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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
coronavirus

【4953号】社会事業従事者の声に聞く
新型コロナウイルス感染拡大の渦中で

2021年7月17日

イエスに倣い、苦難に寄り添う

小羊学園 《静岡県》

私の勤める小羊学園は重い知的ハンディをもった方たちを対象として創業した福祉施設である。50余年を経て、幼児から高齢の者までを対象に入所施設やグループホーム、通園施設、通所施設が与えられ、短期入所や相談支援での関わりを含めると利用者は千人を超えるのではないだろうか。

利用者のすべてということではないが、多くの方たちは新型コロナウイルス感染のリスクを理解することができない。さらにその方の特性として日常生活で様々な変化に適応するのが苦手な人も少なくない。職員たちが良かれと思ってする介護・支援が拒否されることはしばしばで、なかには頑固に拒否して不穏になる方もおられる。新型コロナウイルス対策の基本とされるマスク着用も入念な手洗いも思うように徹底できない。それでも逃げ出すことなく、利用者を直接支援する職員たちは日常的な濃厚接触を避けることはできない。そのような状況下、利用者や職員の誰かが陽性になったときの不安と常に向き合って過ごしている。

今回の感染症によって多くの人たちの生活基盤が揺るがされ、亡くなられた方もおられる。生活困難に陥る人たちも少なくない。生死を左右するような苦境に立たされる人たちを支えるために待ったなしの対策が求められているのだと思う。

しかし、考えてみると、社会福祉の働きの原点はそのようなところにあるのではないだろうか。

重い障がいのある子を与えられ途方にくれている親たちの苦悩、家族に恵まれず愛される経験をもてなかった子どもたちの悲しみ、さまざまな事情によって生活の基盤を奪われた人たちの絶望。病の人あり、失業した人あり、人権が侵害されている人あり、弱さのために過ちを犯してしまった人もいる。これらの人たちはすべて社会福祉の対象者である。

聖書は主イエスがこのような人たちのためにこの世にこられたのだと伝えている。私たちにはイエスのような「奇蹟」を起こすことはできないかも知れない。しかし、キリストとの出会いによって希望を与えられた者として、イエスに倣って苦難の中で生きる人たちに寄り添うことはできるのではないだろうか。

(稲松義人報/遠州栄光教会員)

コロナ禍の食事場面

コロナ禍の食事場面
※写真 教団新報より


御業があらわされていることに感謝

第二平和保育園 《千葉県》

昨年、新年度開始まもなく新型コロナウイルス感染拡大による第1回目の緊急事態宣言が発令され、千葉県内にある当保育園も登園自粛期間を経て休園措置となりました。

経験のない混乱と緊張が続く中で、保護者の就労によって保育を必要とする一部の子どもが登園するなか、見えないウイルスを相手に子どもの安心・安全の確保をどのようにおこなっていくか、生命を預かる現場の責任と保育者としての使命感で、毎日が無我夢中だったことを思い出します。

感染症対策について日々の生活を細かく見直し、子どもの活動が必要以上に制約されないようにしつつも密な状態を回避する工夫など、保育者間で多くの意見が交わされました。また長期間、家庭に留まる子どもの心身の状態や家庭での様子を電話で把握しながら、保育者の賜物を生かしたメッセージを動画配信するなど意欲的な取り組みにより笑顔と励ましを伝えることに努めました。子どものために今できることを模索し実践する保育者の姿勢に神さまの導きを感じます。

緊急事態宣言解除後、少し遅めの新年度保育が始まった6月。イースターを一緒に祝うことが叶わなかった子どもたちも共に花の日礼拝を捧げることができました。年中クラスの子どもが、「病院でコロナのことをみているお医者さんにありがとうの手紙をかきたい」と覚えたばかりの文字で書いたメッセージカードを見た時には、「神様、ありがとうございます」と祈らずにはいられませんでした。

あれから1年以上の月日が経ち、コロナウイルスは様々な変異を続けています。あの時感じた緊張と保育者としての責任感や使命感は今も変わりません。

しかし、コロナと向き合い続ける日々の中で、子どもたちが変わらず希望をもち続け、感謝し、誰かを思って祈る姿を通して、神様の御業があらわされていることに感謝し、この苦難の時だからこそ「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」(一テサロニケ5・16〜18)とのみ言葉に常に立ち返りたいと思います。そして、神様から頂いた知恵と力をもって子どもたちに仕えるものでありたいと願っています。

(星野 牧報/松戸教会員)


子どもたちと毎日をエンジョイ

さんまクラブ 《滋賀県》

NPO法人さんまクラブは、滋賀県甲賀市で水口教会の青年が子どもたちの居場所づくりとして2013年に活動を開始し、現在は主に放課後児童クラブと障害児通所支援事業の放課後等デイサービスを全国的にも珍しいインクルーシブに同じ場所で一体的に運営しています。

ワクチン接種が進んできているとはいえ、まだまだ状況がよくなっていない中でコロナ禍を振り返るのもどうかとは思いますが、この「騒動」のなかで、一番大変だったのはなんといっても、2020年2月27日夕方に突如として発表された、「全国一斉休校要請」。安倍首相が思いつきでぶち上げたこれのインパクトが一番でした。木曜日夕方に報道され、週明け月曜日から3か月休校となったのです。それまで、感染対策の政策が後手後手になっていた政権のあせりなのか何なのか知らないけれど、一番先に行動制限をかけられたのが子どもでした。この愚策によって子どもたちの大人に対する決定的な不信を植え付けてしまったと思います。

市からは結局ドタバタで月曜日の3月1日13時ごろになって、3月1日から市内の児童クラブは閉所とする決定の連絡がありました。一方、放課後等デイサービスは国からの通達でできるだけ開けるよう県を通じ連絡がありました。私たちが大切にしていたインクルーシブな居場所は、「健常児」の児童クラブは休みで、「障害児」の放課後等デイサービスは朝から開所という私たちが目指しているものとは逆のセパレートした結果となってしまいました。

とはいえ、子どもの感染伝播の力が弱いことや、重症化の確率が低いことが当初から言われていましたので、急に訪れた「大型連休」を思い切り楽しんでやれ!ということで、「スポーツの森」、「鹿深夢の森公園」、「余野公園」、「野洲川」や駄菓子屋さんやたけのこほりなどへ毎日のように遊びに行きました。

安息日に麦の穂をつまみ食いしたのをやんや言ってくるファリサイ派のような人はこの時代にもたくさんいますが、子どもたちにだけ厳しい大人にならないよう自戒して、のらりくらりファリサイ派をかわして子どもたちと毎日をエンジョイしていきたいと思っています。

(谷村耕太報/水口教会員)

コロナ禍の影響がこれほど長引くとは思っていなかった。教会をはじめ関係学校・団体・施設等では、毎日感染対策をしながら、日常の働きを担っている。

もっとも私の場合は、ほとんどの会議や会合がオンラインで開催されることで、長距離を移動することによる体の負担が少なくなったことはありがたい。正直なところコロナ禍収束後においても、皆が集まると共に、オンラインでのリモート参加というハイブリッド形式での会議の開催の継続を願っている。

教会においても、ユーチューブによる礼拝説教の動画配信がとても好評である。礼拝説教についてはこれまでもCDを作製しているが、これはこれで、車の運転中に聴くことができるなどの理由で喜ばれている。

これらの視聴がそのまま礼拝出席に代わるということではないが、み言葉を届けるということ、また、み言葉を聴くということにおいては大きな意義がある。

その他、祈祷会へのオンラインでのリモート参加も好評だ。共に祈るということにおいては、「離れているけれどつながっている感」が大きい。

教会においてこのようなことがなされるようになったことは驚きであるが、これも、「わたしの身に起こったこと」(フィリピ1・12)であり、「福音の前進」に役立つものであると思わされている。

(教団総会書記 雲然俊美)

ネブカドネツァル王はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴに対して血相を変えて怒り、炉をいつもの七倍も熱く燃やすように命じた。そして兵士の中でも特に強い者に命じて、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴを縛り上げ、燃え盛る炉に投げ込ませた。彼らは上着、下着、帽子、その他の衣服を着けたまま縛られ、燃え盛る炉に投げ込まれた。王の命令は厳しく、炉は激しく燃え上がっていたので、噴き出る炎はシャドラク、メシャク、アベド・ネゴを引いて行った男たちをさえ焼き殺した。シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んで行った。間もなく王は驚きの色を見せ、急に立ち上がり、側近たちに尋ねた。「あの三人の男は、縛ったまま炉に投げ込んだはずではなかったか。」彼らは答えた。「王様、そのとおりでございます。」王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」ネブカドネツァル王は燃え盛る炉の口に近づいて呼びかけた。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ、いと高き神に仕える人々よ、出て来なさい。」すると、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは炉の中から出て来た。総督、執政官、地方長官、王の側近たちは集まって三人を調べたが、火はその体を損なわず、髪の毛も焦げてはおらず、上着も元のままで火のにおいすらなかった。ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。
わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」こうして王は、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴをバビロン州で高い位につけた。

第8回予算決算委員会を6月18日に一部オンライン会議にて開催した。

秋山徹総幹事より6月8日の責任役員会と臨時常議員会について、道家紀一総務幹事並びに大三島義孝財務幹事より事業活動等に関し報告があった。昨年延期となった新任教師オリエンテーションは、6月28〜29日オンラインで実施される(本年度は8月実施予定)。

その後、20年度教団決算に関する件を扱った。経常会計の当期収支差額は1478万9525円の差益となったが、ズーム会議によるものが大きかった。しかし本体事業の状況を示す事業活動については収入が3億2957万2907円、支出は3億7671万6602円となり、収支は4714万3000円の差損であった。これは救援対策基金として経常会計で管理していたものを特別会計に移し(6032万1977円)、また献金収入を「遺贈特別会計」として特別会計に(5000万円)移したためである。また常議員会費は当初予算1145万円に対し、605万296円の決算であったが、これはズーム会議によるものが大きく、今後の会議の持ち方について一石を投じるものとも言える。

続いて、教団出版局決算に関する件を扱った。当初事業計画では売上高3億1700万円、売上総利益1億円、経常利益160万円を目標としていたがコロナ禍を受け、8月末実績による前年同月対比のうち、書籍は新刊売上が前年度比14%増にもかかわらず、70万円減、教会音楽400万円減、牧会・広告は500万円減、定期刊行物は200万円減となった。そのため下半期修正事業計画を策定、売上目標を3億300万円と下方修正した旨報告があった。委員会としては出版局経営改善検討チームによるデューデリジェンス報告書作成のためのコンサルタント料が、出版局ではなく教団本体から拠出されていることも含め、出版局の経営について憂慮しているとの意見も出された。

その他部落解放センター、年金局、各センターの決算報告を扱った後に、21年度実行予算について協議した。その後、昨年中止した第41総会期第2回全国財務委員長会議について検討し、9月24日にオンラインで実施することを決定した。

(中村公一報)

賀川豊彦の働きを受け継いで 

社会福祉法人イエス団理事/神戸イエス団教会牧師 上内 鏡子

法人イエス団は、弱冠21歳の神学生賀川豊彦が、神戸にある貧しい地域のために身を投じたところから始まっています。1909年12月24日クリスマス前夜のことです。彼の日記『溢恩記』には、当初実行したいと願っていた事柄が箇条書きで記録されています。無料診察、無料葬儀も含まれており、地域の人々の生涯に寄り添って生きようとしていたことがわかります。賀川はすぐに「救霊団」を結成し、これを母体として働きを展開していきました。法人イエス団の前身です。当時の地方新聞などにも取り上げられ、多くの人々が賀川の働きに関心を寄せ、協力者も多く集まったようです。救霊団の活動は、礼拝や路傍伝道に限らず、診療所が開設され、子どもたちへのケアをしたり、滋養供給を目的としたり、一膳飯屋を開業、労働の場としての歯ブラシ工場なども展開したりしていました。

その後、救霊団はイエス団と改名されますが、既成の「教会」を設立することはせず、地域に根付いた事業を中心に展開していきました。これら多様な働きは、1923年9月1日に起きた関東大震災で賀川が東京へ移転したことで、神戸の仲間たちに引き継がれました。やがて時代の要請で財団法人となり、診療部門、宗教部門など役割分担をしながら、より機能的な動きを担うことになります。

戦時中、宗教団体法で宗教部が日本基督教団へと加盟する道を余儀なくされ、神戸生田川伝道教会(現神戸イエス団教会)となり、戦後は法人法によって、社会福祉・学校・宗教の3法人として、役割を分担することになりました。現在、学校法人の教育機関1校、社会福祉法人では、2府5県にわたり40近い施設があります。一方、3法人は使命を共有し協力しながら、現在に至るまで地域に根付いた働きを続けています。

賀川の死後、『賀川豊彦全集』を発刊した際には、差別的な思想の下に著された著作物も含まれており、賀川豊彦の差別性がクローズアップされ、イエス団自身もこの課題に取り組むことが求められました。1988年は賀川豊彦生誕百年、更に、1999年は、賀川豊彦献身90年を迎えて、賀川の差別性に向き合いつつ、イエス団が目指す働きの理念を「イエス団憲章」として発表しました。また、2009年12月24日の賀川豊彦献身百年では、原点回帰として、行政をはじめ、賀川に関係する協同組合や教育機関、キリスト教関係諸団体と協力して、その働きを見直す作業が進められました。法人イエス団は「イエス団憲章」の見直しを数年かけて実施し、献身百年に併せて「ミッションステートメント2009」をまとめました。これは、イエス団職員や、施設を利用する高齢者から子どもにまで、使命を広く知らせる意味を込めて、平易な言葉で作成しました。とくに前文には賀川の差別性を忘れないという思いを込めて「歴史を検証」するという一文を加えました。この言葉は、過去における深い反省と未来に向けた大きな希望をもって紡ぎ出されています。

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