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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【2025年12月】今月のメッセージ 〜アジア学院より〜

2025年12月1日

アジア学院 Asia Rural Institute

Bernard Timothy Appau べナルド・ティモシー・アパウ 宣教師

 こんにちは。メリークリスマス、みなさん。
 今日は、アフリカでのクリスマスのお祝いについて、みなさんにお話ししたいと思います。
 アフリカの多くの国でのクリスマスは、西洋の国々とは少し違って、とても特別なものです。
 クリスマスは、喜びとお祝い、平和、そして和解の時でもあります。
 私たちは、キリストが12月25日にお生まれになったと信じていて、そのためクリスマス・イブはメシアを迎える準備をする大切な日です。
 24日の前には、都市に住んでいる人たちがそれぞれの故郷へ帰り、家族と一緒にメシアの到来をお祝いします。
 そして24日のイブになると、コミュニティでは家の前にクリスマスツリーを植えたりして準備を始めます。
 夕方になると、みんなで焚き火の周りに集まり、年長者たちがクリスマスにまつわる物語を語ってくれます。
 特に私の部族では、24日は家族がお互いの問題を話し合って和解する日でもあります。
 また、人によっては亡くなった家族を思い出し、涙を流しながらお墓参りをすることもあります。
 そして26日、一般に「ボクシング・デー」と呼ばれる日は、子どもたちが新しい服を着て、家々を回りながらクリスマスの贈り物を集めます。
 クリスチャンたちは教会で礼拝をし、その後は家族が集まって料理を作り、食事をし、問題を解決した家族同士が一緒に食卓を囲むことも、和解のしるしとして大切にされています。
 だいたいどの家でも、鶏を買ったり、飼っている鶏をしめて料理を作ります。
 そしてこの機会に、コミュニティの中で贈り物を交換し合います。
 これが、アフリカの多くの国でのクリスマスの簡単な紹介です。
 「多くの国」と言ったのは、北部はイスラム教徒が多いからです。
 ですので、私たちクリスチャンにとっては、このようにしてクリスマスをお祝いしています。
 ご清聴ありがとうございました 。

Christmas message for the UCCJ 2025

Timothy Appau (ARI staff, Missionary from Ghana)

Christmas in most African countries is very special compare to some western countries.  It is a time of joy, celebration, peace and reconciliation. We believe that Christ was born on the 25th of December and, because of that, the Christmas eve is the preparation for receiving the Messiah.

Before the 24th, those who are in the cities will travel to their hometowns to celebrate the coming of the Messiah in order to be part of the family occasions.  On the 24th, which is the eve, the community will start the preparation by planting a Christmas tree in from of each house. In the evening, people will sit around the bonfire and the elders will start telling Christmas stories.

 In my tribe in particular, the 25th is the day that families use to settle issues and make peace and reconciliation within the families. Others will use the occasion to remember their lost ones and sometimes they cried, and visit the cemetery.  On the 26th which is popularly known as boxing day, the children of the community will dress with new dresses and move from house to house to collect Christmas gifts.  The Christians will attend church services and after that families will meet together to cook and eat and for those whom they settled their issues will come to eat together as a sign of reconciliation.

 Normally each house will buy chicken or if they have their own will kill and use to cook the food. People will exchange gifts within the community.


 
 
Koffi Romaric Afatchao コッフィ・ロマリク・アッファチャオ 宣教師

 みなさん、メリークリスマス。おはようございます。
 私の名前はコフィ・ロマリオです。
 トーゴ出身で、今はアジア学院でグローバル・ミッション・フェローとして活動しています。
 今日は、ルカによる福音書2章13〜14節、そして20節から、クリスマスについてのメッセージを分かち合いたいと思います。
 クリスマスのお祝いは、私たちクリスチャンにとって、主であり救い主であるイエス・キリストがこの世に来てくださったことを思い起こす大切な時です。
 旧約聖書で預言者たちを通して語られてきたメシアを、人々は長い間待ち続けていました。
 そしてついに、イエス・キリストの誕生によってその約束が実現し、世界が待ち望んでいた救い主がお生まれになったのです。
 私が選んだこの聖書の箇所では、羊飼いたちが天使からイエスの誕生の良い知らせを聞きました。
 彼らはその知らせを信じ、天使の導きに従いました。
 そして実際に行ってみると、そこには本当にイエスがおられました。
 その時、羊飼いたちは神をあがめ、赤ちゃんのイエスに贈り物をささげ、人々の前で喜びを表しました。
 帰り道でも、彼らは神を賛美し、天使が告げたとおりのことを目にした喜びを語り合いました。
 この聖書の箇所から、私たちは「信頼」「従順」「喜び」「賛美」を学ぶことができます。
 しかし今日、多くの場所でクリスマスは商売やお金、セールなどが中心となり、本来の意味が薄れてしまっています。
 それはクリスマスの本当の姿ではありません。
 クリスチャンにとってクリスマスとは、ビジネスではなく、救い主を与えてくださった神に心から感謝する時です。
 つまりクリスマスは、クリスチャンだけでなく、すべての人が、神の憐れみとイエスという贈り物を覚える時なのです。
 神ご自身が人となり、罪深い私たちを救い、死から解放してくださった――その恵みを思い起こす時です。
 クリスマスはまた、私たちがイエス・キリストに対する自分の献身を振り返る時でもあります。
 イエスがこの世を去るとき、私たちに「行って、すべての国の人々を弟子としなさい」と使命を与えました。
 クリスマスを覚えるとき、私たちはこの使命を思い起こし、自分がどれほどそれに忠実であるか、またどのようにより良く従うことができるかを考える必要があります。
 私たちの生活が神に喜ばれているか、毎日の行いが神の国の働きに役立っているかを、一人ひとりが、家族として、また共同体として振り返る時です。
 そして互いに励まし合い、イエス・キリストの犠牲とその誕生を覚えながら、神にふさわしい生き方を目指す時です。
 馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされた幼子イエスのように、私たちもへりくだり、神のようにお互いを愛し合い、親切にしていきましょう。

 

アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて見た幻。
これはユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世のことである。
ユダの審判
天よ聞け、地よ耳を傾けよ、主が語られる。
わたしは子らを育てて大きくした。
しかし、彼らはわたしに背いた。
牛は飼い主を知り
ろばは主人の飼い葉桶を知っている。
しかし、イスラエルは知らず
わたしの民は見分けない。
災いだ、罪を犯す国、咎の重い民
悪を行う者の子孫、堕落した子らは。
彼らは主を捨て
イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けた。
何故、お前たちは背きを重ね
なおも打たれようとするのか
頭は病み、心臓は衰えているのに。
頭から足の裏まで、満足なところはない。
打ち傷、鞭のあと、生傷は
ぬぐわれず、包まれず
油で和らげてもらえない。
お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ
田畑の実りは、お前たちの目の前で
異国の民が食い尽くし
異国の民に覆されて、荒廃している。
そして、娘シオンが残った
包囲された町として。
ぶどう畑の仮小屋のように
きゅうり畑の見張り小屋のように。
もし、万軍の主がわたしたちのために
わずかでも生存者を残されなかったなら
わたしたちはソドムのようになり
ゴモラに似たものとなっていたであろう。

2025年11月30日

わたしの民よ、心してわたしに聞け。
わたしの国よ、わたしに耳を向けよ。
教えはわたしのもとから出る。
わたしは瞬く間に
わたしの裁きをすべての人の光として輝かす。
わたしの正義は近く、わたしの救いは現れ
わたしの腕は諸国の民を裁く。
島々はわたしに望みをおき
わたしの腕を待ち望む。
天に向かって目を上げ
下に広がる地を見渡せ。
天が煙のように消え、地が衣のように朽ち
地に住む者もまた、ぶよのように死に果てても
わたしの救いはとこしえに続き
わたしの恵みの業が絶えることはない。
わたしに聞け
正しさを知り、わたしの教えを心におく民よ。
人に嘲られることを恐れるな。
ののしられてもおののくな。
彼らはしみに食われる衣
虫に食い尽くされる羊毛にすぎない。
わたしの恵みの業はとこしえに続き
わたしの救いは代々に永らえる。
奮い立て、奮い立て
力をまとえ、主の御腕よ。
奮い立て、代々とこしえに
遠い昔の日々のように。
ラハブを切り裂き、竜を貫いたのは
あなたではなかったか。
海を、大いなる淵の水を、干上がらせ
深い海の底に道を開いて
贖われた人々を通らせたのは
あなたではなかったか。
主に贖われた人々は帰って来て
喜びの歌をうたいながらシオンに入る。
頭にとこしえの喜びをいただき
喜びと楽しみを得
嘆きと悲しみは消え去る。

2025年11月29日
 その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。 皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、 ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。 ところが、その人はヤコブに勝てないとみて、ヤコブの腿の関節を打ったので、格闘をしているうちに腿の関節がはずれた。 「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、 その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」 「どうか、あなたのお名前を教えてください」とヤコブが尋ねると、「どうして、わたしの名を尋ねるのか」と言って、ヤコブをその場で祝福した。 ヤコブは、「わたしは顔と顔とを合わせて神を見たのに、なお生きている」と言って、その場所をペヌエル(神の顔)と名付けた。
 ヤコブがペヌエルを過ぎたとき、太陽は彼の上に昇った。ヤコブは腿を痛めて足を引きずっていた。 こういうわけで、イスラエルの人々は今でも腿の関節の上にある腰の筋を食べない。かの人がヤコブの腿の関節、つまり腰の筋のところを打ったからである。
 ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、 側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。 ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。 エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。
やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた。
「一緒にいるこの人々は誰なのか。」
「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」
ヤコブが答えると、 側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、 次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。 エサウは尋ねた。
「今、わたしが出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」
ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、 エサウは言った。
「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」
 ヤコブは言った。
「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。 どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから。」
ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
2025年11月28日
 次の朝早く、ラバンは孫や娘たちに口づけして祝福を与え、そこを去って自分の家へ帰って行った。
 ヤコブが旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れた。 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言い、その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付けた。
 ヤコブは、あらかじめ、セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに使いの者を遣わすことにし、 お前たちはわたしの主人エサウにこう言いなさいと命じた。「あなたの僕ヤコブはこう申しております。わたしはラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、 牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。」
 使いの者はヤコブのところに帰って来て、「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」と報告した。 ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けた。 エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのである。 ヤコブは祈った。
「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。 わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。 どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。 あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」
 その夜、ヤコブはそこに野宿して、自分の持ち物の中から兄エサウへの贈り物を選んだ。 それは、雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、 乳らくだ三十頭とその子供、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭であった。 それを群れごとに分け、召し使いたちの手に渡して言った。「群れと群れとの間に距離を置き、わたしの先に立って行きなさい。」 また、先頭を行く者には次のように命じた。「兄のエサウがお前に出会って、『お前の主人は誰だ。どこへ行くのか。ここにいる家畜は誰のものだ』と尋ねたら、 こう言いなさい。『これは、あなたさまの僕ヤコブのもので、御主人のエサウさまに差し上げる贈り物でございます。ヤコブも後から参ります』と。」 ヤコブは、二番目の者にも、三番目の者にも、群れの後について行くすべての者に命じて言った。「エサウに出会ったら、これと同じことを述べ、 『あなたさまの僕ヤコブも後から参ります』と言いなさい。」ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくれるだろうと思ったのである。 こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。
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