一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。 そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。 「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」 イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。
【5042号】メッセージ(1面)
【5042号】社会委員会 援助団体 子どもを受け入れた主を世に証するわざ(2面)
【5042号】各地のクリスマス(3面)
【5042号】事務局報(3面)
【5042号】お詫び・訂正、今月のメッセージ(3面)
【5042号】伝道のともしび(4面)
【5042号】事務局《クリスマス礼拝》(4面)
【5042号】人ひととき(4面)
【5042号】これから先、この町に 住む人たちのためにも(4面)
年末に帰省した次女との話を通して考えさせられたことがあった。次女は東京で働いていたが、コロナの頃、本当に自分がしたかった仕事をしたいと思い、求人があった三重県の財団に転職した。転職が決まった時、知人から「どうして知り合いが全くいない所に行こうと決断できたのか」と質問を受けたとのことであった。その時は答えが見つからなかったが、後で考えてこうではないかと思ったと言っていた。どこでも、そこには自分が育ったのと同じような教会があり、礼拝している人たちがいると思ったから、不安は全くなかったのではないか、と。
実際、次女が属する阿漕教会は、日曜日も仕事であることが少なくない次女のために夕礼拝を再開し、信仰生活を支えてくださっている。また、昨年11月には、結婚式をさせていただいたが、教会の皆さんが喜びつつ支えてくださっている姿を見て、感謝で心が一杯になった。
今回のことを通して、教会がその町に建って歩んでいることは、単に今の町の人たちのためだけではないのではないかと思わされた。これから先、この町に住むことになる今はまだこの町にいない人たちのためにも建っているのではないか。そう考えると、現状を超える希望があることを思う。そのことを強く思わされながら、新しい年の歩みを始めさせられている。
(教団総会書記 黒田若雄)
落ち穂を残す社会に
代々木上原教会員
田村綾子さん
横浜で生まれ育ち、明治学院大学で社会福祉を専攻、精神科病院での実習が、進路を決める契機となった。病院で出会った患者さんは飾り気がなく、本音だけで対話がなされていた。その空間に居心地の良さを覚えると共に、この人々が入院生活を続けざるを得ない現実と、受け入れる場がない社会に疑問を抱いた。
大学卒業後は、精神科病院で17年勤務し、患者の権利擁護や地域生活支援を担った。当時は「精神保健福祉士」の国家資格は無く、働きながら仕事を身に付けて行った。病院でベテランとなった頃に大学院に進学、現場経験を学問的に深める機会を与えられた。
病院を辞めた後、現在、会長を務める精神保健福祉士の職能団体に勤務。研修制度を整えると共に、国に対して政策提言を行う。この働きの中で、聖学院大学で講義を任され、専任となり、昨年の7月に理事長に就任した。
田村さんが教会に繋がったのは、病院を辞めた後だった。大学院で知り合った交際相手が、結婚直前に病が見つかり、結婚して2年後に召されてしまう。夫の高校(明治学院)時代の恩師に結婚式と葬儀の司式をしてもらった。夫を看取った後、教会に導かれ受洗。聖書を学ぶ中で、社会福祉の原理である人権や個の尊重に通じるものがあると受け止めている。
旧約聖書の中の落ち穂を貧しい者のために残しておく話から、実りの全てを自分の物とせず、拾う人もできる範囲で働き、自尊心を損なうことなく糧を得て行くところに共生の仕組みがあることを知らされた。「弱い立場の人々が生きづらさを覚えることなく、誰もが肯定されていることを知らされるところに生まれる寛容さを土台とした未来の社会を創る働きを担えれば」と語る。
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