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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

【5028号】伝道のともしび(4面)

2025年1月25日

伝道推進室より応援した教会・伝道所

不思議な形で働く神様

黒石教会牧師 伊丹 秀子

 黒石の町に最初に福音を伝えてくれたのは東奥義塾の学生たちでした。時は1878年。津軽藩の藩校だった東奥義塾で「新しい教え・キリストの福音」を聞いて信じた若き学生たちが驚きと共に黒石の町での伝道を開始したのでした。

 しかし52年の間、黒石の町には「教会」が与えられませんでした。義塾の学生と共に弘前教会の牧師たちが熱心に伝道をしてくださり、町の歴史にさえ「公会堂でヤソの集会が行われ二百名もが集まった」と記録されたにもかかわらず、長い間、黒石の町には教会が与えられませんでした。

 1930年。佐藤又男さんという一人のクリスチャンが「わぁが本家から分けてもらった土地を献げるハンで、ここサ教会を建てケ」と申し出てくださり、大工の相澤さんという方が弘前教会をモデルに最初の小さな教会を建ててくださいました。

 しかし最初の会堂・大工町会堂が建った後、佐藤又男さんの御一家が次々と結核で天に召されてしまいました。また大工の相澤さんも戦争に駆り出され天に召されてしまいました。

 戦争中、大工町会堂では日曜夜に外に灯りがもれないように黒布で窓を覆って礼拝が守られ続けました。この時、黒石教会の礼拝を助け導いてくださったのが聖愛中学高等学校の聖書教師・高島清子先生。ごく少数の参加者でしたが、戦争中も黒石教会は礼拝を守り続けました。

 戦後、世の中にキリスト教ブームが起こった時、黒石教会でも「牧師招聘」の祈りが始まりました。経済的な問題からそれは困難な課題でしたが、それでも太田実先生や金井輝夫先生が黒石教会に定住してくださった短い期間、教会は地域の若い方々で賑わいました。

 そして塚原啓一先生が赴任。お連れ合いが絵を教えるという形で生活を支え伝道してくださいました。次の菅原祐治先生の時代には多くの熱心な方々が教会に集い、少しばかりの混乱さえ起こるほどでした。

 この混乱を治めてくださったのが日野長臣先生。お連れ合いがピアノを教えて家族の生活を支え、御夫婦で伝道してくださいました。日野先生の次に来てくださったのが真壁巌先生。近隣の浪岡伝道所と八甲田伝道所の兼牧をし、更に東奥義塾で教えながら伝道してくださいました。真壁先生が御病気で休職せざるをえなくなった時には、地域の教会の牧師たちが説教応援に来てくださり感謝でした。

 1999年12月には塚原先生時代からの祈りだった会堂の移転新築が実現しました。感謝でした。会堂建築の翌年から毎年「年に一度のニュースレター」を多くの方に送ることができ感謝しています。

 黒石教会は会員数が少なく常に経済的な弱さを抱えていました。しかし神様は不思議な形で働いてくださいます。10月半ばから突然、海外から黒石に働きに来ている方々が礼拝に集ってくださるようになり、本当に励まされています。主が常に共にいてくださることを感謝です。

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