伝道報告 伝道推進室より応援した教会・伝道所
罪の告白と執り成しの祈りから
大島シオン教会牧師
勝山健一郎
1979年、宗教音楽の研究を終えて帰国した松山興志雄牧師は、「この地で伝道しよう」との新たな志をもって、東京の下町である江東区大島一丁目の自宅マンションで開拓伝道を始めました。朝子夫人は、ミッションスクールに勤めつつ、単身ドイツに渡った夫牧師を物心両面で支え、自宅も帰国にあわせて購入しました。
このマンションは広さや交通の利便性もありましたが、選んだ最大の理由は「ジュネシオン」(若きエルサレム)という名前で、キリスト教徒の少ない日本で、聖書に基づいた名前の建物で教会活動がはじめられることに感謝し、教会名を「大島シオン教会」と定めました。1981年ペンテコステ礼拝後に「日本基督教団大島シオン伝道所」として教団に開所届を提出し、教会での礼拝が行われ、伝道が開始されました。
当時の礼拝の特色は、フランスのテゼー共同体の礼拝を参考にして、伝統を守り、心のこもった礼拝でした。同時にテゼーの兄弟たちの協力で、聖書研究会や語学教室が始まり、さらに地域伝道のために映画の上映会等が行われ、そこから救われた方もおられました。
その後、礼拝参加人数の増加、法律の改変などから、1990年に礼拝場所を江東区の区民センターに移しました。区民センターは、第三セクター設立で利用目的で制約を受けなかったこと、当時区議を兼務されていた聖公会鈴木勉チャプレンの御尽力もあり、20年以上利用できました。ダンス教室やA・A(断酒活動)と隣り合わせで礼拝を守ったのが懐かしい思い出です。
21世紀に入り、牧師夫妻の高齢化で礼拝備品のセンターへの搬入が負担になってきたこと、隠退後の伝道継続の点から独立した礼拝堂を祈り求めました。多くの方々からの献金と牧師夫妻の不動産を売却した資産により、2004年6月6日、ペンテコステの日に債務なしで大島7丁目に会堂が与えられ献堂式をあげることが出来、今日に至っています。
礼拝の特色は、設立当初から毎週の礼拝で「罪の告白と祈り」を行っていることです。
週の初めに、先ず主の前で自らの罪を告白し、執り成しの祈りを捧げることから、その週の歩みができることは、教会にとっても、礼拝に集う人にとっても、霊的に満たされることと思っています。教職は松山牧師の隠退後は、森田好和牧師、現在の勝山健一郎牧師です。
地域伝道として行っていることは、「こころの友」を用いて、新設した掲示板に貼ったり、筒の中に入れて通行人が自由に取って読んだり持っていかれるように、と期待して行なっていることです。これからはミッションスクールの生徒さんや、地域におられる外国人が来られやすい教会にすることだと思うのです。