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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan

日毎の糧:一覧

ヘブライ人への手紙10・1~18

2024年7月6日
 いったい、律法には、やがて来る良いことの影があるばかりで、そのものの実体はありません。従って、律法は年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、神に近づく人たちを完全な者にすることはできません。 もしできたとするなら、礼拝する者たちは一度清められた者として、もはや罪の自覚がなくなるはずですから、いけにえを献げることは中止されたはずではありませんか。 ところが実際は、これらのいけにえによって年ごとに罪の記憶がよみがえって来るのです。 雄牛や雄山羊の血は、罪を取り除くことができないからです。  それで、キリストは世に来られたときに、次のように言われたのです。 「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、 むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。 あなたは、焼き尽くす献げ物や 罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。 そこで、わたしは言いました。 『御覧ください。わた……

ヘブライ人への手紙9・15~28

2024年7月5日
 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。 遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。 遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。 だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。 というのは、モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと共に若い雄牛と雄山羊の血を取って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、 「これは、神があなたがたに対して定められた契約の血である」と言ったからです。 また彼は、幕屋と礼拝のために用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。 こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められてお……

ヘブライ人への手紙9・1~14

2024年7月4日
さて、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。 すなわち、第一の幕屋が設けられ、その中には燭台、机、そして供え物のパンが置かれていました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。 また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。 そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マンナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり、 また、箱の上では、栄光の姿のケルビムが償いの座を覆っていました。こういうことについては、今はいちいち語ることはできません。 以上のものがこのように設けられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分自身のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。 このことによって聖霊は、第一の幕屋がなお存続しているか……

ヘブライ人への手紙8・1~13

2024年7月3日
 今述べていることの要点は、わたしたちにはこのような大祭司が与えられていて、天におられる大いなる方の玉座の右の座に着き、 人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。 すべて大祭司は、供え物といけにえとを献げるために、任命されています。それで、この方も、何か献げる物を持っておられなければなりません。 もし、地上におられるのだとすれば、律法に従って供え物を献げる祭司たちが現にいる以上、この方は決して祭司ではありえなかったでしょう。 この祭司たちは、天にあるものの写しであり影であるものに仕えており、そのことは、モーセが幕屋を建てようとしたときに、お告げを受けたとおりです。神は、「見よ、山で示された型どおりに、すべてのものを作れ」と言われたのです。 しかし、今、わたしたちの大祭司は、それよりはるかに優れた務めを得ておられます。更にまさった約束に基づいて制定され……

ヘブライ人への手紙7・11~28

2024年7月2日
 ところで、もし、レビの系統の祭司制度によって、人が完全な状態に達することができたとすれば、――というのは、民はその祭司制度に基づいて律法を与えられているのですから――いったいどうして、アロンと同じような祭司ではなく、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられる必要があるでしょう。 祭司制度に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずです。 このように言われている方は、だれも祭壇の奉仕に携わったことのない他の部族に属しておられます。 というのは、わたしたちの主がユダ族出身であることは明らかですが、この部族についてはモーセは、祭司に関することを何一つ述べていないからです。 このことは、メルキゼデクと同じような別の祭司が立てられたことによって、ますます明らかです。 この祭司は、肉の掟の律法によらず、朽ちることのない命の力によって立てられたのです。 なぜなら、 「あなたこそ永遠に、 メ……

ヘブライ人への手紙7・1~10

2024年7月1日
 このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。 アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。 彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。  この人がどんなに偉大であったかを考えてみなさい。族長であるアブラハムさえ、最上の戦利品の中から十分の一を献げたのです。 ところで、レビの子らの中で祭司の職を受ける者は、同じアブラハムの子孫であるにもかかわらず、彼らの兄弟である民から十分の一を取るように、律法によって命じられています。 それなのに、レビ族の血統以外の者が、アブラハムから十分の一を受け取って、約束を受けている者を祝福……

使徒言行録9・36~43

2024年6月30日
 ヤッファにタビタ――訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」――と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。 ところが、そのころ病気になって死んだので、人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。 リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて、二人の人を送り、「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。 ペトロはそこをたって、その二人と一緒に出かけた。人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。やもめたちは皆そばに寄って来て、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに作ってくれた数々の下着や上着を見せた。 ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。 ……

ヘブライ人への手紙6・13~20

2024年6月29日
  神は、アブラハムに約束をする際に、御自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、御自身にかけて誓い、 「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたの子孫を大いに増やす」と言われました。 こうして、アブラハムは根気よく待って、約束のものを得たのです。 そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反対論にけりをつける保証となります。 神は約束されたものを受け継ぐ人々に、御自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。 それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、二つの不変の事柄によって力強く励まされるためです。この事柄に関して、神が偽ることはありえません。   わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行く……

ヘブライ人への手紙6・1~12

2024年6月28日
 だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。 神がお許しになるなら、そうすることにしましょう。 一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、 神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、 その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。 土地は、度々その上に降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ農作物をもたらすなら、神の祝福を受けます。 しかし、茨やあざみを生えさせると、役に立たなくなり、やがて呪われ、ついには焼かれてしまいます。  しかし、愛する人たち、こんなふうに話してはいても、わたしたちはあなた……

ヘブライ人への手紙5・1~14

2024年6月27日
 大祭司はすべて人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。 大祭司は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な人、迷っている人を思いやることができるのです。 また、その弱さのゆえに、民のためだけでなく、自分自身のためにも、罪の贖いのために供え物を献げねばなりません。 また、この光栄ある任務を、だれも自分で得るのではなく、アロンもそうであったように、神から召されて受けるのです。 同じようにキリストも、大祭司となる栄誉を御自分で得たのではなく、 「あなたはわたしの子、 わたしは今日、あなたを産んだ」 と言われた方が、それをお与えになったのです。 また、神は他の個所で、 「あなたこそ永遠に、 メルキゼデクと同じような祭司である」 と言われています。 キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流……
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