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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4986号】記事一覧

2022年11月26日

【4986号】メッセージ 主の賛歌-イエスこそ私たちの光(1面)
【4986号】カルト問題の電話・メール相談(2面)
【4986号】教区議長コラム(2面)
【4986号】▼カルト問題全国連絡会▲(2面)
【4986号】 ▼部落解放全国会議in京都プレ集会▲(2面)
【4986号】 常議員(信徒) プロフィール(3面)
【4986号】事務局よりお知らせ(3面)
【4986号】伝道のともしび(4面)
【4986号】事務局報、お詫び・訂正(4面)
【4986号】人ひととき(4面)
【4986号】一心に宣べ伝える貴さ(4面)

 

 

 11月3日に、前任の須崎教会の付属幼稚園で、創立百周年記念礼拝が行なわれ、私も出席させていただいた。高知の港町の伝道に取り組んだ宣教師夫人が子どもを招いたことに源流を持つ幼稚園は、厳しい状況を何度も乗り越えて、百年歩んできた。関わった多くの人たちの働きがあったことを思うが、これまでの歩みは、神に導かれたという以外ないことも思う。
 私が園長として関わっていた時、ある保護者から「幼稚園は、ぶれないですね」と言われたことがあった。その意味は、神の眼差しに立ち、子どものために何ができるか、それに徹している幼稚園であるということであった。記念礼拝後の祝会で挨拶された保護者は、「幼稚園が今の姿のまま、ずっと須崎で歩み続けてほしい」と言われた。その言葉に、ぶれないで今も歩んでいることを受け止めさせられ、とても励まされる思いがした。
 今、教会は、激しい時代の風に晒されおり、その状況に対応する必要はあると思う。しかし、教会が究極的に何をなすべきかは、変わらないのではないかとも思わされている。どのような状況になっても、一心に主の福音を伝える、そのことにぶれずに歩むことが求められているように思う。そうして歩む時に、教会としての使命を果せるのではないか、記念礼拝の帰り道に、改めて受け止めた思いである。

(教団総会書記 黒田若雄)

恵みに生かされて

奄美・喜界教会員
上村小夜子さん

 喜界教会の上村小夜子さん(79歳)は礼拝や、諸集会には欠かさず出席、土曜日には礼拝堂のお花を活ける。教会の役員として、また教会を代表して奄美地区委員会にも出席し、「島の教会」の宣教を担い支えている。地区の集いには海を越えて奄美大島などへ飛行機や船で出かけ、役割を担っている。
 生まれは台湾・台北市。敗戦後に4歳で両親の故郷・喜界島に。当時、喜界島は米軍統治下にあった。その中で行われた、信徒の群れによる日曜学校に、上村さんは毎週楽しみに出席していた。両親はクリスチャンではなかったけれど、日曜学校に行くことを勧めてくれた。
 奄美群島の施政権が日本に返還され(1953年)、教団の奄美特別開拓伝道が計画された。その端緒として1956年、福井二郎牧師が喜界島に着任、喜界教会が設立した。上村さんは中学3年のクリスマスに受洗。鹿児島の「教会高校生キャンプ」にも参加した。
 喜界高校を卒業後、進学のため東京へ。福井牧師の紹介で原宿教会(当時:神政三牧師)に下宿しお世話になった。教会幼稚園の保育室で寝起きし、2年間、夜間の保育専門学校に通った。見ず知らずの若者を快く引き受け、温かく接し、心身ともに育ててくださった原宿教会の方々への感謝を忘れることはできない。
 幼稚園教諭として歩み出した1963年、福井牧師が池袋西教会に赴任され、これを機に同教会に転入。六つの幼稚園や公立の児童館などで働き、時に壁にぶつかりながらも喜界島に戻るまで教会から離れることはなかった。
 2018年、上村さんは介護のため帰島。母親の逝去後も島に残り、教会奉仕を続けている。「神さまに与えられた恵みの一部でもお返しできたら」と願っている。

森 和子(隠退教師)
 22年9月22日逝去、97歳。愛知県生まれ。45年日本基督教女子神学専門学校卒業。47年より行人坂、代々木、相模原、鎌倉、鎌倉浄妙寺(62年より鎌倉泉水)教会を牧会し、91年隠退。遺族は姪・則武美稲さん。

宇都宮樫子(隠退教師)
 22年10月22日逝去、95歳。58年日本聖書神学校卒業。同年より津屋崎、宝塚福井教会を牧会し、大阪水上隣保館に務め、松山栄光教会を経て99年隠退。

岸本和世(隠退教師)
 22年10月25日逝去、88歳。群馬県生まれ。58年同志社大学大学院修了。同年より霊南坂教会を牧会し、教団事務局に務め、福岡警固、札幌北光、元浦河教会を経て07年隠退。遺族は娘・貝瀬かおりさん。


正教師登録

髙橋優子(2022・8・28受按)
竹澤潤平(2022・8・30受按)
永瀬よし子(2022・9・25受按)

正教師転入

窪田隆一(第1回臨時常議員会承認)

教師異動

八尾東 辞(主)平松洋一
 〃  辞(担)咸 同奎
 〃  就(主)咸 同奎

芦屋岩園辞(代)土井健司
 〃  就(主)平松洋一

京葉中部辞(主)山本光一
 〃 就(代)西岡昌一郎

竜ケ崎 辞(担)清野 量

敬和学園高校 辞(教)中塚詠子

高座渋谷 辞(主)君島洋三郎
 〃   就(主)長井美歌

静岡草深就(代)飯田啓子

油木 辞(兼主)反町潤平
 〃  就(代)小片 聡

三原  辞(主)林 智之
 〃  就(代)小片 聡

下松  就(主)林 智之

長門  辞(主)水谷信義
 〃  就(主)渡辺健一
 〃  就(担)水谷信義

大阪台湾辞(主)翁 思恵
 〃  就(主)張 文明

関西学院大学 辞(教)田淵 結

青山学院大学 辞(教)大島 力


お詫び・訂正

 新報4985号3面、「大友秀樹」を「大友英樹」に、東野尚志牧師聖書箇所「ブライ人」を「ヘブライ人」に、お詫びして訂正いたします。

教会と施設の関係

須賀川教会牧師・学校法人栄光学園理事長・認定こども園オリーブの木園長
 太田 春夫

 私は現在、須賀川教会と学校法人栄光学園に務めています。学校法人は、三つの幼保連携型認定こども園を運営し、各園は233名、196名、143名、児童クラブ38名の計610名の乳幼児・児童を受け入れています。スタッフは総勢150名になります。
 この学校法人を生み出した教会は、厳しいコロナ禍の影響と急激な高齢化により、会員数25名、礼拝出席はリモートの出席者を加えても18名前後です。家族礼拝(CS)は休止や断続的な開催を余儀なくされています。コロナ以前の3大祝祭日の合同礼拝には、職員の出席も含め100名以上を数えましたが、この間は種々の制限下大変厳しい状況です。
 歴史的経緯として、栄光幼稚園は1949年にアイリン・アンダーソン宣教師の助力を受けて、当時の本川直躬牧師が初代園長に就任して創設されました。そこには宣教・伝道の業としての働きとともに、地方の小規模教会にとって、教会財政の安定、牧師の生活の安定の意味もありました。
 アンダーソン宣教師は、福島県中通りの10以上の教会を精力的に応援するとともに、やはり10カ所余の幼稚園・保育園の設立に尽力されました。その内の3園が栄光学園に残っており、他に二本松・矢吹・川谷教会が今日も関係施設を運営して、地域との接点を保持しています。
 教会と施設との関係は、時代と共に難しさを増しています。個人的には、如何にして宗教法人の教会と学校法人の施設とが車の両輪のように互いに補完し合いつつ、地域の中で存続できるかを模索してきました。現在の急激な「少子社会」の到来は、多くの教会関係施設に重大な影響を与えており、施設の廃止と、それによる教会の衰退を危惧させるものです。
 私の初任地は、奥羽教区岩手地区の小規模教会と幼稚園でありました。数人の信徒と老朽化した会堂・園舎の再建に取り組みました。地方の小規模教会が生き残ってキリスト教の「看板」を掲げていくためには、付属施設の運営が大変重要な課題です。かつて施設経営は「邪道である」、「本務ではない」という意見や、学校法人化への批判もありました。その中で、五つの教会が関与する幼稚園の学校法人・連合学園化にも取り組み、それが今日まで継続していることは感謝です。
 残念なことに、日本基督教団の制度は不平等な面があると思います。各個教会、独立採算制のために、教会間には大きな財政格差があるからです。その課題を克服するために全国の教区が夫々に取り組みを続けています。ここ東北教区では複数教会による「宣教共働」への支援という互助を、「教区教会性」を唱える奥羽教区は、宣教課題の共有と牧師謝儀の互助を模索し、それぞれ実施しています。
 40年余の拙い歩みを振り返って、教会と施設の関係を考えるとき、教会財政との問題を抜きには語れません。そのバランスをどう取りながら、同時に、様々なことが生起する施設の現場は、紛れもなく牧会の現場であることを痛感しています。

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