失敗を悔いてやり直す
――愛すべきイエスの一番弟子ペトロの失敗――
26さて、彼ら〔=イエスと弟子たち〕は讃美歌を歌いながら、オリーヴの山に出かけて行った。27すると、イエスは彼ら〔=弟子たち〕に言う、「あなたたちはひとり残らず罠にかかるだろう。なぜなら、次のように書いてあるからである。
わたしは羊飼いを打つだろう。
そして、羊たちは散らされるだろう。
28しかし、わたしは甦らせられた後に、あなたたちを先導してガリラヤに行くだろう。29だが、ペトロが彼〔=イエス〕に言った、「もし彼ら〔=弟子たち〕がひとり残らず罠にかかったとしても、わたしだけは罠にかかったりはしません」。30すると、イエスは彼〔=ペトロ〕に言う、「アーメン、わたしはあなたに言う、そのあなたが、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしを拒絶するだろう」。31だが、彼〔=ペトロ〕はさらに啖呵を切って続けた、「もしわたしがあなたと心中することになったとしても、あなたを拒絶したりはしません」。すると、〔ペトロと〕同じように彼ら〔=ほかの弟子たち〕もひとり残らず啖呵を切った。
(マルコによる福音書14章26−31節[私訳])
マルコ福音書14章26−31節は、イエスが弟子たちの背信とペトロの三度の拒絶を予示する物語です。イエスが予示したように、この後に弟子たちはイエスを棄てて逃げ去りますし(14:43−50)、ペトロはイエスを三度拒絶します(マルコ14:66−72)。この物語で中心をなすペトロはイエスの一番弟子であり、初代教会の代表者――そしてローマ・カトリックでは初代ローマ教皇――でもありますので、その「聖ペトロ」がイエスを拒絶したという不名誉な物語を敢えて創作するとは思えませんから、ペトロがイエスを拒絶したことは史実だと考えられます。そして、私見では本日の聖書テクストが伝えるイエスがペトロの拒絶を予示したことも、その核となる部分は史実に遡るように思えるのです。というのも、死が現実に迫りつつあることを察知したイエスが、弟子たちに「どうせオレが捕まったら、ひとり残らず逃げちゃうんだろう」と漏らすといったことくらいはあったと思うからです。もしかすると、次のようなやりとりがあったのかもしれません。
イエス「もしオレが捕まったらどうする」
ペトロ「オレは死んでもイエス様についていきます」
イエス「どうせあんな奴なんて仲間じゃないって言っちゃうんじゃないの」
もちろん、これはどれもわたしの妄想――格好よく言えば歴史的想像――でしかないのですが・・・。
今回担当者がこのテクストを選んだのは、ペトロは人間味のある良い人に違いないと感じたからだといいます。イエスを裏切るところが人間らしいというのです。でも、ペトロはイエスを裏切ってしまったことを悔い、裏切りを心に刻んだからこそ、イエスと同じ十字架に磔にされる資格はないと考え、敢えて逆さ十字架に磔になって処刑されたのではないだろうかという歴史的想像力を働かせたということです。
このようなペトロに対する温かな眼差しは新鮮です。なぜなら、――先日、今年2月の逝去が公表された――田川建三先生が一貫して主張していたように、マルコ福音書はペトロを中心とするイエスの直弟子たちを強烈に批判しているからです。ペトロを筆頭とするイエスの直弟子たちはイエスを真に理解しておらず、それゆえ原始エルサレム教会はイエスとは真逆の方向に進んでしまっていたために、マルコは舌鋒鋭く弟子批判を展開したというのです。その意味では、「ペトロの三度の拒絶の予示」の物語が史実に遡るとしても、あるいは「ペトロの三度の拒絶」を際立たせるためにこの伝承を知ったマルコがここに予示の逸話を置いたのだとしても、それともマルコがこの物語を一から創作したのだとしても、この物語にペトロに対する辛辣な批判が込められていることは否定できません。
しかしながら、マルコ受難物語を読むと、「イエスの逮捕」(マルコ14:42−50)と同時にひとり残らず逃げてしまった弟子たちに対して、ペトロただひとりだけはイエスの跡をつけており、そしてその尾行の果てが「ペトロの三度の拒絶」だったのですから、イエスと心中すると切った啖呵を果たそうとして、イエスの跡を追っていったペトロの姿が浮かんでくるのです。その意味では、ペトロは有言不実行を絵に描いた人物としてだけではなく、ギリギリまでイエスについていった最後のひとりだったことをもマルコは描いているのです。しかも、ペトロ以外の弟子たちもひとり残らずイエスと心中すると啖呵を切ったことをマルコは付け加えているのですから、蜘蛛の子を散らすように逃げ去ったほかの弟子たちに比べて、ペトロは遥かに前のめりにイエスの跡を追ったと言えるのではないでしょうか。ほかの弟子たちは「三度の拒絶」という失敗をすることすらできずに、その前にさっさと逃げていたのですから。
担当者の理解に寄り添って、温かな眼差しでペトロを再読してみたのですが、担当者が想像するように、ペトロは果たして「三度の拒絶」を悔いて、その後の人生においてこの失敗を心に刻んで生きたのでしょうか。イエスの処刑から20年後に起こった最初期キリスト教の一大事件である「アンティオキアの衝突」(ガラテヤ2:11−14)において、パウロはペトロがイエスの兄弟ヤコブにビビって日和ってしまっていると文句をつけています。もっとも、ペトロは「三度の拒絶」の前にも、「キリスト告白」(マルコ8:27−30)の場面ではほかの弟子たちと一緒にイエスに叱り飛ばされていますし、「第一回受難予告」(マルコ8:31−33)ではイエスを叱りつけたペトロがイエスからこっぴどく叱り返されてもいます。これらのことを勘案すると、ペトロはすぐに調子に乗って失敗を繰り返してしまう人物だったと言えるのではないでしょうか。
しかし、そのペトロがイエスの一番弟子だったのです。きっと数えきれないほどペトロはイエスから叱られていたのではないでしょうか。でもイエスはペトロを破門にすることなく、最後まで最も近くに置いていたのです。こういったことを考慮に入れると、担当者が直感したように、ペトロはなんとも言えない人間味のある憎み切れない人だったのではないでしょうか。イエスにとっては可愛い弟子であり、イエスに可愛がられていたゆえに、調子に乗ってしまうところもあったのかもしれません。でも、その芯の部分にはイエスの跡を追って行こうとする意思を持っていたのです。でも、途中で怖気づいてしまうのです。こういったところも含めて、ペトロはわたしたちからも遠い存在ではありません。逆さ十字架の逸話は伝説の部類に属すとは思いますが、その背後に「三度の拒絶」を後悔し、二度とイエスを裏切らないと決意し、自らの取り返しのつかない失敗を悔いてやり直すペトロがいたのかもしれません。
今月は想像や妄想を書き連ねてしまいましたが――これ以上ペトロに甘い評価をすると、田川先生に叱られそうなのですが、もう叱ってはもらえないというさみしさからセンチメンタルになっていることをお許しください――、失敗を悔いてやり直すペトロに思いを馳せると、やはり戦後・敗戦80年の反省に思いを至らせます。それは日本社会がかの侵略戦争を真剣に悔いてやり直すことが結局はできてはいないという反省でもあるのですが、それと同時に日本基督教団がその成立の歴史を含めて、かの侵略戦争に協力したという取り返しのつかない失敗をペトロのように真剣に悔いてやり直すことが結局はできていないという反省でもあるのです。ペトロは取り返しのつかない失敗をしたにもかかわらず、イエスに破門されることなく、一番弟子であり続けることができたのは、わたしたちと同じように、すぐに怖気づいてしまうような弱い存在でありながらも、失敗や過ちを素直に認め、失敗を悔いてやり直すことができたからではないでしょうか。
(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン/宗利淳一)







