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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【5000号】記事一覧

2023年7月8日

【5000号】教区総会報告2023年度2 − 西東京・東京・沖縄(1面)
【5000号】荒野の声(1面)
【5000号】教区総会報告2023年度2 − 東中国・関東・東海(2面)
【5000号】教育委員会・伝道委員会(3面)
【5000号】カルト問題全国連絡会・韓日異端似以非対策セミナー(3面)
【5000号】教区議長コラム(3面)
【5000号】事務局報、出版局よりお知らせ(3面)
【5000号】伝道報告 伝道のともしび(4面)
【5000号】止揚学園創立60周年(4面)
【5000号】人ひととき(4面)
【5000号】教区(地域的共同体)の役割(4面)

 

 今年度は、ほぼすべての教区で、広い会場を用いたり、全体の時間を短縮するなどのコロナ感染防止対策をし、皆が集まって教区総会が開催された。
 そのいくつかの教区総会に赴くことができたが、多くの教区において、教区内における宣教協力や、教会支援および教師謝儀互助(保障)等について、時間をかけて議論がなされていたことが強く印象に残っている。
 教憲に、「本教団はその教会的機能および教務を遂行するために教区を置く」(第6条)とあり、「教区は本教団所属教会の地域的共同体であって、教区総会をもってその最高の政治機関とする」(同)とある。これは、教区の役割は、教区内の教会・伝道所、関係学校・団体・施設が共に立ち、活動を継続することを支える地域的共同体としての働きを担うということだと思うが、まさにそのような具体的な課題に取り組むための熱心な議論がなされているのである。
 財政的に困難な状況にある教会・伝道所の支援、兼務・代務を担っている教師に対する支援、地域における固有の課題との取り組みなど、教区内における伝道の展開のために、真剣な話し合いがなされている様子をあらためて見聞きし、胸が熱くなった。
 いくつかの教区で、教区の働きを担う方たちが新たに選出された。その方たちの健康と働きが守られることを祈っている。

(教団総会議長 雲然俊美)

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがない」

三田教会員
大村 直子さん

 大村さんは3歳の頃、祖父母に連れられて霊南坂教会の教会学校に出席し、また近くの教会の幼稚園に通った。牧師が温かく迎えてくれた体験が、後に幼稚園教諭になりたいとの思いにつながった。
 母から、「神さまは全てを備えてくださる」と繰り返し聞かされていた大村さんは、神さまに委ね、与えられたものを受け入れることが多かった。大学卒業時、はじめて自身の人生について真剣に考える機会を得、その中で、教会に根差して歩むべく信仰告白をし、学科長から勧められた仕事を断り、キリスト教主義の幼稚園に就職した。
 結婚して川崎市の三田に住むようになった。後に三田教会となる家庭集会が始まり、大村さんは幼い娘をあやしながら、集会の案内はがきを作る等の奉仕を担った。また、自宅で絵本の読み聞かせ会を催し、そこから教会学校につながる子どももいたという。
 40代半ばの頃、『信徒の友』の編集委員を引き受け、以来26年、編集委員長になり13年が経つ。3か月に1回、編集委員会を開き企画し、毎月の編集会議で内容を練っていく。その中で、信徒に身近な話題だけでなく、旧約続編や他宗教のことなど幅広い学びを与えられた。委員やスタッフが篤い祈りを持って取り組んでいる働きの中に加えられ、感謝している。
 2006年からNCC書記を担った時には、他教派との関係や世界の教会との繋がりを実感した。今、世界では分断が進み、その波がキリスト教界にも広がっている、との危機感を持っている。「言葉を紡ぎ、繋いで来た教会が、倦み疲れることなく次代に継いでいくために、教師と信徒が共に言葉を発信し続けていかなければならない」と語る。「主は私の羊飼い。私は乏しいことがない」(詩編23編)に励まされて歩んでいる。

優しい思い出は未来を照らします

 5月27日、止揚学園創立60周年記念式「思い出が照らす方へすすむ会」が行われた。5月13日と2回に分けて行われた式には、合わせて500名が集められた。
 止揚学園は、同志社大学神学部を卒業した福井達雨さんが、知能に重い障がいがある4名の仲間と共に歩み出したことによって始まり、現在は福井生(いくる)園長が引き継いでいる。
 礼拝では、小原克博教授(同志社大学)が「この最も小さい者たちの一人に−止揚の力が向かう未来」(マタイ25・31〜46)と題して話した。先ず、世が多数に目を向ける中で「最も小さい者」に眼差しを注ぎ続けた達雨さんの歩みは、時に周辺の人々とぶつかり合いを引き起こすものであったことを振り返った。その上で、「止揚」とは何かについて語り、「学園が、障がいがあるとされる者と無いとされる者がぶつかり合って新しいものを生み出して行くことを宿命づけられており、その働きは障がいという概念を必要としなくなるまで続く」と語った。
 続いて、福井光子理事長が小さな輪から始まった働きが多く人々に支えられ大きな輪となったことに感謝を述べた。また、辻昌宏社長(近江兄弟社)が近江兄弟社と止揚学園の交流を紹介し、「これからも共に歩んで行きたい」と挨拶した。
 第2部では、止揚学園の仲間たちが、学園の歩みを紹介、会場は温かい拍手に包まれた。また、福井園長が「優しい思い出は未来を照らします」と題して記念講演を行った。仲間たちと共に過ごして来た思い出を振り返り、「全てを委ねて来る仲間たちとの温かい思い出に包まれた時、自らの方が形を変え、命が活き活きと生きる場にはまりこんでいた」と語った。また、この関わりを守り続けて行く決意と共に、支えて来てくれた人々への感謝を述べた。

(新報編集部報)

「シオン保育園」と「隠岐教会」

シオン保育園園長・隠岐教会
牧師 大野 光信

 1958年3月に隠岐諸島の中ノ島(海士町)において伝道開始、その5月に隠岐伝道所を開設、8月に隣の島の西ノ島(西ノ島町)の方々より幼児施設設立の依頼があり、協議を開始する。そのために隠岐伝道所を西ノ島に移し、保育園舎建築が始まる。1959年11月に「シオン保育園」を開設、1962年9月に社会福祉法人シオン保育所(「シオンの園」)が設立される。このようにして今日まで、隠岐伝道所(隠岐教会)と共に歩んできた。
 シオン保育園は「平和を作る」ことを中心に据え、現在まで保育に携わってきた。子どもたちが平和を作る人として歩むことができるようにと。
 その地域の方々の要請にこたえる形で、1998年に「シオン子どもの家」(児童クラブ)を障がいのある子どもを中心に開設(2018年3月まで)、2003年10月に精神障がい者グループホーム「ハイツ・シオン」の開設、2004年10月に精神障がい者小規模通所授産施設「ございな」(障がい者サービス事業所)の開設、2008年4月に地域子育て支援センターの開設と続く。
 島根県内で障がい者施設を開設する直前に、隣接する幼稚園保護者からの反対運動で開設ができなくなったということがあった。ちょうどグループホーム開設準備をしているときであったが、理事会において地域代表として選ばれている理事より、「グループホームをシオン保育園に守ってもらいなさい」という発言があった。また、保育園の保護者総会においてこの計画を伝え、「この保育園にお子さまを預けることに不安がある方はおっしゃってください」というと、保護者の方々からこの計画を歓迎してくださる言葉が多く与えられた。そして、保育園と同じ敷地の中に保育園を正面にしてグループホームが建てられることとなる。
 今、定員20名の小さな保育園が建っている。フェンスに囲まれず、だれもが自由に出入りできる場所である。様々な障がいをもった方の生活の場がそこにあり、高齢の方が向かい側のデイサービスに通う。特別な関係ではなく、一緒に生活をしている仲間としてそこには日常がある。その真ん中には明るい緑色の屋根の小さな教会堂が建っている。

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