します。すなわち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という一神教は全てアブラハムの信じた同じ神を信仰する宗教だという考えです。

 イスラエルとパレスティナ・ガザの戦争という名の殺戮の連鎖を止めるためには、「アブラハムの子孫」や「約束による相続人たち」という開かれた宗教的言説を通じて、パレスティナ人とイスラエル人の双方が「アブラハムの子孫」として、民族の垣根を超えて、「約束による相続人たち」となって、パレスティナ/イスラエルの地に共存していくしか現実的には道はないように思えるのです。わたしたちキリスト教徒もまた、ユダヤ教徒とイスラム教徒と同じく「アブラハムの子孫」に属しています。「アブラハムの子孫」として、「アブラハムの宗教」に連なる者として、パレスティナ・ガザとイスラエルの和解を求めたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


逃げて、愛しい人

――「逃げて」と言える雅歌の世界線に希望を置く一年を――

13「園に住まう女(ひと)よ、
〔貴女の〕仲間の男たちが貴女の声に注意を向けている、
〔貴女の声を〕俺に聞かせて。」
14「逃げて、愛しい男(ひと)よ、
そしてカモシカや若いシカのようになって、
香料の山々の上で。」
(雅歌8章13−14節[私訳])

 雅歌は古代ユダヤの恋愛詩集であり、引用した8章13−14節は雅歌の最後を飾る恋愛詩です。この詩に登場する「園に住まう女」と「愛しい男」は恋人同士なのですが、どうやら敵対する集団に属しているようです。このように解釈すると、13節の「仲間たち」がこの女の属する集団の男たちを指しており、敵対する男を捕まえるために罠を仕掛け、その罠から「愛しい男」を救うために、14節で女が「逃げて」と声を張り上げている意味が理解できるのです。
 今回担当者から雅歌8章13−14節が指定されたとき、新共同訳の訳文が一緒に送られてきたのですが、第一印象はやはり雅歌の異性愛主義(異性間恋愛主義)と恋愛至上主義であり、担当者もそれを重々承知のうえで、このテクストに何か感じるところがあったとのことなので、少々重たい気持ちでヘブライ語原文を眺めてみました。すると、そこには新共同訳の訳文とは全く異なる世界線が広がっており、新共同訳が「急いでください」と訳しているヘブライ語のבָּרַח(バーラハ)がここでは「逃げる」という意味で使われていることも了解できたのです。
 この詩の内容を如上のように解釈できるとすれば、パレスティナとイスラエルやウクライナとロシアのように、民族や国などによって愛情や友情を引き裂かれた人たちの心情と通底する内容がここに記されていることが分かります。それは異性間の愛情だけではなく、同性間の愛情にも当てはまるものであり、さらには恋愛という枠組みには納まることのない友情にも該当すると言えるのです。
 雅歌8章14節において、恋人に会うために罠だと知りつつ敵陣に来た「愛しい男」に向かって、主人公の女は――「戦って」ではなく――「逃げて」と叫ぶのです。愛しい人に生きて自分のもとに戻ってきて欲しいと願うとき、「戦って」と求める世界線は絶望でしかありません。「逃げて」と言える雅歌の世界線こそが新しい年の一縷の希望ではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


クリスマスにガザの平和を願う
――ロバに乗ったメシアによる戦争放棄と平和の宣言――

  9大いに喜べ、娘シオンよ、
歓声を上げよ、娘エルサレムよ。
見よ、あなたの王があなたのもとに来る。
彼は義とされ、救われた者である。
貧しく、ロバに乗る者、
雌ロバの子である雄ロバに。
10わたしはエフライムから戦車を、
エルサレムから軍馬を断つ。
戦の弓は断たれ、
彼は諸民族に平和を語る。
彼の支配は海から海にまで、
大河から地の果てにまで及ぶ。
(ゼカリヤ書9章9−10節[私訳])

 

 ヘブライ語聖書(旧約聖書)にはシオニズムを正当化する言葉があり、そのことからユダヤ教の総体が現在のイスラエルを全肯定していると勘違いしてしまう向きがあります。しかし、歴代のラビたちはユダヤ人のディアスポラ(離散状態)ないしガルート(追放状態)を自分たちの罪を償うための宗教的義務と解釈し、その系譜に連なる現代のユダヤ教超正統派(ネトゥレイ・カルタ)はシオニズムに断固反対の立場を表明しています。ユダヤ教徒が一様に現在のイスラエルを支持しているわけではないのです。それと同様にヘブライ語聖書が一様にメシアの武力による世界統治を肯定しているわけではありません。
 その典型が冒頭に引用したゼカリヤ書9章9−10節のメシア預言です。ここに登場するメシアは能動的に「救う者」(救済者)として世界に君臨しているのではなく、受動的に「救われた者」(新共同訳「勝利を与えられた者」、協会共同訳「勝利を得る者」)であり、貧しく、ロバに乗るメシアなのです。このメシアは全イスラエルから戦車と軍馬を、そして全世界から弓(武力)を断つことによって、世界中の人々に平和を語るのです。イエスのエルサレム入場がロバに乗った姿で描かれているのはユダヤ教の平和のメシア像を体現するものであり、古代ユダヤのラビ文書にはロバに乗った平和のメシアが繰り返し登場するのです。
 1948年のイスラエル建国によって事態が一変してしまったとはいえ、パレスティナ人は長い間、土着の民としてパレスティナの地に暮らし、そこでユダヤ人を隣人と遇して暮らしてきたのです。そして、イスラエルにはパレスティナ人の土地を奪うことを忌避し、共生を願う人たちがいるのです。イスラエルのメシアはロバに乗った平和のメシアであり、イスラエルによるパレスティナの武力統治や戦争がユダヤ教信仰に反していると信じているのです。
 翻って、キリスト教を省みると、その姿は平和の反対に身を置き続けてきたようにすら感じられます。ロバに乗った平和のメシアの系譜を継ぐイエスの誕生を祝うクリスマスに、キリスト教こそが武力ないし戦争を放棄し、世界に平和を語る責務があるとは言えないでしょうか。クリスマスにガザの平和を願います。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


ガザに平和を

  33見よ、眠らずにいなさい。あなたたちはその時がいつなのかを知らないからである34それは土地から離れているある人が自分の家を離れるときに、自分の僕たちに権限を与え、ひとりひとりにそれぞれの仕事を与え、門番に目を覚ましているよう命じるようなものである。35だから、目を覚ましていなさい。あなたたちはその家の主人がいつ来るのか、それが夕方か夜中か鶏が鳴く頃か朝かを知らないからである。36家の主人が突然来て、あなたたちが居眠りしているのを見つけることがないように。37あなたたちにわたしが言っていることを、全ての人たちにわたしは言っているのである。目を覚ましていなさい。(マルコ福音書13章33−37節[私訳])

 2023年10月17日にパレスティナのガザにあるアハリー・アラブ病院が爆撃されたというニュースが飛び込んできました。親しい人たちがアハリー・アラブ病院を支援する会を運営しており、そのひとりである友人(本サイトの企画者)から今月の聖書箇所のマルコ福音書13章33−37節が伝えられると同時に、ガザで起きている現実に胸が潰れるとの言葉が送られてきました。冒頭に引用したのは「小黙示」(マルコ福音書13章)と呼ばれる聖書の一節であり、世の終わりがやって来るときに目を覚ましているようにと警告するイエスの言葉です。これは世の終わりを予期しているという意味では、現代世界に生きるわたしたちには非現実的に映ってしまうかもしれませんが、友人が着目したのは37節「あなたたちにわたしが言っていることを、全ての人たちにわたしは言っているのである。目を覚ましていなさい」という言葉です。ガザの人たちは現実に安心して居眠りなどすることのできない状況に置かれていることをわたしたちは知らされています。それは小黙示が伝える終末の戦争を彷彿とさせます。イエスの言葉はパレスティナとイスラエルにだけに向けられているのではなく、わたしたち「全ての人たち」に「見よ、眠らずにいなさい/目を覚ましていなさい」と告げているのです。それは戦争のためにではなく、平和のためにです。ガザに平和をとの願いを込めて、アハリー・アラブ病院を覚えて支援の輪を広げたいとの思いでいます。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 ※アハリー・アラブ病院は1882年に聖公会が設立し、1954年に南部バプテスト連盟が運営を引き継ぎ、1980年代初期に聖公会に運営が戻され、現在は聖公会のエルサレム管区が運営しています。日本では「アハリー・アラブ病院を支援する会」が支援活動を行っています。

 ※パレスティナ問題はバイアスのかかった報道が多いため、正確な情報を知ることがとても大切になってきます。大学の授業でパレスティナ問題を扱うときには、以下のウェブサイトを学生と一緒に確認しています。このサイトによれば、ガザの医療施設の攻撃はすでに50件を超えており、アハリー・アラブ病院の爆撃も報じられています。

If Americans Knew(https://ifamericansknew.org/


 

時代を変える女性の物語

――詰める女と詰められるイエス――

 24さて、彼はそこから立ち上がってティルスの領域へと出かけて行った。そして、彼はある家に入ると、誰にも知られたくないと思った。そして、彼は隠れていることができず、25すぐにある女が彼のことを聞きつけた。彼女の娘が汚れた霊に憑かれており、彼女はやって来て、彼の足もとにひれ伏した。26さて、その女はギリシャ人であり、種族としてはシロ・フェニキア人であった。そして、彼女は彼に自分の娘から悪霊を追い出してくれるよう頼んだ。27すると、彼は彼女に言った、「まずは子どもたちが満腹になるようにさせてくれ。子どもたちのパンを取り上げて、子犬たちに放り投げるのは良くないからだ」。28すると、彼女は答えて、そして彼に言う、「主よ、食卓の下の子犬たちだって子どもたちの〔こぼした〕パンくずは食べるのですよ」。29すると、彼は彼女に言った、「この言葉のゆえに、帰りなさい。あなたの娘から悪霊は出て行った」。30そして、彼女が自分の家に立ち去ると、彼女はその子どもがベッドの上に放り投げられ、悪霊が出て行ったのを見出した。

(マルコ福音書7章24−30節[私訳])

 マルコ福音書7章24−30節は「シロ・フェニキアの女の娘の癒し」と呼ばれる奇跡物語です。この物語をイエスの側から見ると、誰にも知られずに過ごそうとしているプライベートな時間にズカズカと入り込んできた女性に腹を立て、異邦人に関わっている暇はないと冷たい態度を取ってしまったものの、彼女の機知に富んだ言葉に感嘆したイエスが悪霊を追い出したという筋書きが浮かんできます。しかし、この物語を女性の側から見ると、この女性はイエスの足もとにひれ伏して懇願しているにもかかわらず、犬呼ばわりしてくるイエスにキレて、ひれ伏した状態からイエスを見上げて睨みつけ、「子犬にだってパンくずくらいくれたっていいじゃない!」とイエスを詰め、この女性に詰められてタジタジとなったイエスが悪霊を追い出さざるをえなかったように映るのです。前者の解釈が一般的ですが、後者の解釈の方がイエスを身近に感じられるのではないでしょうか。実はこの物語には「イエス」という固有名詞が出て来ないのですが、伝承とマルコの双方がバツの悪いイエスを描くことを遠慮しているように感じられるのです。ここでイエスはバツの悪さに逆ギレすることなく、この女性の言動を通して反省し、その姿勢を変えられています。その意味では、神の子をも動かす「詰める女と詰められるイエス」の物語は、時代を変える女性の物語として再読することができるのではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


関東大震災の朝鮮人虐殺から100年を覚えて

 5さらに、ギレアドはエフライムに通じるヨルダン川の渡し場を占領した。エフライムの逃亡者たちが「渡らせてくれ」と言ってきたとき、ギレアドの男たちが「お前はエフライム人か」と言うと、彼は「違う」と言った。6すると、彼らは彼に「シッボーレト」と言ってみろと言い、彼が「スィッボーレト」と言って正確に発音できないと、彼らは彼を捕らえてヨルダン川の渡し場で虐殺した。こうして、このときエフライムのうちから4万2千人が斃(たお)れた。
(士師記12章5−6節[私訳])

 

 冒頭の引用は2022年9月1日に日本基督教団HPにアップされた金迅野牧師(在日大韓基督教会横須賀教会)のメッセージ「『関所』で新しい『われわれ』を紡ぐ」が用いている聖書箇所の一節です。このメッセージおいて、金牧師は関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒をまいている」といったデマが流れ、戒厳令が敷かれたとき、語頭に濁音が立たない朝鮮語の特徴を利用して、軍隊や自警団が朝鮮人を見つけ出すために、「15円50銭(じゅうごえん・ごじゅっせん)」と言ってみろと言い、「ちゅうこえん・こじゅっせん」と正確に発音できない人を虐殺した歴史に触れています。
 士師記12章5−6節は紛争を制したギレアド人がエフライム人を殲滅するために、エフライム人がשׁ(sh)の発音ができずにס(s)と発音することを利用して、渡し場に来た者に「シッボーレト」(שִׁבֹּלֶת)という言葉を正確に発音できるかどうかを確認し、「スィッボーレト」(סִבֹּ֗לֶת)と発音するや否や虐殺したという物語です。ヘブライ語のシッボーレトは「穀物の茎」や「水流」を意味しますが、ここでは単にשׁ(sh)を発音できないエフライム人を罠に嵌めるためだけに持ち出されています。
 この士師記の故事から、ある社会集団の成員と非成員を選別して排除する指標として用いられるフレーズや合言葉を意味する「シボレート」(シボレス)の概念が生み出されました。そして、日本でシボレートが用いられた代表的な事件こそが、先に紹介した金牧師が触れている今年100年を迎える関東大震災における朝鮮人虐殺にほかなりません。このようにシボレートとは特定の氏族や民族に対する憎悪から生み出され、士師記の「シッボーレト」や関東大震災の「15円50銭」という何気ない言葉が生と死の境を決定してしまったのです。関東大震災の朝鮮人虐殺から100年を覚えて、その歴史すらなきものにしようとする時代に抗して、「15円50銭」というシボレートによる朝鮮人虐殺という加害の歴史を忘れないとの思いを新たにします。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


安心して眠れる夜を
――ひとりひとりの生と平和を大切に――

6わたしは横たわって眠り、目を覚ましました。
ヤハウェがわたしを支えてくださるからです。
7わたしは恐れません。
取り囲んでわたしに迫り来る万の民を。
(詩編3編6−7節[私訳])

 詩編3編6−7節は身を横たえることすらままならない苦悩の最中で、いつぶりかと思えるように安心して眠り、目が覚めたら朝を迎えていたというただそれだけのことが、いかに幸いであるのかを詠っています。この詩には誰しもが経験する悲嘆や苦悩が詠われており、詩編の詩人も孤独に苛まれて眠れぬ夜を過ごすわたしたちと変わらぬ苦悩を抱えていたことに慰められる思いがします。しかし、日本の侵略戦争を懺悔しつつ、広島、長崎、沖縄にも思いを馳せる暑い夏にこの詩編を読むと、やはり戦時下の状況が浮かんできます。戦争は民族や国などの一定の社会的集団の問題として大局的に捉えられる傾向にありますが、そこに個々の人間がおり、個々の「生」(生命・人生・生活)があるということが忘れられているとの感を禁じえません。詩編3編6−7節は民族や王国という社会的集団よりも、ひとりの詩人の「生」に徹底してこだわり、ひとりの人間存在にフォーカスを当てています。神学的に戦争や国家を省察することも重要かもしれませんが、せめて8月だけは安心して眠れぬ夜を過ごしている個々の人間の思いに寄り添い、ひとりひとりの生と平和を大切にする日々にしたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


友として
――部落解放祈りの日に寄せて――

  さて、ペトロは相当の日々をヤッファにある革なめし職人シモンのもとに滞在したのであった。
(使徒言行録9章43節[私訳])

 冒頭の引用はペトロがタビタという女性弟子を甦らせた死者蘇生の奇跡物語(使徒言行録9章36−43節)を締め括る描写です。ペトロが奇跡を行った後に向かったのは皮なめし職人シモンの家でした。古代ユダヤ世界では「皮なめし」は動物の死と血に触れることや悪臭を放つことを理由に穢れた職業として差別の対象とされていました。時代や文化は異なりますが、ここには被差別部落の伝統的職業に対する差別と通底する問題があることに気づかされます(栗林輝夫)。ペトロがシモンのもとに滞在した期間を新共同訳聖書や協会共同訳聖書は「しばらくの間」と訳していますが、正確には私訳に示したように「相当の日々」ですので、長期間ペトロがシモンの家で過ごしたことがうかがわれます。つまり、ペトロが「相当の日々」をシモンの家で過ごしたという描写からは、ペトロとシモンが友としてゆっくり一緒に過ごしていた様子が浮かんでくるのです。7月9日に「部落解放祈りの日」を迎えます。ペトロとシモンのように、友として出会い、友として一緒に歩んでいくことによって、身近な生活から部落解放を求め続けていきたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


 

子どもが大切にされる今を
——子どもの日(花の日)に寄せて——

  アーメン、わたしはあなたたちに言う、子どもを受け入れるように神の国を受け入れる者でないのならば、そこに入ることは断じてない。
(マルコ福音書10章15節[私訳])

 「子どもを受け入れるように」と訳したテクストは、「子どもが〔神の国を〕受け入れるように」と翻訳することも可能であり、それが通常の理解とされています。つまり、子どもが無垢で無力なままで神の国を受け入れる姿が模範として示されているとの解釈です。しかし、この科白(ロギオン)はイエスに触れてもらおうと近づいてきた子どもたちを妨げた弟子たちに向かって、子どもを抱き上げながら発せられたものですので、私訳のように理解するのが至当です(マルコ福音書9章37節参照)。子どもを受け入れるという当たり前に思えることが、実は古代世界では当たり前ではなく、むしろ弟子たちの態度が普通だったのです。子どもが子どもとしてその存在が認知されるのは近代になってからであり、特にこのテクストで言及されているのが「幼な子」(パイディオン)を表すことを考えると、子どもを大切にするイエスの思いは、神の国の未来にではなく、その生命さえも軽んじられていた「幼な子」を大切にする現世の今に向けられていたのです。6月の第2日曜日の「子どもの日」(花の日)を迎えるに当たって、子どもたちが大切にされる今を願わずにはいられません。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


積極的ニヒリズムを生きる
——友と食べて飲むことに一縷の希望を——

 コヘレトの言葉1章2−11節は、「空の空/空の空、一切は空である」(2節)という言葉が象徴するように、人間の歴史は太古より永遠回帰のように繰り返されるだけの空虚なものだと吐露しています。「空」と訳されているヘブライ語のהֶבֶל(ヘベル)は「霧/息/風/虚いくもの/偽り」といった意味を持っていますので、「無/空/虚無/無意味/無価値)を意味するラテン語のnihilから造られた「ニヒリズム」(虚無主義)とコヘレト書を結びつけるのも無理からぬことだと感じられます。現代のニヒリズムの祖であるニーチェが提唱したのは、あらゆるものが無意味であるゆえに、後ろ向きに生きざるを得ない消極的ニヒリズムではなく、あらゆるものが無意味であるのなら、前向きに生きることを肯定する積極的ニヒリズムだと言われています。そして、コヘレト書もまた、食べて飲むことが労苦のうちに幸せを見出すことだと繰り返し述べており(2章24節、3章12−13節)、倒れても起こしてくれる友がいることを幸いだとも語っています(4章9−10節)。福音書にはイエスの食事の場面が何度も現れ、イエスが様々な人たちと繰り広げた友愛が強調され、最後の晩餐では天国での酒宴を仰ぎ望んでいます。戦争、貧困、格差などは決してなくならないといったニヒリズムが支配するこの世界の直中において、——現世でも、そして願わくは来世でも——友と食べて飲むことに一縷の希望を見出す積極的ニヒリズムを生きるほかないのかもしれません。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


イエスの家族観
——アジール(逃れ場)としての教会——

 マルコ福音書3章34−35節はイエスと家族との間の不和や葛藤を描写する「イエスの家族」(3章20−21節、31−35節)と呼ばれるテクストを締め括る言葉です。イエスが自分の家族だと宣言する「自分の周りを囲んで座っている人たち」(34節)とは「群衆」を表します(32節)。群衆とはイエスの周りに集う寄る辺のない人たちであり、その人たちもまた家族から「おかしくなった」と言われていたイエスと同じように(21節)、家族や社会から零れ落ちてしまった存在だったのです。イエスは古代地中世界で当然視されていた子孫繁栄のための婚姻制度に背を向け、規範的な家族でいることを強制するしがらみから自由になろうとしていました。翻って現代の教会を省みるとき、教会が好む「神の家族」という理念が人を縛りつける鎖になってしまってはいないでしょうか。レントからイースターを迎えるとき、家族や社会が求める「当たり前」や「普通」という名の圧力に押し潰されそうになっている人たちのアジール(逃れ場)として教会が生まれ変わることも必要ではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


 

30アーメン、わたしはあなたたちに言う、これらのすべてのことが起きるまでは、この時代は過ぎ去ることはない。31天と地は過ぎ去るだろうが、わたしの言葉が過ぎ去ることはないであろう。(マルコ福音書13章30−31節[私訳])

レント(受難節)
——この世界の痛みを覚えつつ過ごす——

 冒頭の引用は「小黙示録」(マルコ福音書13章)において「アーメン」で導入されるイエスの唯一の言葉です。30節の「これらのすべてのこと」は24−27節の「天体の滅亡」が表す宇宙万物の終焉に至る一連の出来事を指します。また、その予兆として「戦争と戦争の噂」(7節)や「地震と飢饉」(8節)などが起きるとも言われていますが、ロシアのウクライナ侵攻、シリアとトルコの地震や飢餓に喘ぐ今の時代を彷彿とさせるかのようです。31節においてマルコは天地万物が過去のものになったとしても、イエスの言葉だけは忘れ去られることはないと断言します。ここでマルコが言うイエスの言葉とはローマ帝国支配下で抑圧や苦難を被っている人たちに向けられたイエスの福音にほかなりません。小黙示録の直後の14章からマルコ福音書ではイエスの受難物語が始まります。イエスの受難を覚えるレント(受難節)にこそ、紛争、戦争、地震、飢餓、迫害の被害に遭っている人たちを覚えて、支援を続ける必要があるのではないでしょうか。なぜなら、この世界の痛みを覚えつつ過ごすことこそが、イエスの受難に与ることにもつながるからです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


抵抗としての暴力
——強者の暴力と弱者の暴力——

 非暴力主義を掲げるキリスト教では、イエスがエルサレム神殿で暴れたという事件を「宮清め」と呼んで正当化しています。しかし、いくら誤魔化そうとも、この事件がイエスの暴力沙汰であることに変わりはありません。問題は暴力を一様に否定することで、却って暴力を肯定してしまうという逆説が生じてしまうことにあります。だが、暴力は一様ではありません。強者の暴力と弱者の暴力は同じではないのです。圧倒的な力を持つ強者の暴力と抵抗としての弱者の暴力は正反対の場合すらあります。四福音書が揃って神殿でのイエスの暴力事件を伝えているのは、イエスの暴力がやがて圧倒的な力を持つ権力者の暴力によって十字架刑へと行き着いてしまったという現実を直視しているからにほかなりません。翻って現代社会を見るとき、強者に対する弱者の抗議が暴力やテロとしてラベリングされてしまうことで、強者の暴力が等閑に付されるという逆説が生じている現実に気づかされます。「宮清め」という過激なテクストを再読することを通して、強者の暴力と弱者の暴力という暴力の両義性を再考し、今も各地で起こっている戦争や紛争という名の暴力に抗っていく力にしたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

マルコによる福音書11章15-19節
 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。 そして、人々に教えて言われた。
「こう書いてあるではないか。
『わたしの家は、すべての国の人の
祈りの家と呼ばれるべきである。』
ところが、あなたたちは
それを強盗の巣にしてしまった。」
 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。


友のための死/愛する者のための死

自分の生命を自分の友〔=愛する者〕のため棄てる、
これよりも大きな愛を誰も持っていない。

ヨハネ福音書15章13節(私訳)

 ヨハネ福音書15章13節は「友のための死」と呼ばれる有名なテクストですが、イエスの贖罪死よりも大きな愛はないことを想起し、信者にも同様に死を理念化して示しています。「友」(原文は複数形)の原意は「愛する者」ですが、ここでは16節の「奴隷」と対比して用いられています。「友/愛する者」のために死ぬことが最も大きな愛だというのは、確かに自己犠牲を厭わない無償の愛として称賛に値するのかもしれません。しかし、戦争の名において、「友のための死/愛する者のための死」はその死が自己犠牲を超えて、自ら望んだ死でもあるかのような錯覚によって死が理想化され、力を持つ者によって力を持たない者の生命が収奪されてしまう事態を引き起こします。新しい年を迎え、「戦争と戦争の噂」(マルコ福音書13章17節)が絶えない世界において、「理想主義」というラベリングに屈することなく、「平和」を求めつづけたいとの抱負を新たにします。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


マリアのクリスマス

 使徒信条はイエスが「処女マリアより生れ〔た〕」(natus ex Maria Virgine)と告白していますが、その基になっているのは福音書のクリスマス物語です。ギリシャ・ローマ世界には英雄が神と人間の女性との間から生まれたとする神話が存在します。最も有名なのは初代ローマ皇帝アウグストゥスですが、そこには処女降誕のモティーフはありません。処女降誕はイエスこそが「救世主」と呼ばれたアウグストゥスを凌ぐ真の「救い主」にほかならないことをヘレニズム・ローマ世界に伝えるために生み出されたのです。しかし、マリアのクリスマスに思いを馳せるとき、聖書が真に伝えているのは、後の教会が強調した「処女性」や「母性」の象徴としてのマリアではなく、「マリア讃歌」(ルカ福音書1章46−55節)においてこの世の価値観の転換を宣言する自由と解放を求めるマリアだと言えるのではないでしょうか。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
 ※クリスマス物語については、以下の拙論を参照してくださると幸いです。
(1)「マリアのクリスマスの回復――文化研究批評(ジェンダー・セクシュアリティ研究)による解釈」『福音と世界』新教出版社、2016年12月号、30−35頁。
(2)「クィアな聖家族――ルカ降誕物語のクィアな読解」『福音と世界』新教出版社、2021年12月号、30−35頁。

マリア讃歌(ルカによる福音書1章46-55節)
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も
わたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、
わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、
主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、
憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」


公同の教会

 「公同の教会」とは、「普遍的な教会」や「全体教会」を意味し、この世界に無数に存在する現実の個々の教会は時間と空間を超えた同一性を有する普遍的な教会でもあるというキリスト教神学の教理です。この語の初出はアンティオキアの第2代主教イグナティオス(35年頃〜110年頃)であり、彼は「主教が現れるところ、そこに会衆が在らねばならない。それはイエス・キリストが在ますところ、そこに公同の教会が在らねばならないのと同じことである」(『イグナティオス書簡:スミュルナの人々への手紙』8章2節a[私訳])と述べています。この引用の後には、主教が洗礼と愛餐(聖餐)の執行の認可者であり、神の代理人の如く崇めるようにも勧告されており、「公同の教会」の教理は主教の絶対的権威とセットになってもいますので、聖書主義に立つプロテスタントの側から改めて「公同の教会」とは何なのかを再考することが必要かもしれません。なお、殉教を美化することはできませんが、イグナティオスは、自らの信念を貫いた結果、ローマで殉教の死を遂げていますので、無責任な権威主義者ではなく、「良い羊飼い」を地で行く「牧者」だったようです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


世界宣教の日

 日本基督教団は10月の第1日曜日を「世界聖餐日・世界宣教の日」に定めています。前者は1930年代にアメリカの長老派教会で始まり、1940年にアメリカ全体に広まったエキュメニカルな運動であり、現在はカトリックとプロテスタント諸教派が相互の違いや多様性を認め合い、分断や対立から一致へと向かう超教派運動として世界中で行われています。後者は戦後に教団が世界聖餐日を採用するに当たり、世界の教会の一致の証として世界宣教のために協力し合うことを目的として定められ、現在は海外で働く宣教師やアジア圏から教団関係学校に留学している学生を覚える日になっています。教団は聖餐理解や宣教理解をめぐって対立や分断が続いていますが、その本来の精神に立ち返り、合同教会として相互の違いや多様性を認め合う世界聖餐日・世界宣教の日が実現するように願っています。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


関東大震災と朝鮮人虐殺

 1923年9月1日に発生した関東大震災は10万人を超える死者・行方不明者を出しました。未曾有の災害を覚えると同時に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」といったデマが流され、6千人以上の朝鮮人が日本人によって虐殺されたことを忘れることはできません(http://www.ayc0208.org/2_8/kanto.php)。デマの発生源は特定できませんが、デマの流布に最も力を発揮したのは内務省であり、虐殺を実行した自警団を組織したのは軍と官憲でした。このように朝鮮人虐殺は国家機関の主導によって行われたのですが、政府は民衆や自警団に虐殺の責任を転嫁し、さらに司法省を使って朝鮮人の犯罪が事実でもあるかのように情報を捏造することで、朝鮮人虐殺の国家的関与を隠蔽したのです。聖書は最後の審判で歴史の全てが明らかになると述べていますが、それは問題を歴史の彼方に先送りにするためではなく、今ここで問題を明らかにするようにとの勧告です。歴史修正主義が跋扈する日本社会にあって、歴史を直視し、過ちを認める誠実さを持って過ごす者でありたい。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


 

戦責告白

 いつの頃からか8月の平和を訴える情景が風物詩にしか感じらない自分がいます。その理由を考えながら、「戦責告白」を読み返しました。やはりこの告白に色濃く残るナショナリズムやジェンダーの視点の欠如が気になったのですが、戦責告白からは風物詩のような雰囲気を感じることはありませんでした。この告白には日本の侵略戦争を正視し、二度と同じ過ちを繰り返してはならないという本気さが溢れ出ているからです。かの戦争から「侵略」の二文字が消え、平和の名の下に戦争が肯定される矛盾、そしてこの矛盾を見過ごしにしてきた自分の在り方が平和を訴える情景を風物詩に感じさせていたようです。ロシアのウクライナ侵略という現実の直中にあって、戦責告白が見据える平和を渇仰する「明日にむかっての決意」を胸に刻みつつ、8月15日の敗戦記念日を迎えたい。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)
※「戦責告白」とは、1967年3月26日のイースターに日本基督教団議長の鈴木正久名で出された「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(https://uccj.org/confession)を表す。

 


 

マグダラのマリアの記念日

 7月22日はマグダラのマリアの記念日です。近年の研究は彼女が傑出したイエスの弟子であったことを明らかにしています。ローマのヒッポリュトスは復活の最初の証人である彼女に「使徒たちのなかの使徒」という最高の称号を贈っていますが、その一方でペトロを復活の最初の証人とするために、「罪の女」のラベルを貼って彼女を貶めることも繰り返されてきました。東方教会にはマリアを「罪の女」とする意見はありませんので、西方教会が男性の権力を守るためにマリアを貶めてきたのだと考えられます。プロテスタントには基本的に聖人の制度はありませんが、ジェンダーバイアスから自由になる日として、マグダラのマリアの記念日を覚えたいのです。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


日本基督教団創立記念日

 日本基督教団は宗教団体法による宗教団体統制を目論んだ国家の要請に基づき、1941年6月24〜25日に創立しました。それ以前からプロテスタントの諸教派を統合した日本独自の合同教会の誕生をという機運が高まっていたこともあり、宗教団体法を渡りに船とばかりに合同を推し進めたとも言えます。戦時下の教団がかの戦争を是認し、加担していったことを考えると、日本独自の合同教会の誕生をという機運そのものが近代日本のナショナリズムへの同化だったと言えます。2022年5月15日に沖縄の本土復帰50年を迎えました。沖縄の本土復帰を前に、1969年2月25日に沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同が実現しました。しかし、この合同もまた近代日本のナショナリズムに沖縄を再び同化させるものだったとは言えないでしょうか。2022年の教団創立記念日に当たり、沖縄との関係修復を願いつつ、教会の合同とはいったい何なのかを立ち止まって考えてみたいのです。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)


ペンテコステ
 

ペンテコステはギリシア語で50を意味する数詞ですが、元来は五旬節(ペンテコステ)と呼ばれるユダヤ教の収穫祭を表します。使徒言行録21−42節によれば、五旬節にイエスの弟子たちに聖霊が降り、弟子たちは異言を語り、イエスの死と復活の真意を悟ったペトロが説教をし、三千人が洗礼を受けたと伝えられています。これは神話的に創作された物語ですが、五旬節にイエスの弟子以外の新たな信者が生まれることで教会が誕生したことから、キリスト教ではペンテコステを聖霊降臨祭と呼び、言わば教会の誕生日として祝っています。ペンテコステはクリスマス、イースターと並ぶキリスト教三大祝祭のひとつですので、この機会に覚えてください。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


 

復活祭(イースター)

 復活祭(イースター)は十字架で処刑されたイエスが死から三日目に復活したことを祝うキリスト教最大の祝祭です。イースターの語源はゲルマン神話の春の女神エオストレ(オスタラ)と説明されることが多いのですが、これは定かではありません。しかし、冬という自然が死を迎えているかのような季節の後に到来する春は、新たな生命の誕生や再生を象徴する季節であり、復活祭(イースター)が春の女神の神話と結び付けられているのは、イエスの復活が長い冬の後に希望として到来する新たな生命や再生をもたらす春の祝祭でもあるからだと言えるのではないでしょうか。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

 


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