積極的ニヒリズムを生きる
——友と食べて飲むことに一縷の希望を——
コヘレトの言葉1章2−11節は、「空の空/空の空、一切は空である」(2節)という言葉が象徴するように、人間の歴史は太古より永遠回帰のように繰り返されるだけの空虚なものだと吐露しています。「空」と訳されているヘブライ語のהֶבֶל(ヘベル)は「霧/息/風/虚いくもの/偽り」といった意味を持っていますので、「無/空/虚無/無意味/無価値)を意味するラテン語のnihilから造られた「ニヒリズム」(虚無主義)とコヘレト書を結びつけるのも無理からぬことだと感じられます。現代のニヒリズムの祖であるニーチェが提唱したのは、あらゆるものが無意味であるゆえに、後ろ向きに生きざるを得ない消極的ニヒリズムではなく、あらゆるものが無意味であるのなら、前向きに生きることを肯定する積極的ニヒリズムだと言われています。そして、コヘレト書もまた、食べて飲むことが労苦のうちに幸せを見出すことだと繰り返し述べており(2章24節、3章12−13節)、倒れても起こしてくれる友がいることを幸いだとも語っています(4章9−10節)。福音書にはイエスの食事の場面が何度も現れ、イエスが様々な人たちと繰り広げた友愛が強調され、最後の晩餐では天国での酒宴を仰ぎ望んでいます。戦争、貧困、格差などは決してなくならないといったニヒリズムが支配するこの世界の直中において、——現世でも、そして願わくは来世でも——友と食べて飲むことに一縷の希望を見出す積極的ニヒリズムを生きるほかないのかもしれません。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)