インスタグラムアイコンツイッターアイコンyoutubeアイコンメールアイコン
日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
newaccount

【4953号】東日本大震災から10年を迎えて

2021年7月20日

「さあ、共に生きよう」との思いを抱いて

奥羽教区書記、下ノ橋教会牧師 松浦 裕介

東日本大震災、メルトダウン・爆発事故を引き起こした東京電力福島第一原子力発電所事故から10年の時が経ちました。

奥羽教区において毎年守られてきた東日本大震災を覚えての礼拝は、コロナ禍の中でオンライン配信の形となり、10年の時を覚えて一同が会することは叶いませんでしたが、各教会・伝道所において、またそれぞれの方々の生活の場において映像を通して祈りが合わせられました。

震災発生後間もない3月14日に開催された常置委員会において、奥羽教区の基本姿勢の一つとして「被災教会への支援は、教会の判断を尊重する。救援物資、ボランティアの受け入れは教会の要請に応えて教区として募集する」との確認をしました。この背景には奥羽教区の歴史の中で度々起きてきた地震・津波被害への教区としての対応の積み重ねがあります。また、同じ岩手県内でも沿岸の被災地から約100キロ離れた盛岡に教区事務所がある地理的状況も関係していると言えます。各被災教区それぞれの状況の違いがある中で、奥羽教区においても三陸沿岸の津波被害、内陸の地震被害への支援活動が進められました。

支援活動を続ける中で、力や思いの至らなさを痛感もしましたが、それ以上に多くの方々が覚え、祈り、支えてくださっていることを強く感じました。すべての方々のお名前は書き記せませんが、在日大韓基督教会関東地方会、大韓イエス教長老会、東京教区北支区をはじめとする国内外の諸教会・伝道所の方々、チャイルド・ファンド・ジャパンをはじめとする諸団体の方々、そして教区内の諸教会・伝道所の方々、お一人お一人がそれぞれの形で多様な被災の現実にある人々に連帯し、共に生き、共に歩もうとしてくださいました。車に支援物資を積み込んで各被災教会へ向けて出発される方々を毎日見送った時の光景を忘れることが出来ません。また、奥羽教区として、北日本三教区による親子短期保養プログラムの実施に連なることができました。

奥羽教区では10年ごとの長期宣教基本方針が策定されます。2003年から始まった第五期の主題は「さあ、共に生きよう」でありましたが、この10年は三陸南地震(2003年)、岩手宮城内陸地震(2008年)と、数年ごとに大きな災害に見舞われ、最終年が近づいた2011年に東日本大震災を経験することとなりました。規模的には決して大きくない教会が繰り返し傷つき苦しみを負っていく現実の中で、「さあ、共に生きよう」との言葉を実質化しようとする営みが奥羽教区で続けてこられたことを、今、想い起こしています。

「共に生きる」という言葉は多くの場面で用いられるものですが、その言葉の背後に様々な課題や難しさを感じるものでもあります。しかし、共に生きようとする思いを抱いて歩む時、困難の中にあっても喜びや希望を分かち合うことが出来ることを知らされます。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(一コリント12・26)との言葉が改めて心に響くものです。

大震災から10年。あの出来事を経験した中から、隣人と共に生きることの意味を思い、共に生き続けていく志を新たにしながら、20年に向けた歩みを進めていきます。


共に苦しみ、共に喜ぶ、助け合える教区として

関東教区副議長、大宮教会牧師 熊江 秀一

東日本大震災から10年の2021年3月11日、教区四役の福島純雄議長、小池正造書記、飯塚拓也宣教部委員長と私で、伊勢崎教会、宇都宮上町教会、宇都宮教会を問安しました。この3教会は東日本大震災で被災し、会堂再建を終えた後、今も教団借入金を返済し続けている教会です。震災直後に訪問した時の会堂や教職・教会員の姿を思い起こしつつ、この10年の歩みを思いました。そして再建された会堂で、力強く宣教が行われている姿を、迎えてくださった教職・教会員から伺い、感謝であふれました。

また宇都宮教会で行われた、関東教区「東日本大震災から10年を覚える礼拝」では、同時配信で参加した教区の諸教会・伝道所と共に、御言葉を聞き、賛美をささげ、午後2時46分に合わせて祈りをささげました。

震災では震度6強を経験した栃木地区、茨城地区、群馬地区。震度6弱を経験した埼玉地区、新潟地区(翌日の新潟・長野県境地震において)と関東教区のすべての地区が大きな揺れを経験し、31の教会・伝道所、11の教会付属幼稚園・保育園が重大な被害を受けました。しかし全国の教会、さらには世界各地の教会からの祈りと支えにより再建を果たすことができました。一つ一つの被災した教会が深い戸惑いと困難の中から、再建するまでに、どれほどの祈りと支えがあったことでしょう。「涙とともに種を蒔く人は、喜びの声とともに刈り入れる」(詩編125・5)、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(一コリント12・26)を経験する時でした。

被害が大きく、会堂や施設を取り壊して新会堂建築に取り組んだ教会は、伊勢崎教会(2014年3月23日献堂)、下館教会(2014年5月11日献堂)、宇都宮教会(2014年6月15日献堂)、宇都宮上町教会(2015年7月19日献堂)の順に再建し、水戸中央教会の2016年7月17日の献堂式をもって終了しました。また付属施設も2020年4月の宇都宮上町教会・みふみ認定こども園新園舎完成によって終了しました。また7教会が教団の支援を受けて補修し、9教会・伝道所、4施設が教団の支援を受けずに自己補修をしました(お見舞いを差し上げました)。その間、教区東日本大震災支援委員会を45回開催し、再建・補修の支援、ボランティア派遣、被災地・被災教会で祈りを合わせる旅等を行いました。加えて41教会・施設への簡易診断派遣を行いました。その働きは2017年度より教区災害支援委員会として引き継がれています。

栃木地区のアジア学院への支援協力も大切な取り組みでした。世界に広がる支援もあり、コイノニア棟、オイコス・チャペルを建築しました。また地域のセンターとして一帯の土壌と農作物の放射能値の検出に取り組み、見事に再建されたことは教区の喜びでした。また教区として脱原発の声明や学習会にも取り組んできました。

震災後も教区内で「関東・東北豪雨」被災、また日本中で災害が起こっています。中越地震・中越沖地震、そして東日本大震災によって結ばれた主にある連帯を大切にし、キリストのからだとして、宣教協力と今後予想される災害の時にも備え、助け合える教区として歩んで行きたいと思いを新たにしています。

しかし、ベルテシャツァルと呼ばれるダニエルは驚いた様子で、しばらくの間思い悩んでいた。王は彼に、「ベルテシャツァル、この夢とその解釈を恐れずに言うがよい」と言った。彼は答えた。「王様、この夢があなたの敵に、その解釈があなたを憎む者にふりかかりますように。御覧になったその木、すなわち、成長してたくましくなり、天に届くほどの高さになり、地の果てからも見え、葉は美しく茂り、実は豊かに実ってすべてを養うに足り、その木陰に野の獣は宿り、その枝に空の鳥は巣を作る、その木はあなた御自身です。あなたは成長してたくましくなり、あなたの威力は大きくなって天にも届くほどになり、あなたの支配は地の果てにまで及んでいます。また、王様は聖なる見張りの天使が天から降って来るのを御覧になりました。天使はこう言いました。この木を切り倒して滅ぼせ。ただし、切り株と根を地中に残し、これに鉄と青銅の鎖をかけて野の草の中に置け。天の露にぬれるにまかせ、獣と共に野の草を食らわせ、七つの時を過ごさせよ、と。さて、王様、それを解釈いたしましょう。これはいと高き神の命令で、わたしの主君、王様に起こることです。あなたは人間の社会から追放されて野の獣と共に住み、牛のように草を食べ、天の露にぬれ、こうして七つの時を過ごすでしょう。そうして、あなたはついに、いと高き神こそが人間の王国を支配し、その御旨のままにそれをだれにでも与えられるのだということを悟るでしょう。その木の切り株と根を残すように命じられているので、天こそまことの支配者であると悟れば、王国はあなたに返されます。王様、どうぞわたしの忠告をお受けになり、罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みをお与えになってください。そうすれば、引き続き繁栄されるでしょう。」このことはすべて、ネブカドネツァル王の上に起こった。十二か月が過ぎたころのことである。王はバビロンの王宮の屋上を散歩しながら、こう言った。「なんとバビロンは偉大ではないか。これこそ、このわたしが都として建て、わたしの権力の偉大さ、わたしの威光の尊さを示すものだ。」まだ言い終わらぬうちに、天から声が響いた。「ネブカドネツァル王よ、お前に告げる。王国はお前を離れた。お前は人間の社会から追放されて、野の獣と共に住み、牛のように草を食らい、七つの時を過ごすのだ。そうしてお前はついに、いと高き神こそが人間の王国を支配する者で、神は御旨のままにそれをだれにでも与えるのだということを悟るであろう。」この言葉は直ちにネブカドネツァルの身に起こった。彼は人間の社会から追放され、牛のように草を食らい、その体は天の露にぬれ、その毛は鷲の羽のように、つめは鳥のつめのように生え伸びた。その時が過ぎて、わたしネブカドネツァルは目を上げて天を仰ぐと、理性が戻って来た。わたしはいと高き神をたたえ、永遠に生きるお方をほめたたえた。その支配は永遠に続き/その国は代々に及ぶ。すべて地に住む者は無に等しい。天の軍勢をも地に住む者をも御旨のままにされる。その手を押さえて/何をするのかと言いうる者はだれもいない。言い終わると、理性がわたしに戻った。栄光と輝きは再びわたしに与えられて、王国の威光となった。貴族や側近もわたしのもとに戻って来た。こうしてわたしは王国に復帰し、わたしの威光は増し加わった。それゆえ、わたしネブカドネツァルは天の王をほめたたえ、あがめ、賛美する。その御業はまこと、その道は正しく、驕る者を倒される。
2021年7月19日
ネブカドネツァル王は、全世界の諸国、諸族、諸言語の住民に、いっそうの繁栄を願って、挨拶を送る。さて、わたしはいと高き神がわたしになさったしるしと不思議な御業を知らせる。この神のしるしは、いかに偉大であり/不思議な御業は、いかに力あることか。その御国は永遠の御国であり、支配は代々に及ぶ。わたしネブカドネツァルは、健康に恵まれ、王宮で心安らかに過ごしていた。一夜、わたしは夢を見た。眠りの中に恐ろしい光景が現れ、わたしは頭に浮かんだ幻に悩まされた。わたしは命令を下してバビロンの知者を全員召集し、夢の解釈をさせようとした。占い師、祈祷師、賢者、星占い師らが来たので、わたしは夢の話をしたが、だれひとり解釈ができなかった。最後にダニエルが来た。これはわたしの神にちなんでベルテシャツァルという名を与えた者で、彼には聖なる神の霊が宿っていた。わたしは彼に夢の話をして、こう言った。「占い師の長ベルテシャツァルよ、お前には聖なる神の霊が宿っていて、どんな秘密でも解き明かせると聞いている。わたしの見た夢はこうだ。解釈をしてほしい。眠っていると、このような幻が頭に浮かんだのだ。大地の真ん中に、一本の木が生えていた。大きな木であった。その木は成長してたくましくなり/天に届くほどの高さになり/地の果てからも見えるまでになった。葉は美しく茂り、実は豊かに実って/すべてを養うに足るほどであった。その木陰に野の獣は宿り/その枝に空の鳥は巣を作り/生き物はみな、この木によって食べ物を得た。更に、眠っていると、頭に浮かんだ幻の中で、聖なる見張りの天使が天から降って来るのが見えた。天使は大声に呼ばわって、こう言った。『この木を切り倒し、枝を払い/葉を散らし、実を落とせ。その木陰から獣を、その枝から鳥を追い払え。ただし、切り株と根は地中に残し/鉄と青銅の鎖をかけて、野の草の中に置け。天の露にぬれるにまかせ/獣と共に野の草を食らわせよ。その心は変わって、人の心を失い/獣の心が与えられる。こうして、七つの時が過ぎるであろう。この宣告は見張りの天使らの決定により/この命令は聖なる者らの決議によるものである。すなわち、人間の王国を支配するのは、いと高き神であり、この神は御旨のままにそれをだれにでも与え、また、最も卑しい人をその上に立てることもできるということを、人間に知らせるためである。』
これが、わたしネブカドネツァル王の見た夢だ。さて、ベルテシャツァル、その解釈を聞かせてほしい。この王国中の知者はだれひとり解き明かせなかったのだが、聖なる神の霊が宿っているというお前ならできるであろう。」
2021年7月18日
ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。だれが神の御心に逆らうことができようか」と。人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれば、それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれば、どうでしょう。神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。
ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、/愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。『あなたたちは、わたしの民ではない』/と言われたその場所で、/彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」
2021年7月17日

コロナ禍における宣教をテーマに

6月15日、オンラインにて、昨年コロナ禍で開催を取り止めた第53回在日大韓基督教会と日本基督教団との宣教協力委員会を、「両教会の宣教課題と宣教協力〜コロナ禍における宣教」のテーマで開催した。

在日大韓基督教会からは、趙永哲総会長、中江洋一副総会長、李大宗副総会長、梁栄友書記、張慶泰副書記、申大永会計、金鐘賢宣教委員長、許伯基関西地方会長、金柄鎬総幹事、金聖泰東京教会協力牧師(オブザーバー)が出席した。

日本基督教団からは、久世そらち副議長、雲然俊美書記、岸憲秀宣教委員長、宮本義弘在日韓国朝鮮人連帯特設委員長、春原禎光柏教会牧師、秋山徹総幹事、加藤誠世界宣教幹事、大三島義孝宣教幹事、石田真一郎宣教幹事、廣中佳実職員が出席した(石橋秀雄議長は教会員の葬儀のため欠席)。

趙総会長の説教「コロナ時代と信仰の姿勢」(ローマ11・36)による開会礼拝の後、出席者紹介、前回記録確認、両教会の近況および課題の報告がなされた。

次に、許牧師より、「KCCJのコロナ対策、課題など〜教会の5大要素にちなんで」と題して、コロナ禍が教会の礼拝(レイトゥルギア)、交わり(コイノニア)、み言葉の宣布(ケリュグマ)、奉仕(ディアコニア)に及ぼした影響と、コロナの体験を信仰的にどう消化し、証し(マルトゥリア)するかについての発題がなされた。

続いて、春原牧師より、「コロナ禍での教会のネット・SNS利用」と題して、礼拝(自宅から礼拝にネット参加)、交わり・学び(SNSの利用例)、伝道(教会もSNSをすべき時代)、今後の課題についての発題がなされた。

発題に基づいて、コロナ禍にあって一気に導入されたオンライン礼拝の意義と課題について話し合ったほか、教会内の奉仕の必要性が減った中、対外的奉仕の機会(こども食堂・弁当など)が増えていること、SNS発信における大まかなガイドライン作成の必要性などを話し合った。

その後、両教団の議長および総会長名で発表している「平和メッセージ」を作成し、最後に、久世副議長の説教「光はあらわに」(マルコ4・21〜23)による閉会礼拝をもって終了した。

(雲然俊美報)

PageTOP
日本基督教団 
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan