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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

日毎の糧:一覧

ヘブライ人への手紙11・13~22

2024年7月10日
 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。  信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。 この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。 アブラハムは、神が人を死者の中……

ヘブライ人への手紙11・1~12

2024年7月9日
 信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。 昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。  信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。  信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。 信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていな……

ヘブライ人への手紙10・19~39

2024年7月8日
 それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。 更に、わたしたちには神の家を支配する偉大な祭司がおられるのですから、 心は清められて、良心のとがめはなくなり、体は清い水で洗われています。信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。 約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。 互いに愛と善行に励むように心がけ、 ある人たちの習慣に倣って集会を怠ったりせず、むしろ励まし合いましょう。かの日が近づいているのをあなたがたは知っているのですから、ますます励まし合おうではありませんか。  もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残ってい……

使徒言行録24・10~21

2024年7月7日
 総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。 確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。 神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。 そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。 しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。 更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。……

ヘブライ人への手紙10・1~18

2024年7月6日
 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。 もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。 ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。 雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。  それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。 「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、 むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。 あなたは、焼き尽くす献げ物や 罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。 そこで、わたしは言いました。 『御覧ください。わた……

ヘブライ人への手紙9・15~28

2024年7月5日
 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。 遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。 遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。 だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。 というのは、モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと共に若い雄牛と雄山羊の血を取って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、 「これは、神があなたがたに対して定められた契約の血である」と言ったからです。 また彼は、幕屋と礼拝のために用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。 こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められてお……

ヘブライ人への手紙9・1~14

2024年7月4日
さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。 すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。 また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。 そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり、 また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。こういうことについては、今はいちいち語ることはできません。 以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。 このことによって聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているか……

ヘブライ人への手紙8・1~13

2024年7月3日
 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。 すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。 もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。 しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定され……

ヘブライ人への手紙7・11~28

2024年7月2日
 ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。 祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。 このように言われている方は、だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に属しておられます。 というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、祭司に関することを何一つ述べていないからです。 このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。 この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。 なぜなら、 「あなたこそ永遠に、 メ……

ヘブライ人への手紙7・1~10

2024年7月1日
 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。 アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。 彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。  この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。 ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、律法によって命じられています。 それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福……
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