インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【2023年5月】今月のメッセージ「「ごめんね」が言えない」

2023年5月1日

「ごめんね」が言えない

聖書個所:食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
ヨハネによる福音書 21章15~17
 動画はこちらから

日本基督教団 蒲生教会
牧師 戸根真理恵

 

 こんにちは、大阪市の蒲生教会というところで牧師をしています。戸根真理恵と申します。
 最初に聖書の言葉をお読みします。
 ヨハネによる福音書21章15節から17節まで。

 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。

「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」
 これは、イエスさまが復活してから、弟子のペトロに向かって呼びかけた、最初の言葉でした。
 イエスさまが十字架にかけられる前、2人の間にはこんなやりとりがありました。
「あなたのためなら命をも捨てます」と言うペトロに対して、このように答えています。「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」。

 そして、その言葉の通り、イエスさまが捕らえられたあとに、まわりの人から「あなたはイエスの仲間ではないか」と言われると、ペトロは三度、違います、イエスのことなんて知りません、仲間ではありません、と言って否定の言葉を放ちました。
 イエスの仲間だということがバレて、自分まで捕まるのではないか、と思うと怖かったのです。

 復活のイエスさまと出会った時のペトロってどんな気持ちだったのだろう、と思います。
 きっと、ペトロはずっと不安だったのではないかと思います。
 考えてみると、大好きな、人気者の友達と喧嘩してしまって、そのまま離れ離れになってしまったような状況です。そして、久しぶりに再会した。しかも、ただ引っ越した、とかではなく死んで蘇ったイエスとの再会、普通ではありえない再会です。
 イエスさまあの時のことなんだけど、本当に申し訳なかった、と言えるかもしれません。
 しかしイエスとペトロの再会の場面、まわりにも他の弟子たちがたくさんいました。
 なかなかペトロの方から、ごめんね、と切り出すことができません。
 イエスさま怒ってるかな、イエスさま悲しんでるかな、そんな不安を抱えたまま、みんなで食事までします。
 ごめんねって言いたいけど言えない、そんな関係の人と一緒にご飯を食べるって、想像してみたらかなりきついものがあるんじゃないかなと思います。

 そしてとうとうイエスさまの方から声をかけてくれました。
「ヨハネの子シモン、私のことを愛しているか」。こう問いかけるイエスに、ペトロは答えます。 
「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」

 ペトロは、真っ直ぐに「愛しています」とは言えませんでした。後ろめたかったのかな、と思います。
 だから、「わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と、その愛があるということ、その確かさを、愛している主体の自分自身ではなく、聞いてきたイエスの方に委ねるのです。
 自分からごめんねも言えない。自分から愛していますとも言えないのです。
 それを聞いたイエスはペトロに「わたしの子羊を飼いなさい」と言いました。

 このようなやりとりがあと2回、続いて繰り返されています。

 3度目の会話の合間に、「ペトロは悲しくなった」と記されています。この「3回」という数字には意味があります。
 ペトロは自分自身がかつて犯した行いを思い起こすのです。

「あなたはイエスの弟子じゃないですか?」「イエスの仲間の一人ですよね?」「イエスと一緒にいるのを見ましたよ」イエスとの関係を示す、これら3つの問いに、3回否定で答えてしまった。
 このことをあらためて思い出し、罪の意識に襲われ、悲しくなったのです。
 そんなペトロに対して、イエスは「わたしの羊を飼いなさい」という言葉を、繰り返しかけられました。
イエスさまはかつて「わたしは良い羊飼いである」と教えられました。イエスさまが羊飼い、弟子たちが羊です。
 そして同時に、今度は羊飼いである主イエスが、ペトロを羊飼いとして遣わされたのです。
 主ご自身が羊飼いとして養ってきた大切な羊の世話を、なぜ、イエスをとの関係を否定してしまうような、そうやってイエスさまを悲しませるような、弱い心をもったペトロに託されたのでしょうか。

 私は、このペトロの心の弱さ、という点に、私自身の思いを、つい重ねて読んでしまいます。
 イエスさまのお弟子さんになりたい、というのが、小さい頃からの夢でした。
 ですが、大学を出て、最初に遣わされた教会ではたらいていた時に、うつ病になってしまいました。
 起き上がることもなかなかできず、教会の仕事はもちろんできず、礼拝に出ることもできませんでした。 
 礼拝に出席することもできない私が、牧師でいていいのか、という、疑問と、苦しさを抱えました。
 教会の皆さんに会えない、イエスさまのお弟子さんとしての働きをしたいのにできない。悔しさを噛み締める日々でした。
 蒲生教会に来た今でも、こんな弱い私が、うつ病も治ってないし、イエスさまのためにつかえることができるのか、と不安になることがあります。

 しかし今日の聖書の箇所にある、イエスさまとペトロのやりとりを読むと、思うのです。
 弱さを抱えたペトロだからこそ、イエスさまは話しかけたのだろうなと。

 自分の行いを思い返して、悲しみを抱く。そんな弱いペトロだからこそ、イエスさまは声をかけたのです。
 不安でいっぱいで、自分からイエスさまに歩み寄ることができない、話しかけることができないペトロに、イエスさまの言葉が必要だったのです。

 医者を必要とするのは病人です。それと同じように、イエスさまを必要とするのは、強い心の持ち主ではなく、敬虔で完璧な信仰の持ち主でもなく、ペトロのような弱い心の持ち主ではないでしょうか。
 不安に揺らいでしまうような信仰の持ち主。自分自身の弱さを感じるときにこそ、神さまという存在を、本当に心から信じ求めることができるようになるのです。

 わたしたちはイエスさまに養われる羊の群れです。そして、一人ひとりがお互いを思い合い、祈り合うものとして、お互いが羊を飼うものとして群れをなしていきます。
 わたしたちもまたイエスさまの羊を飼うものとして、イエスさまに従って歩むものでありたいと思います。

 心に弱さを抱える時、不安でいっぱいな思いになる時、信じる想いが揺らぐ時、イエスさまは「わたしを愛しているか」と問いかけておられます。「私に従いなさい」と導いておられます。

 その言葉に、全てを委ねて答えつつ歩む者でありたいと思います。

 

今月のメッセージ
PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2024
The United Church of Christ in Japan