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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【5018号】記事一覧

2024年5月25日

【5018号】教区総会報告2024年度 1(1・2面)
【5018号】能登半島地震報告(2面)
【5018号】年金局よりお詫び・訂正(2面)
【5018号】「東北地方地震被災教会支援募金」献金報告(2面)
【5018号】事務局報(3面)
【5018号】青年大会参加者募集中(3面)
【5018号】伝道のともしび(4面)
【5018号】第69回 台湾基督長老教会(PCT)総会(4面)
【5018号】人ひととき(4面)
【5018号】教会の役目は?(4面)

 この時期、教団三役と総幹事が分担して各教区総会に赴き、各教会・伝道所等の様子を見聞きし、伝道の状況を把握することに努めている。
 近年、多くの教会・伝道所が教勢および財政力の低下で苦しんでいる。このことは以前からの課題であったが、コロナ禍で一気にその傾向が進んでいる。コロナ禍はだいぶ落ち着いたが、教会ではなかなか礼拝出席者が回復していないとのことを聞く。各教区では、懸命に教会相互の支援や教師謝儀互助等の取り組みを進めている。
 そのような中で、ある教区において、以前のような伝道の取り組みができなくなっていることで悩み、あらためて教会は何のために存在するのか、教会の役目は何なのかを深く考えさせられているとのことを聞いた。
 その教区総会でもたれた追悼式の司式をした牧師が式辞の中で、今年の1月に天に召された同僚の牧師に、自教会の会堂修繕等の取り組みに一区切りついたことを話したところ、その牧師から、「君の役目は建物(を管理すること)か?」と問われたとのことを話された。たしかに、教会も牧師も、その務めについてはこれで一区切りということは無い。主日ごとに礼拝をささげ、福音を宣べ伝え続けて行くのである。
 伝道の困難さに直面しているすべての教会が、「教会の役目は?」と問われている。

(教団総会議長 雲然俊美)

神さまに示されるままに

奈良高畑教会員
小川富佐子さん

 キリスト者であった伯母に誘われ、初めて教会に来たのは19歳。自分を温かく迎えてくれた教会は、小川さんにとって、ほっとすることのできる場所だった。ある日、牧師から声かけがあった。「もう1年以上、教会に通ったから、ぼちぼち洗礼を受けたらどうですか」。当時、何の疑いもなく「そうなんだ」と洗礼の招きに答えた。23歳のイースターのこと。
 その後、奈良高畑教会で結婚式をし、3人の息子を授かり、子育てと仕事に追われる日々が始まった。礼拝は月に1回出席するのが精一杯であった。自分が教会に行けない時には、子どもたちだけで教会学校に参加していた。今当時を振り返って、子どもたちが教会の祈りの中で育てられたと実感している。
 子どもたちが成人し、子育てに一区切りがついた頃、思い切って転職を決意した。日曜日は休みの職場に入職し、毎週の礼拝に出席することが叶った。その後、教会学校の教師を委嘱され、2019年には長老を任職された。
 小川さんに、願いがあった。自宅を開放し、放課後、子どもと親の居場所を提供すること。コロナ禍の始まりと重なる時期であったが、毎月1回、放課後フリースペース「ゆるまな」(マナティーのようにゆったり過ごそう)を、長老会の了承を得、家庭集会として始めた。コロナ禍にあっても、できる限りの対応をして開き続けた。教会学校の礼拝には来ていないけれど、ゆるまなに来てくれる子どもたちの存在が嬉しかったと語る小川さん。
 現在は「ゆるまな」に加え、中高生が参加しやすい月1回日曜夜の「よるまな」も開催している。礼拝に行ってみたいと思う子が与えられることを祈りながら、これからも神さまに示されるところに従って歩みたいと願っている。

 

宣教の歴史を学ぶ

 

 4月16〜17日、台湾彰化市で開催された第69回台湾基督長老教会(PCT)総会に出席した(総会は18日まで)。コロナ禍後初めて、ミャンマー、日本、アメリカ、韓国、インド、タイ、カナダ、マレーシアなど、海外の教会からの出席者を迎えての総会であった。
 16日は開会礼拝の後、来賓の頼清徳新総統の来場を待ち(そのため総会会場には厳しい警護態勢が敷かれていた)、新総統が到着したところで、アメリカ(アメリカ長老教会)、日本(日本基督教団)、韓国(韓国基督長老会)の各教会の代表者3名が挨拶をした。
 その後、海外の教会からの出席者は、総会会場として使用された彰化基督教醫院の歴史、および、台湾におけるキリスト教宣教の歴史について学ぶ時間をもった。それぞれ多くの資料や写真等が展示されている記念室において、丁寧な説明を聞いた。
 17日は近隣の柳原基督長老教會を訪問し、台湾基督長老教会の歴史について学んだ。まず、17世紀以降のオランダ、スペイン、清王朝、そして50年に及ぶ日本の植民地支配の時代を経て、第二次世界大戦後の国民党政権下の状況から今日に至るまでの歴史の紹介がなされた。
 そのような中で、ローマカトリック教会の宣教師の活動が始められ、続いて、1865年にイギリス長老教会の宣教師の活動(主に台湾南部)、1872年にカナダ長老教会の宣教師の活動(主に台湾北部)がなされ、台湾基督長老教会が形成されたとのことであった。また、同教会が、台湾人民の教会として、台湾原住民伝道と共に、台湾における正義と平和、人権の保障を祈り求めつつ宣教活動を行っていることが紹介された。
 日本基督教団と台湾基督長老教会は、2023年に協約締結60周年を迎えた。そして、来年2025年に協約改訂40周年を迎える。この度の訪問で、コロナ禍で中断していた両教会の宣教協力活動を一層進めて行くことを確認することができた。
(雲然俊美報)

伝道報告 伝道推進室より応援した教会・伝道所

罪の告白と執り成しの祈りから

大島シオン教会牧師
勝山健一郎

 1979年、宗教音楽の研究を終えて帰国した松山興志雄牧師は、「この地で伝道しよう」との新たな志をもって、東京の下町である江東区大島一丁目の自宅マンションで開拓伝道を始めました。朝子夫人は、ミッションスクールに勤めつつ、単身ドイツに渡った夫牧師を物心両面で支え、自宅も帰国にあわせて購入しました。
 このマンションは広さや交通の利便性もありましたが、選んだ最大の理由は「ジュネシオン」(若きエルサレム)という名前で、キリスト教徒の少ない日本で、聖書に基づいた名前の建物で教会活動がはじめられることに感謝し、教会名を「大島シオン教会」と定めました。1981年ペンテコステ礼拝後に「日本基督教団大島シオン伝道所」として教団に開所届を提出し、教会での礼拝が行われ、伝道が開始されました。
 当時の礼拝の特色は、フランスのテゼー共同体の礼拝を参考にして、伝統を守り、心のこもった礼拝でした。同時にテゼーの兄弟たちの協力で、聖書研究会や語学教室が始まり、さらに地域伝道のために映画の上映会等が行われ、そこから救われた方もおられました。
 その後、礼拝参加人数の増加、法律の改変などから、1990年に礼拝場所を江東区の区民センターに移しました。区民センターは、第三セクター設立で利用目的で制約を受けなかったこと、当時区議を兼務されていた聖公会鈴木勉チャプレンの御尽力もあり、20年以上利用できました。ダンス教室やA・A(断酒活動)と隣り合わせで礼拝を守ったのが懐かしい思い出です。
 21世紀に入り、牧師夫妻の高齢化で礼拝備品のセンターへの搬入が負担になってきたこと、隠退後の伝道継続の点から独立した礼拝堂を祈り求めました。多くの方々からの献金と牧師夫妻の不動産を売却した資産により、2004年6月6日、ペンテコステの日に債務なしで大島7丁目に会堂が与えられ献堂式をあげることが出来、今日に至っています。
 礼拝の特色は、設立当初から毎週の礼拝で「罪の告白と祈り」を行っていることです。
 週の初めに、先ず主の前で自らの罪を告白し、執り成しの祈りを捧げることから、その週の歩みができることは、教会にとっても、礼拝に集う人にとっても、霊的に満たされることと思っています。教職は松山牧師の隠退後は、森田好和牧師、現在の勝山健一郎牧師です。
 地域伝道として行っていることは、「こころの友」を用いて、新設した掲示板に貼ったり、筒の中に入れて通行人が自由に取って読んだり持っていかれるように、と期待して行なっていることです。これからはミッションスクールの生徒さんや、地域におられる外国人が来られやすい教会にすることだと思うのです。

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