
日本基督教団は宗教団体法による宗教団体統制を目論んだ国家の要請に基づき、1941年6月24〜25日に創立しました。それ以前からプロテスタントの諸教派を統合した日本独自の合同教会の誕生をという機運が高まっていたこともあり、宗教団体法を渡りに船とばかりに合同を推し進めたとも言えます。戦時下の教団がかの戦争を是認し、加担していったことを考えると、日本独自の合同教会の誕生をという機運そのものが近代日本のナショナリズムへの同化だったと言えます。2022年5月15日に沖縄の本土復帰50年を迎えました。沖縄の本土復帰を前に、1969年2月25日に沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同が実現しました。しかし、この合同もまた近代日本のナショナリズムに沖縄を再び同化させるものだったとは言えないでしょうか。2022年の教団創立記念日に当たり、沖縄との関係修復を願いつつ、教会の合同とはいったい何なのかを立ち止まって考えてみたいのです。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)
「息や風のように現れる神様の力」
聖書個所:五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
使徒言行録2章1-4節
宮古島伝道所
牧師 坂口 聖子
みなさまこんにちは。わたしは沖縄の宮古島にある日本基督教団宮古島伝道所の牧師の坂口聖子です。今日はキレイな宮古島の海を背景にお話をさせていただきます。ここは宮古島の南静園という国立ハンセン病療養所の中にある海で、とても静かです。この海のすぐ近くには、南静園の納骨堂があり、そこには75年前に宮古島で一番最初に教会を創られた国仲寛一先生が今もこの納骨堂で眠られています。宮古島に最初に教会が建てられたのは、第二次世界大戦が終わってすぐでした。かつての戦争で艦砲射撃と飢えとマラリアで多くの人が亡くなりました。その中にあって神様のメッセージを戦争で苦しんだ宮古島の人々に語りました。ハンセン病は皮膚病で、罹患した方は遠く離れた島や隔離された施設へと追いやられ、自由を奪われて社会から疎外され、差別をされて生涯を過ごさなくてはなりませんでした。国仲先生は日曜日、高校生を連れて米軍から払い下げられたトラックに乗せ、南静園に行き、ハンセン病の人々と共に賛美し礼拝をしました。そして国仲先生は約2年半の伝道生活でしたが、40歳で結核により天に召されました。最期に「私の骨は南静園の療養の友と一緒に葬ってほしい」ということで、今もこちらで眠っています。国仲先生は戦争の後、絶望の状況にあった沖縄の宮古島で希望のメッセージを伝え、今もその希望の光は消されることはありません。絶望の中でも希望を見失わないその力はどこからやってきたのでしょうか?今日はそのことをみなさんと一緒に考えてみたいと思います。
6月は「ペンテコステ(聖霊降臨日)」です。「ペンテコステ」はギリシャ語で「50」という意味を持ち、イエスさまが十字架につけられたその翌日の日曜日から50日、7週数えて50日目の日曜日を「ペンテコステ」と呼び、もともとは小麦の収穫のお祝いのお祭りの日です。イエスさまが生まれたクリスマス、そしてイエスさまが十字架につけられ復活したイースターと並んで、ペンテコステはキリスト教の3つの大きなお祝いの日で、この日にイエスさまの聖霊が降り、教会が生まれました。ペンテコステは全世界の教会のお誕生日です。イエスさまはイースターで復活して、なぜこのペンテコステにまた大好きなお弟子さんたちと離れて、天に行かれたのかと考えると、とても不思議です。イエスさまは「必ずみんなに聖霊を与えるよ」と約束されました。「聖霊」はあまり聞きなれない言葉、そしてわかるようなわからないような不思議なイメージがあるかもしれません。
簡単に言えば、「聖霊」とは見えない形で人間をふるい立たせる神さまの愛情、全ての違いを乗り越える力です。その聖霊を受けることでわたしたちの生き方は大きく、また良いものに変わっていくエネルギーそのものと言ってもいいでしょう。その力は地上でイエスさまとお弟子さんたちだけが活躍するより、聖霊としてもっと大きな働きができるのです。
神様は目には見ることができないけれど、確かに自分のそばにいて、あったかさを感じることができる。キリスト教では、目には見えないけれどいつも私たちのそばにいる神様の力やエネルギーのことを聖霊と言います。
聖霊はもともと聖書が書かれた原語のヘブライ語では「息」や「風」とも訳します。聖霊は息や風と同じですので、感じるものです。目には見えない神様の力の働きです。聖霊を考える上で、もっとわかりやすく息や風についてイメージしてみましょう。息は人間が生きる上で絶対欠かせないものです。息ができなくなるとそこで人生が終わってしまうように息は命の源です。そして息には人々を互いに結び合わせる働きをします。息と共に空中に出された声が他の人に届き、言葉を聞き、同じ気持ちを共有します。そして風も目には見えないけれど感じられるものです。そして風を捕まえようと思ってもそれは手をすり抜けてしまいます。風にはさまざまな種類があります。そよ風もあれば台風も。風の働きはものを同じ方向に動かすエネルギーを持っています。帆を張ったヨットは風に流されて動くように、です。そのイメージからすると聖霊は私たちに命を方向性を与え、元気づけて先へ前進する力を持っていることがわかります。そうそれは何にもまして聖霊がすでに与えられ、私たちの心になみなみと注がれているからです。
「聖霊に満たされ」とは、イエス様がわたしの身体の中に住み、どんなときも一緒にいてくださるという、揺るぎない確信そのものです。神様の大きな愛の力そのものです。お弟子さんたちに降った聖霊の力は、今もなお私たちの心と身体に留まり、いつも一緒にいて、生きる力そのものを与え続けてくれているのです。聖霊は私たち一人一人の幸せをいつも願っていて、今よりももっとより良くなるために働いてくれています。神様のエネルギーは自分の心の奥深いところ、誰にも見せられないような自分のドロドロしたところにもスッと入ってきて、自分の心と身体の内側から、励まして、元気をくれる愛のエネルギーそのものです。そんなあったかい力を受けて、私たちは今日も生きていくことができるのだと思います。人生には何か決断をしなければならない時、勇気を持って行動しなければならないときがあります。また、苦しくて立ち上がれないと感じるときもあるでしょう。でもそんな時に神様の愛のエネルギーは自分の中に入ってきて、「どんな時も一緒だよ。あなたを見捨てないよ。一緒に頑張ろうよ」と励ましてくれているのです。聖霊は時間や場所を越え、今でもわたしたちに与えられています。神さまから与えられた聖霊の温かさをもっとたくさんの人に知ってもらいたい。この世界は神の愛に包まれています。だからこそ、教会はいまもここに建っているのです。みんなで全世界の教会のお誕生日をお祝いしましょう。
わたしに語りかけた天使は、都とその門と城壁とを測るために、金の物差しを持っていた。この都は四角い形で、長さと幅が同じであった。天使が物差しで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。また、城壁を測ると、百四十四ペキスであった。これは人間の物差しによって測ったもので、天使が用いたものもこれである。都の城壁は碧玉で築かれ、都は透き通ったガラスのような純金であった。都の城壁の土台石は、あらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイア、第三はめのう、第四はエメラルド、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。また、十二の門は十二の真珠であって、どの門もそれぞれ一個の真珠でできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。また、わたしに言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐ。わたしはその者の神になり、その者はわたしの子となる。しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。」
わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。
わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
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