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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【4901・02号】《会堂共済組合》多くの被害に迅速に対応

2019年4月27日

 2018年は自然災害が多発し、特に台風は9月から10月にかけて、北は北海道から南は沖縄までを襲った。教団の教会も建物に多くの被害が発生し、会堂共済組合に加入している教会から被害の報告が相次いで届いた。届けは2019年3月7日の段階で合計113教会に達した。

 会堂共済組合では早速に罹災届の用紙を送付した。地域によっては業者が忙しすぎて見積りが出ないところもあるが、罹災届が届き次第迅速に対応した。

 3月7日現在95教会に総額9156万円の支払いを実行した。教区別の支払い実績は下記のとおり。

 まだ加入されていないところはぜひ問い合わせてもらいたい。現在の保険料との比較表をお送りする。教会・学校の財政の役に立ちたいと願っている。 (辻井秀雄報/会堂共済組合常務理事)

 後宮俊夫牧師は去年の暮96歳の人生の幕を閉じ、天に帰られた。不思議な人だった。容姿はお世辞にもいいとは言えず、説教は何を言っているのか分からない話を長々とする。学歴はなく学閥もない。ユーモアがあるわけでもないし、要領よく立ち回る器用さも持ち合わせていない。

 なのに彼の周りには人が集まり、教会員は皆よく働く。次々と大きな仕事をこなしていかれた。

 ご自分のことをこう言った。「わたしは何一つ自分から願ってやったことはない。行けと言うから行き、来い、と言うからついて来ただけ」。

 彼はまた、大事な判断の基準を「わが思いではなく御心を」に定め、「迷ったときは『いやだなあ』と思う方を選ぶと間違いない」と言っていた。だからどんな圧力にも動じない人だった。大きな方向性は「御心を問う」ことに徹していた。失敗を責めないで大目に見てくれる優しい人。だから誰からも信頼された。

 それでも時々、雷が落ちることがある。そのときは誰もが震え上がる。元海軍将校の本性が出た。

 教会の働きの傍ら、世光福祉会、京都教区総会議長、教団総会議長、学校法人敬和学園理事長、養護老人ホームピスガ甲西、デイケア「おしどり」設立など働きは多岐にわたった。最後まで世界の平和と正義を祈り、実践された方であった。神が用いられた不思議な指導者であった。

辻  建氏(隠退教師)
 19年3月17日逝去、86歳。京城府(現ソウル市)生まれ。64年関西学院大学大学院卒業。同年より主恩、宝塚、夙川東を牧会し、09年隠退。
 遺族は息・辻学さん。

 

篠原 信氏(隠退教師)
 19年3月24日逝去、92歳。東京都生まれ。47年日本聖書神学校卒業。52年より目白教会を牧会し、09年隠退。
 遺族は息・篠原和太郎さん。

 

中村みどり氏(隠退教師)
 19年3月28日逝去、89歳。東京都生まれ。53年日本聖書神学校卒業。同年より津屋崎、東郷、津屋崎、池袋西教会を牧会し、95年隠退。
 遺族は義弟・亀井耕二さん。

 明治学院の創立者の一人であるJ・C・ヘボン(James Curtis Hepburn)博士がアメリカのペンシルベニア州ミルトンで誕生したのが1815年、生誕から204周年になります。

 ヘボンの母は外国伝道に関心を抱いて『ミッショナリー・ヘラルド』という宣教師向けの雑誌を購読し、ヘボンも小さい頃からその雑誌をよく読んでいたとのことです。16歳でプリンストン大学の3年に編入し、そこでラテン語、ギリシャ語、ヘブル語を習得しましたが、これが日本語訳聖書をつくる際に、役立つことになるのです。

 ヘボンは、さらにペンシルバニア大学医学科に入り、1836年には医学博士の学位を授与されました。卒業後、開業医をしていたヘボンは、生涯の伴侶であるクララ・メリー・リート(Clarissa Maria Leete)と出会い、東洋に福音を伝える使命感を確かめ合って結婚いたします。そして、1841年、米国海外伝道協会の要請を受け、新婚旅行を兼ねてシンガポールに旅立ちます。シンガポール、アモイ、マカオに滞在しますが、クララが健康を害したため、ニューヨークに帰国します。1846年にニューヨークで再び開業しますが、人柄と治療の確かさで4つの病院が繁盛し、当時、ニューヨークで五本の指に入るほどの大金持ちであったと言われています。

 そのヘボンは、1883(明治16)年、68歳の時に、次のような手紙を記しています。

 「かつてわたしが、この未知の国に向かって行こうとして、ニューヨークでの富と楽しみと栄達のあらゆる望みを振り捨てたときに、多くの人々は、私を愚か者だとあざ笑いました。けれどもわたしは一時たりとも、そのことを後悔したことはありません。これに対してのわれらの主の約束は、わたしの場合には、満たされてなお余りあります。主は実に私に対して恵み深く、親切であり、またいつくしみ深くありました。ですから、わたしは主の助けによって死ぬまで主に仕えてきたのです。こうした奉仕のうちに年老いていくことは、何と嬉しいことではありませんか」(高谷道男編訳『ヘボン書簡集』岩波書店、1959年)。

 1859(安政6)年に宣教医として来日したヘボンは、庶民の使う日本語に関心を持ちました。ラテン語、ギリシャ語、ヘブル語、マレー語、中国語をすでに習得していましたが、日本語は難しかったようです。特に、英米人の参考となる辞書がなく、まず辞書作りを目ざしました。ヘボンは散歩に手帳を持ち、いつも「コレハ、ナンデスカ?」と聞き、手帳に書き留めていたと言います。このようにして日本語を編集し、1867(慶応3)年に『和英語林集成』(A JAPANESE AND ENGLISH DICTIONARY 1867 )という本格的な和英・英和辞典が完成します。この『和英語林集成』は版を重ねますが、3版から用いられた表記がヘボン式ローマ字として世界各国の人の発音可能なものになるのです。

 1886(明治19)年に3版以降の版権を譲り、その代金2千ドルをヘボン塾から発展した明治学院に寄付し、これにより明治学院に初代ヘボン館が建てられます。

 また、「何とかして一日でも早く日本人の手に聖書を持たせたい」と願い、ヘボン、S・R・ブラウン(Samuel Robbins Brown)、ジェームズ・バラ(John Craig Ballagh)夫妻、タムソン(David Thompson)、D・C・グリーン(Daniel Crosby Green)、奥野昌綱、高橋五郎らが協力して聖書の翻訳作業を進めます。そして、1880(明治13)年に新約聖書、1887(明治20)年に旧約聖書の翻訳が完成します。

 さらに、1873(明治6)年の「キリシタン禁制高札撤去」後の1874(明治7)年、晴れて18名で横浜長老公会を設立します。これが現在の横浜指路教会で、シロとは「救い主」の意味があり、ヘボン夫妻の母教会Shiloh Churchから取られた名前と言われています。

 このような目覚しい働きをしたヘボンですが、弟にあてた手紙で「自分はただ普通の能力と学識をもった一個の人間にすぎない。他の人がなし得ないようなことは何もやっていないのです」と謙虚に記しています。 (Kyodan Newsletterより)

 いよいよ社会人生活がスタートした。しかも、初めて実家を離れての生活の始まりと同時に、である。千葉出身であるが、社会人のスタートは、遠く離れた高知で始められる。不安に感じることもあったし、神に揺さぶられていると感じることもあったが、礼拝で整えられた今は、神の導きに身を委ねるということを心底実感している。

 就職先は、南国市にある教団関係学校の「清和女子高等学校」である。受け持つ教科は理科。小学校時代の理科の授業が楽しかったことがきっかけで、幼少期から理科の先生を目指していた。そういう意味では、幼少期の夢を、神の導きの中で見事実現させたということになる。

 専門は化学。聖書(信仰)と化学の関係について、「神が創造されたピースを用いてパズルのように組み替える作業をするのが化学の世界だと思っている。パーツを生み出すのは神であり、聖書(信仰)と化学は矛盾なく両立する」と語る。

 信仰生活は、順調と言えば順調だと感じている。教会へは、クリスチャンである母親のお腹にいたときに、生まれる前から連れて行ってもらっていた。中学2年で洗礼を受けた。母親は、教会生活について強制することはなかった。親の強制に反発をするという経験はない。強制されなかったことが、おそらく今後の教員としての歩みに生かされると考えている。

 キリスト教主義学校に就職することができ、クリスチャンにとって最良の働き場が与えられたと神に感謝している。

 ただ、だからと言って、必要以上に伝道、伝道と力んではいない。キリスト教主義学校で働くクリスチャンの教師として、自然体の自分の姿を証できればと思っている。

 都会の教会で育った教会青年が、都会を離れて新しい信仰の歩みを始める。ハレルヤ。

1994年千葉市出身。美浜教会員。

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