「誰かを覚えて祈る」
聖書個所:「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
マルコによる福音書1章35~39節
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日本基督教団 荒尾教会
牧師 佐藤真史
◯はじめに
2023年、誰かを覚えて祈ることを始めてみませんか?
熊本にある荒尾教会で牧師をしている佐藤真史と申します。突然の呼びかけに驚いた方もいたかもしれません。
いま初詣のシーズンですが、祈願の内容の多くは「家内安全」や「健康」だそうです。それもとても大切なことです。けれども今日は、自分のためにだけ祈るのではなく、誰かを覚えて祈ることを、皆さんに提案したいのです。
なぜなら、誰かを覚えて祈る時、その祈りを神さまは不思議な形で、そして必ず聞き届けてくれると信じているからです。
2000年前、ガリラヤという田舎で生きたイエスは、誰よりもそのことを信じていました。だからこそ、イエスは明け方早く、たった一人で人のために、隣人のために祈ったのです。
◯奥田先生の祈り
個人的な話しになるのですが、わたしは大学で数学を学びました。そしてその学びを深めるために、札幌の大学院に入った時のことです。ある未解決の問題を解こうとしても、何をどうしていったらいいのか、分からなくなってしまいました。そこからがとっても苦しかったんです。何とか結果につなげるために、学びを重ね、その度に先生から学びが遅いと言われました。かと言って具体的な方向性を見つける事も出来ませんでした。真っ暗な山の中で道を見失ってしまった、そんな気持ちでした。まわりの「出来る」同級生たちが、どんどん進んでいく中で、自分だけが取り残されていきました。
まったく出来ない自分に苦しみ、自分が生きている価値をも分からなくなってしまいました。いま振り返れば、当時のわたしは「出来るか出来ないか」で人の価値を判断してしまっていた事が、よく分かります。「自分は人よりも出来る方だったのに、今は出来ない方に入ってしまった」と苦しんでいたのです。
そのような「出来ない自分」に対して、何度も自分を「バカ」だと否定しました。正直、祈るという事も出来ず、眠れない日々でした。とても危うい精神状態だったと思います。そんな中、なんとかおしとどまれたのは、高校時代の恩師の祈りに支えられたからです。
わたしは山形にある基督教独立学園という高校で三年間を過ごしました。全寮制の小さな学校です。そこを卒業し、いざ学園を離れる日の事です。先生の中で当時最も高齢だった、80代だった奥田先生というおばあちゃん先生に、「三年間お世話になりました」と挨拶に行きました。すると、奥田先生はわたしの手をぎゅっと握りしめ、わたしの目をじっと見つめ、「いつも祈っているからな」と言われたのです。とても驚きました。なぜなら、奥田先生は普段、信仰に関わる話しをほとんどされなかったからです。その様な奥田先生が、あえて「祈っているからな」と言ってくれたことは、深く心に刻み込まれました。
この奥田先生の祈りに、私は支えられました。数学の研究で苦しんでいた時、その苦しみに押しつぶされそうになった時、自分が自分自身を受け入れることが出来なくなった時、何度も何度もこの奥田先生の言葉を思い出しました。こんな私のために、こんなに弱く情けない私のために、奥田先生はいま祈ってくれているではないかと。奥田先生の祈りこそが、私自身のまさしく「命綱」であったのです。
奥田先生は召されて10年以上が経ちます。不思議なことですが、いまも、確かに祈って下さっていることをはっきりと感じるのです。
もしかすると皆さんは、他者のために、隣人のために、友のために、自分たちが出来ることなんか限られているし、祈りなんか大して役にも立たないと感じているかもしれません。そして綺麗事だと感じるかもしれません。 でも、不思議な形で、その祈りがその人を励まし、支え、命を生きることへと繋げて下さるのです。
イエスも、祈ってから出かけて行きました。人のために、隣人のために、社会のために、平和のために祈ってから、癒やしの業へとでかけていきました。
この2023年、人のために祈り、そしてその祈りから歩みを始めていきましょう。