死に取り残された世界に寄り添う
――ヨブの苦難に寄せて――
24なぜなら、わたしのパンの前にわたしの呻きが迫り来て、
水のようにわたしの唸りが吐き出されるのだから。
25なぜなら、わたしが恐れていた恐れがわたしに臨み、
わたしが怖がっていたものがわたしに迫って来たのだから。
26わたしは安らぐことなく、穏やかにいることもなく、
憩うこともない。ただ混乱だけが迫り来る。
(ヨブ記3章24−26節[私訳])
ヨブ記の主題のひとつは神義論であり、神はなぜ悪や苦悩を放っておくのか、また悪人(罪人)が栄え、善人(義人)が苦難に遭うといった不条理を神はどうして見過ごしにするのかが問われています。義人ヨブは自らの命と妻以外の家族と財産を失い、自らも病に冒されます。彼は神に訴えかけ、また自らを詰る友人たちと議論を繰り広げます。
ヨブ記3章はサタンの試みによって全てを失ったヨブが独白をする場面です。冒頭に引用した3章24−26節には、絶え間なく襲う不安や恐怖に苛まれるヨブの心情が明かされています。24節が描くのは、朝目覚めて食事をするよりも前に――あるいは食事の代わりに――呻きに襲われ、水のように絶え間なく注ぎ出されるように呻吟するヨブの姿です。25節はヨブにとって最も恐怖していたことが現実のものとして迫って来たことに触れています。ヨブ記においてそれは幸福の絶頂から不幸のどん底に自らを沈めた禍いそのものに置かれているのではなく、自らを不幸に陥れることを許す神の不条理や自らの祈りに応えることのない神の不在に直面したヨブの実存の危機として立ち現れています。それゆえ、26節においてヨブは一瞬の平安すら感じることなく、ただひたすら不安と恐怖に苛まれ続けるのです。
今回の聖書テクストは担当者が身近な人たちの死を看取ってきたここ10年ほどの時間を振り返り、しかも牧師として葬儀の説教をしつつその人たちを見送ってきたことで、大切な人の「死」そのものに向き合うこともできず、まるで自らが蝕まれているような漠とした不安に襲われているといった心情から選んだとのことです。その文面には以下のように記されています。
わたしの中の「死」は、いつも置き去りになっているのです。そうやって、わたしは、わたしの中に「死」をため込んでいって、重たいと思うこともあります。いつかひとは死ぬのですが、それに想起される悲しみとか、そういうことではなく、単体の死、みたいな、漠然とした死という、なにか黒光りするようなものが、詰め込まれていく感じですね。
長年の友人でありながら、知らないことばかりであり、毎月の依頼の文面からその感性と繊細さを改めて垣間見ているような気がします。ヨブの問いと担当者の問いの間にある問題や課題を間テクスト的に読み解きつつ、双方が煩悶する不安や恐怖に共鳴するような言葉を紡ぎ出せるのかどうか甚だ心許ないのですが、今回はわたし自身の経験に引き寄せて考えてみようと思います。
新型コロナウイルスのパンデミックが始まった2020年の7月末に叔父を見送る経験をしました。暑い夏の日の夕方に札幌の警察から連絡があり、叔父が自宅で亡くなっていたとの知らせでした。知り合いの牧師に葬儀社を紹介してもらい、役所の手続きなどを済ませ、遺体を引き取りに行きました。警察からそのまま火葬場に赴き、まだ熱い遺骨を持ち帰りました。唯一の弟を失った母は茫然自失となり、一緒に行けなかったことを侘びながら咽び泣いていました。早くに父を亡くしたわたしたち兄弟にとって、叔父は父親代わりでもありました。2013年に北海道に戻ってから叔父が亡くなるまでの7年間、思いついたときに訪ねて一緒に食事をし、気分の良くなった叔父に日本酒を呑まされてふらふらになって小樽に戻ることもしばしばでした。2020年5月末に、癌の再発による入院と手術をするとのことで、保証人の署名をして欲しいと頼まれ、コロナのパンデミックになってから初めて叔父に会いました。退院して少し元気になったとの連絡があり、7月初めに叔父を訪ねました。呼吸も辛く、独り暮らしも不安だから、一緒にホームを探して欲しいとお願いされ、パンフレットを見たりしました。少し落ち着いたらホーム探しをしようと約束したにもかかわらず、その3週間後に叔父を「孤独死」させてしまったのです。亡くなった叔父の家の後片づけをしに行くと、布団から抜け出したあたりで力尽きたことが分かりました。苦しくなって救急車を呼ぶために電話をしようとしたのではと思い、どうして体調を気遣う連絡をしなかったのか、なぜもっと迅速に動いてホームを探して入所させなかったのかなどと悔やみながら誰もいなくなった叔父の家に通いました。
担当者でもある友人は身近な人たちを送るさいに告別説教をして送り出すことも多かったようです。しかし、火葬場でわたしは生前の叔父を想起しつつ、「孤独死」させてしまったという後悔の念を抱きながら叔父を見送ることしかできませんでした。家の片づけのときにも、申し訳なさを感じ、悲劇の主人公にでもなったかのように沈んでいただけです。弟を失った母が少し遺骨を置いておきたいと願ったということもあり、翌春の2021年4月に当時広島の呉平安教会にいた弟(現在は札幌教会)に墓への納骨をしてもらいました。キリスト教とは無縁の叔父だったということもあり、キリスト教の納骨式をしてもらったわけではありませんが、自分で納骨をしなかったのは――ちゃんとした牧師である――弟に頼むことで、叔父を「孤独死」させてしまった罪滅ぼしをして、自分を納得させたかったのかもしれません。友人が言う「ため込んでいって、重たいと思うこともあ」る「死」、「単体の死、みたいな、漠然とした死という、なにか黒光りするようなものが、詰め込まれていく感じ」に少し似た感覚が、わたしにとっては叔父の「死」だったようです。
友人とわたしは同じ年齢であり、それゆえ同じような経験をするお年頃なのかもしれません。ヨブのように神の不条理と神の不在による実存の危機を感じたわけではありませんが、ヨブも身近な人たちの死に身が引き裂かれ(ヨブ記1章20−21節)、死ぬことが許されない我が身を呪っています(ヨブ記3章1−23節)。死に取り残されて生きていかざるを得ないヨブは「単体の死、みたいな、漠然とした死という、なにか黒光りするようなものが、詰め込まれていく感じ」に襲われていたのです。それゆえ友人はヨブに共鳴したのではないかと勝手に想像をめぐらせています。そのように考えると、友人が戦禍の地に思いを寄せ続けてきたのもまた、戦禍の地で命を奪われた人たちのひとりひとりに「単体の死、みたいな、漠然とした死という、なにか黒光りするようなものが、詰め込まれていく感じ」に胸を締めつけられていたからではと感じるのです。そして、それは戦禍にある地だけの問題ではなく、友人が見送り続けてきた身近な人たちの「死」にも共通する問題であり、わたし自身が拭いきれない叔父の「孤独死」にも通底する問題でもあります。死を弔うこともまた宗教の重要な役割であることは重々承知してはいますが、それ以前に不条理や神の不在の死に満ちた世界を変えるために力を尽くし、ヨブのように死に取り残されて「安らぐことなく、穏やかにいることもなく、憩うこともない。ただ混乱だけが迫り来る」世界を生きざるを得ない人たちに寄り添うこともまた、キリスト教が果たす重要な役割だと言えるのではないでしょうか。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン/宗利淳一)







