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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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夏期休業のお知らせ

2024年7月12日

事務局、年金局、部落解放センター、出版局は下記の通り、夏期休業を頂戴します。

・事務局 2024年8月7日(水)から2024年8月9日(金)まで→8月13日(火)より業務開始
・年金局 2024年8月7日(水)から2024年8月9日(金)まで→8月13日(火)より業務開始
・部落解放センター   2024年8月21日(水)から2024年8月23日(金)まで→8月26日(月)より業務開始
・出版局 2024年7月12日(金)、2024年8月1日(木)から2024年8月2日(金)まで→8月5日(月)より業務開始

なお土曜・日曜・祝日は通常休業日です。

メディアリテラシーが一層問われる

 株式会社クリスチャントゥデイ(CT)が異端・カルト110番編集顧問の根田祥一氏に対し、『ダビデ牧師(張在亨=ダビデ張)と共同体を考える会』ブログ記事を引用した投稿で名誉が毀損されたとする損害賠償請求訴訟を起こし、地裁判決が4月22日に出たことを受け、6月13日カトリック中央協議会でカルト問題キリスト教連絡会主催による裁判報告会が行われた。

 判決では、①原告CTが張牧師の設立した諸団体・教会と関係があり、その宗教的な影響下にあること、②張氏が米国で設立したオリベット大学が不正融資事件で罰金刑を受け、設置州当局から閉鎖を命じられたこと、③原告関係者が属した東京ソフィア教会では「ダビデ牧師」を「キリストの再臨」と関連づけて示唆していたが、そのような宣教の支障となる事実を打ち明けないことを「知恵」であると説き、教えの内容を他言せず、既存の他の教会に所属するよう求めたこと、④信者に無償労働や借財(カードローン)で献金させ、困窮のあまり公共交通機関の料金を払わないことを宗教信条で正当化したこと、⑤CT関係者が、ダビデ張を「再臨のキリスト」と信じ東京ソフィア教会に通っていることを峯野龍弘牧師に秘して淀橋教会に通ったこと、⑥CTはダビデ牧師の韓国人宣教師が日本に入国する際、虚偽内容を記載した入国管理局宛の文書を作成し、不法入国に加担したこと、⑦CTは、記事の内容等について張牧師から指示を受けたこと……といった、CT側の否定していた内容を含む重要な事実が認定された。

 また、ブログの内容は2003〜2008年にかけての事実であり、ブログ記事が作成された2019年時点でも「同様の事実が繰り返され、あるいはその温床となるような組織体制が維持されていたと推認することはできない」との理由で、ブログの一部が名誉棄損にあたるとして110万円の賠償請求に対し50万円の支払いが命じられた。しかし、CTが提出したブログ管理人の中橋祐貴氏が「原告の名誉を毀損し、事実に反する内容を発信した」と認めたとする「謝罪文」については、中橋氏が原告から告訴されたことを機に精神的に追い詰められ、訴訟終結を優先する意向を強めていたことが考慮され、この「謝罪文」によってブログ記事の真実性は否定されないとの判断がされた。

 報告会では、事実関係を十分確認・検証せず、CT擁護に協力しているキリスト教関係者が今も見られることが言及され、メディアリテラシーが一層問われていることが指摘された。

(柳本伸良報/カルト問題連絡会世話人)

 「今だけ、金だけ、自分だけ」、目先の利益のみを追求する現代の風潮を捉えた言葉として度々用いられている。将来に希望を持ちにくい時代ほど、人は刹那的、近視眼的にならざるを得ないのかもしれない。▼教会においても、年々衰退して行く見通しが語られ、続けて来た活動の見直しが提言されている。その状況を否定的に受け止め、現在を続けることに固執したくなるが、その姿勢において自らも現代の風潮に呑まれているように思う。▼神の民の歴史には、興隆期と共に衰退期があり、その中で御言葉が語り継がれて来た。衰退期に活動した旧約の預言者は、「抜き、壊し、滅ぼし、破壊し/あるいは建て、植えるために」(エレミヤ1・10)との御言葉を受け止め、神殿がある町の破滅を告げると共に、滅びの先にある新しい命を指し示すべく、その土地の畑を買った。▼「抜く」ことはもちろん、「植える」ことも、今、自分が、実りを収穫できるような務めではない。しかし、その務めは、自分ではない誰かが将来において実りを刈り取り、神の国を立てることにつながる。衰退期を積極的に受け止め、抜き、且つ植えるために歩む者でありたい。

 こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、 信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。 あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。
 あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。 また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。
「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、
力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」
 あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。 もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。 更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然ではないでしょうか。 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。
 だから、萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい。 また、足の不自由な人が踏み外すことなく、むしろいやされるように、自分の足でまっすぐな道を歩きなさい。

伝道推進室より応援した教会・伝道所

いのち・平和・共に生きる生活

石垣農村伝道所牧師 

川﨑 正志

 石垣農村伝道所物語のはじめです。時は1998年7月30日。その日、牧師家族が信濃の国、上田の地から海路八重山の地、石垣島に上陸しました。当時はまだカーフェリーが航行していて、のどかな船旅になりました。高校3年在学中の長女をひとり小諸に残しての家族7人の船出でした。彼女は1年半後に進学して、那覇にある教会の寮のお世話になりました。

 ところで、石垣島へと舵を切るに至った契機は、「1995年沖縄米兵少女暴行事件」です。その衝撃が私の背を押して、待ったなしの決断となりました。私を石垣に招いてくれた友人の「沖縄は決して癒しの島なんかじゃない。癒しを必要としている島なんだ。川﨑君、農村伝道してくれ!」との言葉、そして彼の父君の「川﨑さん、沖縄(島)ではなくて石垣にしなさい」と声をかけてくださったこと。このお二人の言葉は、私にとって余りある力となりました。沖縄は私を必要としている。重く厚かった扉が開かれました。沖縄島在住の今は亡き友人は「川﨑君、君の神さまは生きている!」と言いました。彼は「君が沖縄に来ても、迷惑をかけるだけだからこの計画には賛成できない」と忠告してくれた人の一人です。

 自給伝道の道が開かれて21年の月日が経っていました。2019年10月29日、石垣農村伝道所は教団総会議長の同意を得て誕生しました。難産の子は、可愛いといいます。この日に至る歩みの中で、崎枝農場(1ヘクタール)の開設(2010年)、名蔵祈りの家の開所(2012年)の道が開かれました。

 石垣農村伝道所は「家の教会」です。教会形成の土台を「主の食卓を囲んでささげる礼拝」と「聖書を読む会」に定めました。「聖書を読む会」は、「聖書研究祈祷会」でも「聖書を学ぶ会」でもありません。これはもちろん大切ですが、キリスト信仰の究極は、聖書を「共に」読むことにあると考えるからです。

 2021年9月、多くの方々の祈りとご支援によって礼拝堂が完成しました。木造1階建て、切妻屋根の上には十字架を立てませんでした。内部正面に3枚の縦長窓があるだけです。礼拝堂建築は、私たちの思いを遥かに越えた神のなせる奇跡の業でした。礼拝堂完成に至る石垣農村伝道所の航海は、順風満帆ではありませんでした。これからも荒波に揉まれる航海が続くことでしょう。

 ここで、この物語の中間報告をいたします。新年度伝道所総会で承認されたことの確認です。⑴「こころの友」配布伝道を月1回石垣島北部地区で実施する。「西表島伝道圏伝道」は当分の間延期する。⑵「こども農村自然塾in石垣島」の活動、①テーマは「いのち・平和・共に生きる生活」。初めと食事の時と終わりの祈りを大切にする。②目的は、自然を観察し、「いのち」を育て、失敗を恐れずチャレンジする精神を養うこと。③活動方針は、日常生活の取り組みであり、「こどもの教会」と連携して活動すること。大人は手出し口出しを慎むこと。④課題は自分がやりたいことを主体的に見つけて取り組むこと。挨拶と「靴をそろえて入る自由」(羽仁もと子)を大切にすることです。ご支援感謝。栄光在主。御心が地でも行われますように。

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