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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【2023年6月】今月のメッセージ「出会い、招かれる」

2023年6月1日

「出会い、招かれる」

聖書個所:イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。 そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。 とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。 シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」 そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
ルカによる福音書 5章1~11
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日本基督教団 下ノ橋教会
牧師 松浦裕介

 岩手県盛岡市にあります、下ノ橋教会牧師の松浦と申します。

 聖書の主な舞台となった古代イスラエルは、私が現在住む岩手県とそれほど変わらない広さであると言われていますが、イエスが最初の弟子たちと出会われたのは都エルサレムから百数十キロ北へ行ったガリラヤの地、ゲネサレト湖畔でした。後に弟子となる漁師たちは網の手入れをしています。夜通し苦労して漁をしたにもかかわらず、何も捕れなかった。期待した成果はなく、岸に戻って網を洗い手入れを始める。愚痴の一つや二つも出たことでしょうか、あるいは少しばかり重苦しい空気が漂っていたでしょうか。いずれにしても夜通し漁をしても何も取ることが出来なかったというのは、当時の漁師達のある種の日常なのかもしれません。イエスは私たちの日常の有り様の様々な現実の中に姿を現されるのです。
 さて、主イエスはどのような御方か、私たちはその姿、イメージについて様々に思い浮かべますし、思い浮かべることが出来るのですが、聖書の御言葉に日々聞く中で強く思わされるのは、私たちが生きる、それぞれの、多様な姿、その只中に立たれる方であるということです。主イエスは、何も私たちが特別な状況に直面している時だけではありません。ありふれた日常、私たちが事がうまくいっていると感じている時も、行き詰まりを感じている時も、様々な時、様々な場に共におられ、出会ってくださる方であり、そして主イエスは、私たちの日々の歩みの中に招きをお与えくださいます。
 今日の聖書の箇所で、イエスはペトロたちと出会った最初、二つの依頼をしました。舟で岸からこぎ出すように、そして網を降ろして漁をするように、この二つです。最初に依頼で「こっちは疲れているんだから無理を言わないでくれ」とは言わなかったペトロでありますが、2度目は少しばかりの抵抗をします。ルカによる福音書で最初に弟子が招かれる出来事に際して、若干の抵抗の言葉が語られているということは興味深く、そしてこの物語の中に、イエスの招きに関する、私たち人間の価値観を超えた豊かさがあるように思うのです。
 弟子として招かれるにあたって、能力やあるべき姿などは問われていません。主イエスが御自身の活動を始めるにあたり、その活動に直接役立つと思われる力をイエスは求めておられません。さらに、軽微ではあるものの、イエスの命に対して抵抗が試みられる。そのペトロたちをイエスは招き入れた。私たちの常識を越える形での招きが一つここにあります。
 イエスはペトロに言われました「人間をとる漁師に」と。『聖書協会共同訳』の注によると、この「人間をとる漁師に」という言葉は『生け捕りにする者』と直訳することができるそうです。物騒な表現かもしれません。しかし、この言葉は漁師であるペトロたちの日常にかなった表現でしょう。ペトロが弟子にして欲しいと願い出たのをイエスが了承したのではなく、イエスの方から出会ってくださり、ペトロを招く。そしてペトロがこれまで生きてきたその現場に適う表現でペトロを招き入れるのです。それぞれの日常の傍らに立たれるイエスは、その一人の人と同じ目線で語りかけられます。そしてこのイエスの招きを受け、ペトロは最初イエスのことを「先生」と呼んでいたのが、「主よ」と変わっていきます。主イエスがこの私と出会って下さり、招かれる。私たちの思いを超えて招きを示してくださる主イエスとの出会いが一人一人に与えられていきます。
 教会では、それぞれの地にあって、多様な現実の中に生きている一人一人が、1週間の歩みをなし、神様からの招きを受けて賛美をし、祈りをあわせ、御言葉を分かち合いますが、一つの教会を見ても、集う一人一人の姿は様々であります。一人一人に与えられた賜物、それぞれが持つ課題、喜びや悲しみ、日々の生活の有り様等々・・・、異なる多様な一人一人が招かれているところに教会の豊かさがあります。その多様な一人一人の日常の只中に、この私が生きる現実の傍らに主イエスは共に立ち、共に座し、喜び、涙し、すべてを共に負ってくださりながら招きを与えてくださることを、今日の箇所を通して心に刻みたいと願います。様々な地に多様な姿で生きる一人一人が生きるそのところに主イエスが共にいてくださることを分かち合い、一人一人が主の招きを受けている恵みを喜び合いたいと思います。

 主イエスは、私たちの今、その所での生活の場に主イエスがおられる。そしてこの私に主は語りかけて下さいます。「あなたが必要なのだ」と。この招きを受け、それぞれの形で招きに応える、その歩みを共に始めてまいりましょう。

今月のメッセージ
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