主は、主の御使いの前に立つ大祭司ヨシュアと、その右に立って彼を訴えようとしているサタンをわたしに示された。 主の御使いはサタンに言った。「サタンよ、主はお前を責められる。エルサレムを選ばれた主はお前を責められる。ここにあるのは火の中から取り出された燃えさしではないか。」 ヨシュアは汚れた衣を着て、御使いの前に立っていた。 御使いは自分に仕えている者たちに向かって言った。「彼の汚れた衣を脱がせてやりなさい。」また、御使いはヨシュアに言った。「わたしはお前の罪を取り去った。晴れ着を着せてもらいなさい。」 また、御使いは言った。「この人の頭に清いかぶり物をかぶせなさい。」彼らはヨシュアの頭に清いかぶり物をかぶせ、晴れ着を着せた。主の御使いは立ち続けていた。 主の御使いはヨシュアに証言して言った。
「万軍の主はこう言われる。
もしあなたがわたしの道を歩み
わたしの務めを守るなら
あなたはわたしの家を治め
わたしの庭を守る者となる。
わたしはあなたがここで仕える者らの
間に歩むことを許す。
大祭司ヨシュアよ
あなたの前に座す同僚たちと共に聞け。
あなたたちはしるしとなるべき人々である。
わたしは、今や若枝であるわが僕を来させる。
ここに石がある。
これはわたしがヨシュアの前に差し出すものだ。
この一つの石に七つの目がある。
わたしはそこに碑文を刻む、と万軍の主は言われる。
そして、一日のうちにこの地の罪を取り除く。
その日には、と万軍の主は言われる。
あなたたちは互いに呼びかけて
ぶどうといちじくの木陰に招き合う。」
わたしが目を留めて見ると、四本の角があるではないか。 わたしに語りかけた御使いに、「これは何ですか」と尋ねると、彼は、「それはユダ、イスラエル、エルサレムをちりぢりにした角である」と答えた。 更に主はわたしに四人の鉄工を示された。 「彼らは何をするために来るのですか」と尋ねると、「これらの角は、だれも頭を上げる者がないほどに、ユダをちりぢりにしたものである。また、これらの人々は、ユダをちりぢりにするために、ユダの地に角を振り上げ、彼らを震え上がらせた国々の角を切り倒すために来るのだ」と言われた。
わたしが目を留めて見ると、ひとりの人が測り縄を手にしているではないか。 「あなたはどこに行かれるのですか」と尋ねると、彼はわたしに、「エルサレムを測り、その幅と長さを調べるためです」と答えた。 わたしに語りかけた御使いが出て行くと、別の御使いが出て来て迎え、 8彼に言った。「あの若者のもとに走り寄って告げよ。
エルサレムは人と家畜に溢れ
城壁のない開かれた所となる。
わたし自身が町を囲む火の城壁となると
主は言われる。
わたしはその中にあって栄光となる。
急いで、北の国から逃れよと
主は言われる。
天の四方の風のように
かつて、わたしはお前たちを吹き散らしたと
主は言われる。
シオンよ、逃げ去れ
バビロンの娘となって住み着いた者よ。
栄光によってわたしを遣わされた、万軍の主が
あなたたちを略奪した国々に、こう言われる。
あなたたちに触れる者は
わたしの目の瞳に触れる者だ。
わたしは彼らに向かって手を振り上げ
彼らが自分自身の僕に奪われるようにする。
こうして、あなたたちは万軍の主がわたしを
遣わされたことを知るようになる。
娘シオンよ、声をあげて喜べ。
わたしは来て
あなたのただ中に住まう、と主は言われる。
その日、多くの国々は主に帰依して
わたしの民となり
わたしはあなたのただ中に住まう。
こうして、あなたは万軍の主がわたしを
あなたに遣わされたことを知るようになる。
主は聖なる地の領地として
ユダを譲り受け
エルサレムを再び選ばれる。
すべて肉なる者よ、主の御前に黙せ。
主はその聖なる住まいから立ち上がられる。」
ダレイオスの第二年十一月、シェバトの月の二十四日に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。
「その夜、わたしは見た。ひとりの人が赤毛の馬に乗って、谷底のミルトスの林の中に立っているではないか。その後ろには、赤毛の馬、栗毛の馬、白い馬がいた。 わたしが、『わが主よ、これは何ですか』と尋ねると、ひとりの御使いがわたしに語りかけ、『それが何なのか、教えよう』と言った。 すると、ミルトスの林の中に立っている人が答えて、『これらは地上を巡回させるため、主がお遣わしになったものだ』と言った。 彼らはミルトスの林の中に立っている主の御使いに向かって答えた。『わたしたちは地上を巡回して来ました。地上の人々はすべて安らかに暮らしています。』 それに答えて、主の御使いは言った。『万軍の主よ、いつまでエルサレムとユダの町々を憐れんでくださらないのですか。あなたの怒りは七十年も続いています。』 わたしに語りかけた御使いに、主は優しい言葉、慰めの言葉をもって答えられた。 わたしに語りかけた御使いはわたしに言った。『呼びかけて言え、万軍の主はこう言われる。
わたしはエルサレムとシオンに
激しい情熱を傾け
安穏にしている諸国の民に対して激しく怒る。
わたしはわずかに怒っただけだが
彼らはそれに乗じて災いをもたらした。
それゆえ、主はこう言われる。
わたしは憐れみをもってエルサレムに帰り
わが家をそこに建て直させると
万軍の主はこう言われる。
エルサレムには、測り縄が張られる。
再び、呼びかけて言え。
万軍の主はこう言われる。
わたしの町々は再び恵みで溢れ
主はシオンを再び慰め
エルサレムを再び選ばれる。』」
信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。 何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。 食べる人は、食べない人を軽蔑してはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてはなりません。神はこのような人をも受け入れられたからです。 他人の召し使いを裁くとは、いったいあなたは何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人によるのです。しかし、召し使いは立ちます。主は、その人を立たせることがおできになるからです。 ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。それは、各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです。 特定の日を重んじる人は主のために重んじる。食べる人は主のために食べる。神に感謝しているからです。また、食べない人も、主のために食べない。そして、神に感謝しているのです。 わたしたちの中には、だれ一人自分のために生きる人はなく、だれ一人自分のために死ぬ人もいません。 わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。
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