「出会い損ねからはじまる」
聖書個所:イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言……
「幸せは今、日常の中に」
聖書個所:「私が幸せと見るのは、神から与えられた短い人生の日々、心地よく食べて飲み、また太陽の下でなされるすべての労苦に幸せを見いだすことである」
コヘレトの言葉5章17節
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日本基督教団 原市教会牧師 關橋 賢
日本基督教団のYouTubeチャンネルをご覧の皆さん、こんにちは。わたしは群馬県の原市教会の牧師、關橋賢です。
わたしは群馬県に来て、今年で9年目になります。今、春を迎えていますけれども、春は色んな眠っていた命が目覚めて、そして新しい命が生まれてくる、そういう季節です。イエス・キリストの復活を記念するイースターも春に行われます。
聖書ではイエス・キリストが死んだ後に、三日目に復活したということが書いてあり、そして、イースターは、そのイエス・キリストの復活を記念する行事となっています。そしてわたしたちも死後に復活す……
「共にいる神」
聖書個所:「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」
マタイによる福音28章20b節
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日本聖書神学校教務部長・番町教会
牧師 柳下明子
3月になりました。3月は学びや育ての場所では、卒園や卒業、進級など若い人々にとって、大きな変化の訪れる季節です。また年度替わりに移動を予定している多くの働き人にとっても、同じように大きな変化に備える時であるのでしょう。慣れ親しんだ場所との別れと、新しい関係との出会いを控え、不安とそして期待の内に過ごしておられる方もいらっしゃることと思います。
別れは悲しみをもたらすものです。けれども、別れを経験するこのような時に、わたしたちが不安や恐れに駆られることは、ただただ避けるべきことというわけではありません。実はそのような思いを抱くことは、わたしたちがより深く、生きることを愛するために大切なことでも……
みんな極めて良い
聖書個所:
「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。
見よ、それは極めて良かった。」
創世記1章31節
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日本キリスト教団派遣宣教師
アメリカ合同教会・シカモア組合教会日語部
牧師 石田求
アメリカ合同教会・シカモア組合教会日語牧師の石田求です。私は日本基督教団から宣教師として北カリフォルニアにある日系教会に派遣されています。
私は2020年4月にアメリカに派遣される予定でしたが、全世界がコロナ禍の影響を受ける中、私も予定通りに渡米することができなくなりました。約一年の待機期間を経て、2021年2月末にようやく渡米することができました。
私がアメリカに来た当初、新型コロナウイルスの発生源をめぐって、アジアンヘイトが至るところで起こっていました。私の住んでいる近所でも事件が発生し、来て早々不安を覚える日々が続きました。……
神さまからのプレゼント
聖書個所:マタイによる福音書2章1〜12節
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さや教会・松山東雲松山東雲中学・高等学校 非常勤講師
牧師 篠浦千史ちふみ
皆さま、こんにちは。
巷では12月25日が終わるとクリスマスは終わったと思いがちです。でも、教会では1月6日の公現日までがクリスマスです。公現日というのは博士たちが幼子イエスを訪ねてきた日です。今日はこのエピソードを通して、神の子イエスがなぜ地上に来られたかをご一緒に考えて見たいと思います。
2022年が始まりました。ここしばらく私達は新型コロナ感染症によって人との関わりを制限され、その往来も制限されています。旅に出るのもはばかられ、行きたくても行けない状況の人が沢山います。人と人とが自由に行き来できる日が来ることを願ってやみません。
では、今から2000年前の人達はどうだったでしょうか?今以上に旅する事は大変だ……
「地には平和~その声を聞きましたか」
聖書個所:ルカによる福音書2章2節-20節
河内松原教会 牧師 井口智子さとこ
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12月になりました。教会の中はもちろんのこと、町の至る所がクリスマスの飾りでキラキラしています。毎年見る景色です。けれど今年は『マッチ売りの少女』のお話が浮かんできます。なぜ、あの少女は死ななければならなかったのだろうか。なぜ、救うことができなかったのだろうか。もしも、あの少女の声が聞かれていれば、と考えてしまいます。
この一年を振り返ると、乳幼児の虐待死が何度も報じられ、その都度、「なぜ」と思わずにいられませんでした。「泣き声がうるさかったから」。そんな理由も報道されていました。赤ちゃんの泣き声というものは、天使の声に聞こえる時ばかりでなく、泣きたくなるのはこっちの方だとイライラとさせられることもあります。
聞く者の心……