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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【5028号】新島襄上州安中帰郷150周年記念祈祷会(4面)

2025年1月25日

建学の精神の継承と発展を祈る

 2024年11月28日、学校法人新島学園(群馬県)は安中市の新島襄旧宅において「新島襄上州安中帰郷150周年記念祈祷会」を行った。祈祷会には湯浅康毅理事長・学園長をはじめとした学園関係者のほか、2023年に同志社と包括連携協定を結んだ安中市の岩井均市長、共愛学園大川義学園長らが参列した。学校法人同志社八田英二総長・理事長、全国同信伝道会菅根信彦会長、オールドサウス教会(米・ボストン)のジョン・エドガートン主任牧師からのメッセージも読み上げられた。式の中では朝日研一朗安中教会牧師、新島学園高校3年鈴木旭さん、新島学園短期大学2年鈴木琴雅さんが祈りを捧げ、この地に福音の種を蒔き、私学教育の礎を築いた新島襄の働きに感謝し、新島学園の建学の精神の継承と発展を祈った。

 会場となった旧宅は新島襄の家族が安中藩江戸屋敷から引き上げ居住した住居であり、現在は移築され安中市の指定史跡となっている。アメリカから帰国した新島襄はこの旧宅において、10年ぶりに家族との再会を果たしている。

 1864年、江戸末期に激動する日本の将来を憂いた新島襄はアメリカへ脱国して学びの機会を得、会衆派教会で受洗、アメリカン・ボードの準宣教師としてキリスト教主義による大学の設立を胸に帰国する。安中での講話には多くの人々が詰めかけ、これを契機に集会が始まる。1878年には地元の篤志家湯浅治郎氏の運営する私設図書館「便覧舎」において新島襄より30名が受洗、安中教会が設立された。新島襄は帰国後1年で同志社英学校(後の同志社大学)を京都に設立するが、安中においては新島から直接洗礼を受けた人々によって第二次世界大戦後に新島学園が設立され、今日に至るまでその意思が継承されている(臂奈津恵報/新島学園短大宗教主任)

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【5028号】途方に暮れても失望せず(4面)

北陸学院中学校・高等学校×石川地区共催「市民クリスマス」 《石川県》

神の愛に満たされて行われている地域の伝道

 石川県金沢市で来年、創立140周年を迎える北陸学院中学校・高等学校と日本基督教団石川地区との共催で、毎年、地域住民のために開催されるクリスマスの集いがある。今年で41回目の市民クリスマスが12月19日午後6時30分より行われ、北陸学院グロリアチャペルの会堂内には465名が集った。

手作りのステンドグラス

 案内チラシには生徒の手書きで絵が描かれ、生徒たち手作りのステンドグラスが校舎の窓辺に飾られ、学内は淡い光で照らされる。静かなチャペルに、讃美歌「久しく待ちにし」のハンドベル演奏が響き渡り、開始された。生徒たちの無言の降誕劇に聖歌隊、ハンドベル、フルートやクラリネット、バイオリンなどの管弦楽アンサンブルの賛美が堂内いっぱいに響き渡る。これをリードするのが、聖書朗読を暗唱して担当するナレーター。学校礼拝で使用している聖書協会共同訳聖書である。

 第1部は預言、第2部は受胎告知、第3部はベツレヘムへの道、第4部は天使と羊飼い、第5部は東方の学者。折に触れて、会堂内の一同で讃美歌が歌われる。

 ヘンデルのメサイアを男子学生が独唱し、イザヤ書9章1節、5節の預言から降誕劇が始まった。スポットライトが点り、預言者イザヤが現れる。緊迫感に満ちた舞台は、既に救い主がお生まれになった聖書の世界である。そののちすぐにイザヤ書35章が朗読される。

 41年間、開催されてきた学内でも地域でも、伝統的なクリスマス行事。その中で、石川地区の教会は献金で支え、メッセンジャーとして説教者を送り込んできた。今年は金沢元町教会の松原望牧師が「大いなる冒険がはじまる」と題して、御言葉を

語った。

 2024年、北陸学院は能登半島地震被災地の支援活動に特に力を入れた。ハートフルな活動をしよう、とプロジェクトを立ち上げ最先端を歩む。

 市民クリスマスも、神の愛に満たされて地域の伝道と教育が行われている証であり、感謝である。(内城 恵報)


山梨県教会一致懇談会「山梨県民クリスマスの集い」 《山梨県》

讃美とオルガンの音色を通して

 山梨県では山梨県教会一致懇談会という教会一致のために祈る超教派の交わりが1968年に設立され、現在に至るまで活動がなされてきた。各教派からの教職・信徒により世話人会が組織され、運営されている。

 その働きの一環として毎年「山梨県民クリスマスの集い」が開催される。今年は12月14日、山梨英和中学・高等学校グリンバンクチャペルにて、大平健介氏(聖ヶ丘教会)を招き、クリスマス・オルガンコンサートを実施した。当日まで何人来場するかわからなかったが、205名ほどの人々が駆け付け、第1部の一致懇談会聖歌隊による讃美、第2部大平氏のオルガン演奏に聞き入った。

 大平氏は「オルガンを通して教会を元気にしたい。音楽による伝道の可能性は非常に大きく、この道を拓きたい」との熱い志のもと活動されている。

 その演奏は技術が圧倒的に優れているというばかりでなく、霊的な深みがあり、聴いた会衆の感動は大変大きなものだった。オルガン曲の中に福音のメッセージが込められており、それがこんなに魂を揺さぶるものであること、教会と関わりのない人にも響くものであることを実感した。

 オルガンとオルガニストの歴史やあり方について演奏の合間に語られた。オルガンにはそれぞれ、土地に根差した「土着性」と言える個性があり、オルガニストは旅をしながらオルガンと出会い、その持ち合わせている個性と力を引き出す、という。主イエスがタラントを僕たちにあずけ、それで商売をさせたが、タラントの可能性を引き出した者と、土に埋めた者のたとえ話(マタイ25章14節以下)を思い起こした。私たちは身近に与えられている教会音楽やオルガンという宝のポテンシャルをどこまで伝道のため生かしているだろうか。讃美とオルガンの音色を通して待降節にふさわしい黙想へと導かれた。(齋藤真行報)

第2部のコンサート


京都キリスト教協議会「平和を祈る  クリスマスキャロルナイト」 《京都府》

教会や団体の枠を超えて

 京都キリスト教協議会(略称KCC)は、1957年に創立された京都府南部地域の教派を超えた教会および関係団体の集まりです。

 2024年12月20日の夜、日本聖公会聖アグネス教会および平安女学院中学校高等学校アグネスホールを会場として、クリスマスキャロルナイト2024が開催されました。本イベントは、クリスマスキャロルナイト2024実行委員会が主催し、事務局を京都YMCAが務め、KCCの後援により実施されました。

日本聖公会アグネス教会で

 京都YMCAと京都YWCAの会員・スタッフ、日本基督教団の牧師・教会員、そしてキリスト教主義学校の生徒たちで構成された実行委員会が「地域の人々が幅広く参加し、教会や団体の枠を超えてクリスマスをお祝いする」という趣旨のもと企画を進めました。そして、地域全体に向けて広く案内しました。

 当日に体調不良などによる多くのキャンセルがあったことは残念でしたが、京都YMCA、京都YWCA、京都市内の教会関係者、そして一般の参加者103名が来場しました。イベントは平安女学院中学校高等学校コーラス部およびハンドベル部による演奏で幕を開け、その後、礼拝が行われました。説教は在日大韓基督教会京都南部教会の新井由貴牧師が担当しました。礼拝後には、京都大学交響楽団(京オケ)による弦楽四重奏が披露されました。聖歌隊は、日本基督教団の教会員、YWCAの会員やコーラスグループ、YMCAのスイミング・体操クラス参加者とその保護者や日本語科の卒業生などで構成され、当日まで練習を重ねました。伴奏は日本基督教団教会のオルガニストが担当しました。

 参加者からは、次のような感想が寄せられました。「初めて教会に入りました。歴史ある教会で、重厚なパイプオルガンの荘厳な伴奏に合わせて歌われた賛美歌『諸人こぞりて』が高らかに響き渡り、薄暗い教会内に響くその力強い音色に深く感動しました」、「貴重なパイプオルガンの音色や牧師さんの分かりやすいクリスマスのお話を聞くことができました。聖歌隊の美しいコーラスもあり、厳かな雰囲気の礼拝となり、クリスチャンではない私にも心に沁みるひと時となりました」。

 次回以降も、多くの皆様とともにクリスマスの喜びを分かち合える機会を続けていきたいと願っています。(藤尾 実/京都YMCA主事、柳井一朗/京都キリスト教協議会書記報)

2025年1月24日
たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
2025年1月23日
体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気をいやす賜物を持つ者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。皆が使徒であろうか。皆が預言者であろうか。皆が教師であろうか。皆が奇跡を行う者であろうか。皆が病気をいやす賜物を持っているだろうか。皆が異言を語るだろうか。皆がそれを解釈するだろうか。あなたがたは、もっと大きな賜物を受けるよう熱心に努めなさい。
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