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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

誰かが平伏させられることのない世界を願って

2024年12月1日

誰かが平伏させられることのない世界を願って
――2024年のクリスマスに寄せて――

1さて、イエスがヘロデ王の日々にユダヤのベツレヘムで生まれたとき、見よ、東方からの占星術の神官たちがエルサレムに到着し、2言った、「お生まれになったユダヤ人たちの王はどこにおられるのですか。わたしたちは東方でその星を見たので、その方に平伏してキスするためにやって来たのです」。
(マタイによる福音書2章1−2節[私訳])

 マタイ福音書2章1−2節は東方の占星術の神官たち――いわゆる東方の博士たち――の来訪の物語の冒頭を飾るテクストです。クリスマス物語を解釈するうえでの最近の潮流のひとつはポストコロニアル批評による読解です。ポストコロニアル批評とは、西洋の植民地主義と帝国主義を批判的に省察する学問的営みであり、同様の視点から古代ローマ帝国支配下に著された新約聖書テクストの読解が試みられています。特に、ルカ降誕物語の読解においてこの潮流は顕著であり、初代ローマ皇帝アウグストゥスとイエスを対比しつつ、イエスがアウグストゥスを凌駕する真の「神の子/神の息子」ないし「救世主」であることをルカの降誕物語は伝えているとの理解が呈されています。
 それと同様に、マタイ降誕物語にもポストコロニアル批評が適用され、ローマ帝国支配に対抗する物語としてイエスの誕生が描かれているとの理解が提唱されています。このような視点からこのテクストを読解すると、ヘロデ王がローマ皇帝からユダヤの王を名乗ることを許されていることを考えても、東方の占星術の神官たちがイエスをヘロデ王に替わるユダヤの王と呼んでいることもまた、ローマ帝国に対抗する物語としてマタイ降誕物語を再読することが可能となります。
 また、占星術の神官たちが東方で見た星に導かれるように西方に位置するエルサレムを訪れる物語の背後に、ローマ帝国の礎を築いたユリウス・カエサルとその養子でもある初代ローマ皇帝アウグストゥスの双方が属するユリウス家に対抗する意味が込められているとも指摘されています。すなわち、ローマの叙事詩が伝える神話によれば、ユリウス家はローマの最高神ユピテルの娘である女神ウェヌスを祖とする神の子孫であり、東方に位置するトロイアから西方のイタリア半島まで女神ウェヌスの星(金星)に導かれたのがユリウス家を中心とするローマ人であるというのです(ウェルギリウス『アエネーイス』1:286−290)。したがって、マタイ2章1−2節において占星術の神官たちが東方の星に導かれてその西方に位置するエルサレムに現れるという物語の背後には、ユリウス家に連なるローマ皇帝に替わる新たな世界の王としてイエスが誕生することが暗示されているというのです(ジョン・D・クロッサン/マーカス・J・ボーグ)。
 わたし自身はポストコロニアル批評による新約聖書の読解を肯定的に受け止めてはいるのですが、この潮流に半分は乗っかりつつも、半分は乗ることができずにいます。それはユダヤの王であれ、あるいはローマ皇帝であれ、それらに替わる新たな王としてのイエスという理解に否定的にならざるをえないからです。なぜなら、ローマ皇帝からイエスへという流れでは、支配者がローマ皇帝からイエスに置き換わっただけであり、その論理構造は同じだからです。それはこのテクストにおいて占星術の神官たちがイエスに示している「平伏してキスする」という振る舞いからも感じられます。
 「平伏してキスする」と訳したのはπροσκυνέω(プロスキュネオー)というギリシャ語ですが、東方世界において王の前に平伏して床や地面、足や衣服の裾にキスをして崇敬や服従の意志を示す行為を表す語です(岩波訳=佐藤研訳[改訂版]は「拝吻(する)」という新語を提案)。神に対して用いられるときは、「平伏して拝む」と訳していいと思いますが(田川建三訳は「拝礼する」と訳出)、いずれにせよ平伏すということであれば、その対象がローマ皇帝からイエスに替わろうとも、地面に突っ伏して地面にキスをせざるをえない状態を作り出すことに変わりないのです。
 12月1日からアドヴェント(待降節)に入りました。2024年のクリスマスにも、星空を眺めているときに、爆撃から逃れて地面に平伏すように這いつくばらざるをえない人がいるのです。爆撃で吹き飛ばされて地面に平伏すように斃れてしまう人がいるのです。これはまさに――先にあげたクロッサンとボーグがアメリカ帝国は現代のローマ帝国だと批判するように――帝国主義によるポストコロニアル(植民地支配後)の時代の現実です。そして、日本に目を向けると、政治、経済、社会の混迷は深刻の一途を辿っており、アドヴェントの夜に空を見上げて涙し、クリスマスの夜にうなだれて絶望する人がいるのです。このような現実の世界を変えることのできない自分の無力さに打ちひしがれつつも、せめて誰かが平伏させられることのない世界を願いつつ、メリークリスマス。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任、デザイン宗利淳一)

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