▼教育委員会▲
クリスマス献金、送り先を確認
第1回教育委員会が、2月22日に教団会議室で行われた。委員は次の通りである。横山ゆずり(委員長)、三ツ本武仁(書記)、石田真一郎、大坪直史、藤巻朋子、堀川樹、リーディー・デイヴィッド。
2022年度のクリスマス献金は、1月31日時点で467万2830円であることが報告された。6月の次回委員会での最終報告を経て、「認定NPO法人チャイルド・ファンド・ジャパン」(ウクライナの子どもたち)、「学校法人アジア学院」(アジア農村指導者養成専門学校)、「北海教区アイヌ民族情報センターとアイヌ奨学金キリスト教協力会」、「東北教区放射能問題支援対策室いずみ」に送金することが確認された。
2022年度の教会学校応援セットの送り先については、Aコース(聖書10冊、こどもさんびか10冊、伴奏譜1冊)、Bコース(聖書物語絵本と紙芝居セット)、Cコース(ヒムプレーヤー1台)に1教会ずつ応募があったことが報告された。検討の結果、各教会それぞれに希望コースの応援セットを送ることを決定した。
毎年9月に開催してきた「教区青年担当者会」については、その目的や意義、内容をもう一度考える必要があるのでは、との意見が出された。今年も「教区青年担当者会」を行うことが承認されたが、テーマ等については、次回委員会で審議・決議する。また、総会期に一回開催の「教区教育担当者会」については、今回もキリスト教学校を訪問する方向で検討された。開催日程は2024年2月上旬を予定している。
コロナ禍の影響で昨年開催できなかった台湾基督長老教会(PCT)との青年交流プログラムについては、今年2月に入りPCTから招待の連絡があったことを受け、「台湾ユースミッション実行委員会2023」を立ち上げ対応していくことが確認された。日程は2023年8月の予定で、教団HPと次号教団新報に公募を掲載する予定である。
多岐に渡り、かつ課題多き教育委員会の働きに、祈りと責任を持って分担しつつ、スクラムを組んで共に励んでいきたいと願っている。
(三ツ本武仁報)
▼教師委員会▲
新任教師オリエンテーション二泊三日で開催
第1回委員会が2月13日に教団会議室で行われた。委員は古旗誠(招集者、目白)、内城恵(羽咋)、兼清啓司(神奈川)、願念望(白鷺)、栗原清(武蔵豊岡)、福島純雄(福島)、宮川経宣(大和郡山)。最初に組織が行われ、委員長に古旗委員、書記に兼清委員が選出された。
古旗委員長から前総会期の活動報告を受け、今総会期の計画に入った。報告では、特に件数の多かった戒規適用申請について、多くの時間を割いて説明された。
2023年度の新任教師オリエンテーションについて、主題は前総会期と同じく「伝道を共に担う教団の教師」となった。前総会期はコロナの影響によりオンラインで行われたが、今年度は対面をベースに計画することになった。感染予防の対策をしつつ熱海ハートピアにて二泊三日で開催することとした。また「ハラスメントについて(仮題)」の講習が設けられることとなった。
2023年度の教師継続研修会は、昨年の銃撃事件により世間でも大きな関心事となったカルトと宗教の問題を取り上げることにし、講師はカルト問題に詳しい川島堅二氏(東北学院大学)となった。開催方式はオンライン。
教団立神学校及び教団認可神学校について、教師委員会が問安する日程が計画された。各校の神学教育に対する感謝を伝え、それぞれの課題等を聞かせていただく大切な働きであることが確認された。
教師委員会から教師養成制度検討委員会へは、福島委員を派遣することになった。
前総会期において奥羽教区から提出されている戒規適用申請について協議した。申請を受理することが可決され、ただちに調査員会(3名)が選出された。
その他、無任所教師の取り扱い等について話し合った。
(兼清啓司報)
コロナ禍での支援活動
野宿者を支援する会 《笹島》
私は愛知県名古屋市で炊き出し・野宿者支援活動を行っているささしま共生会という民間の支援団体の一員です。この支援団体の炊き出しの歴史は長く45年以上になります。
私はこの支援団体の中で一軒の木造二階建て古いアパート「三ツ木荘=ミツキソウ・12部屋」の管理を任されています。三ツ木荘に入居を希望される野宿の方の入居のお手伝いを行い、生活保護申請等の手続き、生活支援、その後の一般的な民間アパートへの転居などの支援を行うことが私の本来業務です。
ところがコロナ禍になり入居者が転居することがほとんどできない状況になってしまいました。その理由は、役所の転宅のための調査である部屋への訪問をコロナが猛威を振るう状況ではできないからということでした。それまでは入居後1年で役所の了解が得られれば古い三ツ木荘よりずっと条件の良い住居に転居することが出来ましたが(入居・転居の費用が生活保護費の範囲内で出る)、転居する人がいないために私は新しく入居者を探すことがほとんど無くなってしまいました。しかしその分炊き出しの活動が忙しくなってきました。ささしま共生会の炊き出しは名古屋市の中心部で月・木の毎週2回夜に行われ、ここのところの利用者数の平均は120人程度です。
コロナ禍に入ってから利用者数は実は少し減っています。人が多く集まる炊き出し会場を恐れ利用しなくなった高齢の方々がいます。そして顔ぶれは少しずつ変わり、利用者の年齢が若くなってきている感じがします。野宿ではないが一食に事欠く人が増え、また新たに野宿に追い込まれた人たちも炊き出しの列に並んでいます。
路上に投げ出され困窮する人たちに対して、私たちは小さな支援しかできません。炊き出しは食事ができていない人に提供するその時その時のたった一食の緊急的な支援にすぎません。翌日にはまたお腹が減って困窮してしまいます。ですから困っている人を公的な支援(生活保護など)に繋ぐのが私たちのまた一方の大切な働きです。そして炊き出しの場は当事者の方が安心して相談ができるように私たちが食事以上のものを提供する場でもあると感じています。
(林 正史報/ささしま共生会職員・教団教師)
町の隣人とともに
第49次寿越冬闘争《寿》
寿地区で1974年から始まった皆で冬を越える寿越冬闘争も第49次になりました。住民自治からはじまり時代とともに担う人々も移り変わっていったが、「ともに生きる」、「厳しい冬(困難)を生きて越える」という考えは変わらず営まれています。
新型コロナ感染症が世に広がり3年。今回の第49次はちょうど感染者数のピークにあたり、感染症対策や支えるボランティアが集まらない懸念がありました。そのため、本部テントを1基分省き、医療班が新型コロナの抗原検査ができるように別途簡易テントを増設しました。準備・撤収を含め20日間の期間中累計で960人の参加者によって支えられ無事終えることができました。
ボランティアだけでなく、全国から献品・献金が送られ「寿地区」とその活動にお心を寄せて頂いたことがひとつの形になり感謝いたします。人ひとりでは叶わないことが、多くの「ひと」の「想い」よって大きな力になる出来事は、単純に「ひと」の力だけでないものを現場で感じています。
今回の寿越冬の炊き出しが新聞記事に掲載され見出しに「物価高の中 連日500人列」とありました。寿地区は労働市場として発展し住人の高齢化を経て「福祉」の町へと変わり、その後は多様な困難を抱える背景により他の地域から行政によって寄せられてきた経緯があるので、物価が下がればまた景気さえ良くなれば今の状況が解消されるわけではありません。高齢化と複合的な困難という社会の問題が顕在化しているのです。
大がかりな仮設テントや毎日500食以上作るための準備には人手がかかります。高齢化は住人だけでなく活動の中心を担う人へも等しくのしかかり、また、関内を中心とした都市再開発の波がやってきています。担い手が減り続ける中、新しい問題と価値観を含む時代の変化に対応してゆかなければなりません。コロナ禍によって分断される「ひと」と「ひと」の「結びつき」、知恵の「結びつき」を再び編み、垣根のない「隣人」として歩み求めていきたいです。
(汀なるみ報/寿地区センター主事)
ダイバーシティ(一人一人の多様な生き方が尊重される)社会の真の実現を目指して
あいりん総合センター 《釜ヶ崎》
2019年4月22日、大阪府は、釜ヶ崎のあいりん総合センター(以下、センターと略す)周辺で野宿生活を続けている労働者を追い出すために裁判(センター追い出し訴訟)を起こしたのですが、この裁判に対する判決が、2022年12月14日、大阪高裁(太田晃詳裁判長)で言い渡されました。大阪高裁の判決内容も、2021年12月2日に、大阪地裁(横田典子裁判長)が出した判決内容と同様に、22名の労働者に立ち退きを命じるものでしたが、大阪府側が求めていた仮執行宣言(強制排除)は、地裁判決と同様に認めませんでした。この判決の結果、当面の間は、センター周辺では、常時20名から30名ほどの労働者が、センター周辺から追い出されることなく野宿生活を続けることが出来るようになったわけです。
大阪高裁の判決当日には、「今度こそ、裁判所は強制排除は認めるだろう」ということで、大阪府の職員等が大挙して傍聴に来ていましたが、結局、大阪高裁の判決でも、裁判所は強制排除は認めなかったのです。大阪府の起こしたセンター追い出し訴訟の野宿者側の弁護士の一人である、遠藤比呂通弁護士は、大阪高裁での判決が言い渡される直前に、「裁判所は、ホームレス状態にある人たちの占有の正当性は認めていません。しかし、彼らの事情を考慮し、排除の流れに乗らなかった。このような決定を下したのは初めてなんですよ」というコメントを残しています。
「強制排除を認めない」という画期的な判断を下したのは裁判官ですが、私はそこに「強制排除という不正義な行為を許さない」という神様の意思が働いたからこそ、裁判官は「強制排除を認めない」という判断を下したのだと改めて思っています。
野宿者側が上告したため、センター追い出し訴訟は最高裁の場で争われることになりましたが、今、釜ヶ崎では2年以上に渡って、センターの強制閉鎖と強制排除に反対する集会とデモが毎月1回続けられていて、私もこの集会とデモには毎回参加していますが、最高裁でも強制排除を認めない判断が下されるよう、引き続きこの集会とデモに参加して声を上げていきたいと思っています。
(大谷隆夫報/釜ヶ崎医療連絡会議代表・関西労働者伝道委員会専任者・教務教師)
「教団新報」今号を4993・94合併号とし、次号は、4月22日に発行します。
総幹事 秋山 徹
ウクライナ救援募金期間を2023年8月まで延長いたします。
社会委員会委員長 柳谷知之
王がアブサロムを悼んで泣いているとの知らせがヨアブに届いた。 その日兵士たちは、王が息子を思って悲しんでいることを知った。すべての兵士にとって、その日の勝利は喪に変わった。 その日兵士たちは、戦場を脱走して来たことを恥じる兵士が忍び込むようにして、こっそりと町に入った。 王は顔を覆い、大声で叫んでいた。「わたしの息子アブサロム、アブサロム。わたしの息子、わたしの息子よ。」
ヨアブは屋内の王のもとに行き、言った。「王は今日、王のお命、王子、王女たちの命、王妃、側女たちの命を救ったあなたの家臣全員の顔を恥にさらされました。 あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか。わたしは今日、将軍も兵士もあなたにとっては無に等しいと知らされました。この日、アブサロムが生きていて、我々全員が死んでいたら、あなたの目に正しいと映ったのでしょう。 とにかく立って外に出、家臣の心に語りかけてください。主に誓って言いますが、出て来られなければ、今夜あなたと共に過ごす者は一人もいないでしょう。それはあなたにとって、若いときから今に至るまでに受けたどのような災いにもまして、大きな災いとなるでしょう。」 王は立ち上がり、城門の席に着いた。兵士は皆、王が城門の席に着いたと聞いて、王の前に集まった。
イスラエル軍はそれぞれ自分の天幕に逃げ帰った。 イスラエル諸部族の間に議論が起こった。「ダビデ王は敵の手から我々を救い出し、ペリシテの手からも助け出してくださった。だが今は、アブサロムのために国外に逃げておられる。 我々が油を注いで王としたアブサロムは戦いで死んでしまった。それなのに、なぜあなたたちは黙っているばかりで、王を連れ戻そうとしないのか。」
イスラエルのすべての人々の声はダビデ王の家にまで届いた。王は、祭司ツァドクとアビアタルのもとに人を遣わしてこう言った。
「ユダの長老たちにこう言ってくれ。あなたたちは王を王宮に連れ戻すのに遅れをとるのか。 あなたたちはわたしの兄弟、わたしの骨肉ではないか。王を連れ戻すのに遅れをとるのか。 アマサに対してはこう言ってくれ。お前はわたしの骨肉ではないか。ヨアブに代えてこれから先ずっと、お前をわが軍の司令官に任じないなら、神が幾重にもわたしを罰してくださるように。」
ダビデはユダのすべての人々の心を動かして一人の人の心のようにした。ユダの人々は王に使者を遣わし、「家臣全員と共に帰還してください」と言った。
主の贖いの恵みによって力づけられる
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」
神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。
ルカによる福音書第22章31〜34節、ローマの信徒への手紙第16章25〜27節
浅草教会牧師
篠田真紀子
贖いの恵みによって
「立ち直ったら…とイエスさまが仰るのだから、私は立ち直ることが出来るということですね」…体調を崩して礼拝出席が叶わず、文書で送った説教を読んだ教会員からの喜びの声でした。聖書は神の言葉であり、語られた説教は命のみ言葉となるのだということを、また確信させられました。
私が高校卒業の時=生まれ育った家を離れる時に、祖母から貰った口語訳聖書の見開きには「最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい」(エペソ6・10)と筆文字で添えられています。そのみ言葉は、時にとても心強い励ましであり、また時に、とても重荷となる信じ難いみ言葉でした。キリスト者となる前も、なってからも、人は強くなることを目指さねばならないのかということが、私にはいつも重荷に思えたからです。
「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集い」と信仰告白する、この「恵み」が、私には長い間ピンと来ませんでした。しかし、ある時、それがこの私のための主の体と血=主の贖いの恵みであることを知って、私は洗礼を受けました。いや、そのことが嬉しすぎて誰かに伝えたくて、牧師となってしまったのです。主の贖いの恵みはそれ以来、ずっと私を強めて生かす力です。それは、私の罪を赦して神の子とし(義認)、私をこの世のあらゆる働きへと遣わす原動力です。そう、聖化の歩みもまた、主の贖いの恵みなのだと歳を重ねるごとに身に染みてきました。
「強くなりなさい」は、文字通り訳せば「強くされなさい」(神的受動態)であり、自分で強くなれなくても、主にあって、その偉大な力=主の贖いの恵みによって強くされればよいのです。そのことが私だけではない、教会の皆さんをも生かしていることを改めて知らされた今年の受難節の始まりでした。
わたしの福音
浅草教会では、コロナ禍をローマの信徒への手紙のみ言葉によって導かれ、今年の受難節に入る前、その最後のみ言葉を聴きました。
「神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります」(16・25)。
「強めること」=「力づける」という言葉です。イエスさまが十字架の前にペトロに言われた言葉を想い起します。ルカ22章32節「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」。
そして、使徒言行録に沢山出てきます。例えば、
「パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた」(使徒15・40〜41、他18・23)等。
つまり、人々を「力づける」ということは、キリストの弟子、使徒たちの使命=教会の使命だったのです。パウロはロマ書の最初1章11節でも「あなたがたにぜひ会いたいのは、〝霊〟の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです」と言っていて、これも同じ言葉です。誰かを力づけることが出来るということは究極の隣人愛の実践なのだと思います。自分が既に「私はこれで力づけられた」というものを持っているからこそ、誰かを力づけることが可能になるのです。
パウロはここで、「わたしの福音」という不思議な言い方をしています。それはすなわち「イエス・キリストについての宣教」なのだと、すぐに言い換えていますが、それは「わたしの福音」なのです。なぜなら、キリストがパウロに出会ってくださり、呼びかけ、パウロの罪を赦して新しく生かし、そして、キリストがパウロを使徒として立てて、お遣わしになっているからです。つまり、パウロを生かしているもの、パウロを立たせているもの、それがキリストの福音なのですから、それは「わたしの福音」なのです。
パウロは、この手紙を書き始める時、自分を「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」(1・1)と自己紹介していました。自分は、キリストを宣べ伝える「神の福音」のために召し出されたと言っていたのです。でも最後には、それは「わたしの福音」だと言うのです。なぜなら、それはパウロ自身がそれによって救われ、生かされている福音に他ならないからです。だからそれが人を力づけることが出来ると、はっきりと言えるわけです。
力づけるという言葉には、「強める」という意味だけでなく、「しっかりと固く据える」という意味があります。つまり、土台のように動かなくするのです。パウロは、「わたしの福音」と言えるほどに、もはやキリストに結ばれて動かされない、そういう風に力づけられているのです。パウロの力強さ、キリストに結ばれていることの力強さはパウロの手紙のあちこちに見出すことが出来ます。例えば、コリント二4章「…わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めをゆだねられているのですから、落胆しません。…四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず…」。
人々を力づけるもの
迫害者であったパウロにも示された神の福音は、今やパウロの宣教を通して、人々を力づけるものとなっているのです。神さまがそうなさるのです。福音は、もはや隠されてはいません。すべての異邦人に、つまり全人類に知られるようになりました。だから、この地の果ての日本にいて、私たちは救いのみ言葉を聴いているのです。
贖いの主が、今、十字架へと進みゆかれます。あなたのために主は十字架にその命をささげ、三日目に、その死に勝利してくださいます。だから、私たちはつまずくことがあっても、完全にダメになることはありません。主の贖いの恵みが、どんな時にも、どんなところからでも立ち上がらせてくださいます。だから、「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」と私たちも召されているのです。
「わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同と共にあるように」(16・24)。
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