信仰によって、アブラハムは、試練を受けたとき、イサクを献げました。つまり、約束を受けていた者が、独り子を献げようとしたのです。この独り子については、「イサクから生まれる者が、あなたの子孫と呼ばれる」と言われていました。アブラハムは、神が人を死者の中から生き返らせることもおできになると信じたのです。それで彼は、イサクを返してもらいましたが、それは死者の中から返してもらったも同然です。信仰によって、イサクは、将来のことについても、ヤコブとエサウのために祝福を祈りました。信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。
内閣総理大臣 岸田文雄殿
法務大臣 古川禎久殿
日本基督教団社会委員会
委員長 森下 耕
死刑執行を繰り返さないよう要望します
私たちは、7月26日に法務大臣が氏名を公表し、東京拘置所の加藤智大氏の死刑を執行したことに抗議し、死刑執行を繰り返さないよう強く要望いたします。
日本基督教団は、1982年第22回総会において、死刑執行の中止を求める声明を採択し、死刑制度の見直しを願い、死刑執行の都度には抗議声明を出し、繰り返すことがないように要請してまいりました。しかし、死刑執行がなされました。まことに遺憾です。
人命を損なう非人道的行為は、犯罪によるものはもちろん、たとい法の執行によるといえども許されるべきではありません。犯罪による被害者やそのご家族のやり場のない深い悲しみや怒りまた恐怖に、心から同情し、共感いたします。それ故にこそ、加害者の命を死刑によって奪うことでは真の解決にはならず、悔い改めによる新生と心からなる謝罪を通して和らぎへと至ることこそ、真の慰めとなることを信じます。
どのような人でも、その人命が尊重され、一人一人の人権が守られる社会を作ることこそ私たちの願いであり、その実現のために祈りかつ努める所存です。政府もまた、これをなすべき急務であると心得、より一層の努力を傾注されますよう、期待してやみません。
2022年7月26日死刑執行抗議声明(PDF)
日本基督教団カルト問題連絡会では「統一協会(世界平和統一家庭連合)をはじめとするカルト宗教」のメール相談を開始しました。
メール相談が可能な方はお電話ではなく、メールでのご相談をお願いいたします。
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メールには、
①相談者のお名前
②相談者の連絡先
③相談者の住まいがある住所(市区町村まで)
④相談者に連絡してよい曜日や時間
⑤相談の内容
をご入力ください。相談者の住所は、近くで対応可能な支援者を振り分けるためにお聞きしています。
返信に数日ほど時間を要することがありますので、あらかじめご了承ください。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。
信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました。神が彼を移されたので、見えなくなったのです。移される前に、神に喜ばれていたことが証明されていたからです。信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです。信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り、その信仰によって世界を罪に定め、また信仰に基づく義を受け継ぐ者となりました。
信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。
アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束をなさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。
もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。モーセの律法を破る者は、二、三人の証言に基づいて、情け容赦なく死刑に処せられます。まして、神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。
「復讐はわたしのすること、
わたしが報復する」
と言い、また、
「主はその民を裁かれる」
と言われた方を、わたしたちは知っています。生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。
あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。実際、捕らえられた人たちと苦しみを共にしたし、また、自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。
「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。
遅れられることはない。
わたしの正しい者は信仰によって生きる。
もしひるむようなことがあれば、
その者はわたしの心に適わない。」
しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。
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