わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。
見よ、虐げられる人の涙を。
彼らを慰める者はない。
見よ、虐げる者の手にある力を。
彼らを慰める者はない。
既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。
人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。
愚か者は手をつかねてその身を食いつぶす。
片手を満たして、憩いを得るのは
両手を満たして、なお労苦するよりも良い。
それは風を追うようなことだ。
わたしは改めて
太陽の下に空しいことがあるのを見た。
ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。
際限もなく労苦し、彼の目は富に飽くことがない。
「自分の魂に快いものを欠いてまで
誰のために労苦するのか」と思いもしない。
これまた空しく、不幸なことだ。
ひとりよりもふたりが良い。
共に労苦すれば、その報いは良い。
倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。
倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。
更に、ふたりで寝れば暖かいが
ひとりでどうして暖まれようか。
ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。
三つよりの糸は切れにくい。
2026年10月7日
これまで日本キリスト教団出版局で発売していた手帳・カレンダー商品につきまして、2027年版よりアイ・パブリッシングで発売いたします。
なお、下記の通り価格改定がございます。
◆ポケット・カレンダー フォト
本体600円 → 本体1,000円
◆書入れ用カレンダー
本体600円 → 本体1,000円
◆牧会手帳
本体1,400円 → 本体1,600円
*「ポケット・カレンダー 黒」および「ミッションダイアリー」は2027年版の製作はございません。
また、日本キリスト教団出版局で刊行された好評書籍が、アイ・パブリッシングで重版されます。
2026年10月14日出来
・みんなの説教入門
・聖書通読31
2026年10月22日出来
・80歳から創めるキリスト教
2026年10月23日出来
・聖書のお話を子どもたちへ
さらに、アイ・パブリッシングより新刊も刊行されます。
2026年10月9日刊行予定
・星野富弘の世界
2026年10月26日刊行予定
・対話の作法
これらの詳細についてはアイ・パブリッシングのホームページをご覧ください。
https://www.ipub.co.jp/
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時
保つ時、放つ時
裂く時、縫う時
黙する時、語る時
愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。 11神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
わたしは知った
人間にとって最も幸福なのは
喜び楽しんで一生を送ることだ、と
人だれもが飲み食いし
その労苦によって満足するのは
神の賜物だ、と。
わたしは知った
すべて神の業は永遠に不変であり
付け加えることも除くことも許されない、と。
神は人間が神を畏れ敬うように定められた。
今あることは既にあったこと
これからあることも既にあったこと。
追いやられたものを、神は尋ね求められる。
2026年10月6日
また、わたしは顧みて
知恵を、狂気と愚かさを見極めようとした。
王の後を継いだ人が
既になされた事を繰り返すのみなら何になろうか。
わたしの見たところでは
光が闇にまさるように、知恵は愚かさにまさる。
賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。
しかしわたしは知っている
両者に同じことが起こるのだということを。
わたしはこうつぶやいた。
「愚者に起こることは、わたしにも起こる。
より賢くなろうとするのは無駄だ。」
これまた空しい、とわたしは思った。
賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。
やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。
賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。
わたしは生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかもわたしを苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ。
太陽の下でしたこの労苦の結果を、わたしはすべていとう。後を継ぐ者に残すだけなのだから。その者が賢者であるか愚者であるか、誰が知ろう。いずれにせよ、太陽の下でわたしが知力を尽くし、労苦した結果を支配するのは彼なのだ。これまた、空しい。太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。知恵と知識と才能を尽くして労苦した結果を、まったく労苦しなかった者に遺産として与えなければならないのか。これまた空しく大いに不幸なことだ。まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう。一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。これまた、実に空しいことだ。
人間にとって最も良いのは、飲み食いし
自分の労苦によって魂を満足させること。
しかしそれも、わたしの見たところでは
神の手からいただくもの。
自分で食べて、自分で味わえ。
神は、善人と認めた人に知恵と知識と楽しみを与えられる。だが悪人には、ひたすら集め積むことを彼の務めとし、それを善人と認めた人に与えられる。これまた空しく、風を追うようなことだ。
2026年10月5日
エルサレムの王、ダビデの子、コヘレトの言葉。
コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
太陽の下、人は労苦するが
すべての労苦も何になろう。
一代過ぎればまた一代が起こり
永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み
あえぎ戻り、また昇る。
風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き
風はただ巡りつつ、吹き続ける。
川はみな海に注ぐが海は満ちることなく
どの川も、繰り返しその道程を流れる。
何もかも、もの憂い。
語り尽くすこともできず
目は見飽きることなく
耳は聞いても満たされない。
かつてあったことは、これからもあり
かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。
見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり
この時代の前にもあった。
昔のことに心を留めるものはない。
これから先にあることも
その後の世にはだれも心に留めはしまい。
わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。
ゆがみは直らず
欠けていれば、数えられない。
わたしは心にこう言ってみた。「見よ、かつてエルサレムに君臨した者のだれにもまさって、わたしは知恵を深め、大いなるものとなった」と。わたしの心は知恵と知識を深く見極めたが、熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり愚かであるにすぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。
知恵が深まれば悩みも深まり
知識が増せば痛みも増す。
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