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日本基督教団 The United Church of Christ in Japan
 
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【5013号】職員クリスマス礼拝(4面)

2024年1月27日

寄留民の霊性

 12月18日、教団事務局で、教団3局と部落解放センターのスタッフ33名が集い、職員クリスマス礼拝が行われた。23年10月に、在日大韓基督教会総幹事を退いた金柄鎬牧師が、出エジプト記2章16〜22節から、「寄留民の霊性」と題して説教を語った。
 冒頭、カナダに移住した韓国人寄留者の生活を描いた映画「ライスボーイスリープス」、また、在日コリアンを描いた小説「パチンコ」を紹介した。外国で差別され辛い経験をしながら、祖国にも居場所を見出せないアイデンティティクライシスが描かれている。
 続けて、同胞を助けるべくエジプト人を殺害してミディアンに逃亡したモーセの姿に触れた。特にモーセが、同胞を助けようとしたことで逃亡を余儀なくされたにも拘らず、逃亡先でも出くわした人を助ける姿勢を持ち続けたこと、また、最初の子には、自らの境遇に対する恨み節を交えてゲルショム(寄留者)と名付けていたにも拘らず、次の子には、エリエゼル(神はわたしの助け)と名付け、今までのことは神の救いであることを告白するようになったことには「寄留民の霊性」があると述べた。
 更に、金牧師自身の歩みを振り返った。1986年に日本に来て浦和で宣教師として歩み始めた頃、「韓国のイエスさま」(韓国の教会の形・神学的立場)を伝えようとしていたが、次に調布で仕えた際、在日コリアンの生活に接し、そこで目にした、「みすぼらしい恰好をしているイエスさま」に従って行く道を示されたと語った。
 また、牧師の隠退を控えた現在、ベトナム、ミャンマー、ネパール等から多くの人々が日本に来ていることに触れ、寄留者として別の寄留者を助けなくてはならないとの思いが与えられていることを告げ、「私たちは皆、いずれ天国に行く寄留民。この地上に住んでいる間は、寄留民の霊性をもって人々に仕えて行きたい」と語った。

(新報編集部報)

主は小さな群れを顧みてくださる

宇都宮東伝道所牧師
森田泰司

 宇都宮東伝道所は、1977年1月から印南真人教師と印南繁子教師そして宇都宮教会の数名の信徒により伝道が始まりました。当時、宇都宮教会から離れざるを得ないやむを得ない事情があり、宇都宮市峰町にて伝道を始めました。
 伝道開始後、すぐに日本基督教団の開設認可を得る予定でしたが、近隣諸教会からの祝福を得ることができず、困難な状況が続きました。しかし、1985年にようやく近隣教会からの同意を得て、日本基督教団認可伝道所としての歩みを始めました。
 印南真人牧師が学習塾をされていた場所を伝道所としたことで、子どもや青年が集う伝道所でした。これからの伝道発展に大いに期待が寄せられていましたが、1989年に印南真人牧師が健康上の理由により、突然辞任されました。後任は、宇都宮教会の益守栄牧師が兼牧を引き受けてくださいました。一方、礼拝を行う場所は、宇都宮教会の会堂や他の事務所等を転々としつつ礼拝を続けました。1994年に現在の場所にあった中古住宅を購入し、改築することで会堂を得ることができました。会堂建築費用の多くは、信徒の方々の多大な献金によるもので、建築資金を返済することができました。
 その後、高崎隆牧師、山ノ下恭二牧師による代務、新淵千枝子主任担任教師と教師が交代しましたが、2007年から益守栄牧師が主任担任教師として着任し、伝道が続きました。
 2014年には宇都宮教会の木村太郎牧師が1年間代務をされた後、森田泰司伝道師が主任担任教師として招聘されました。
 宇都宮東伝道所の伝道は、3年間継続する宣教基本方針を決め、年主題、主題聖句を選び、各年毎に宣教実施目標を決めて行っています。信徒の方々が、み言葉に聞き、祈る教会として成長できるように礼拝の形を整えました。週報には、礼拝の聖書箇所から心に留めるみ言葉を取り上げて、短い奨励を記して、教会員の信仰の成長を図っています。
 教会の中だけではなく、「信徒の友」で紹介された全国にある小さな教会・伝道所に向けて、祈祷会で祈りのハガキを書き、お送りしています。小さな伝道所でも出来る伝道を行い、いただいたハガキから伝道の励ましを受けて、この地での伝道を続けています。
 2018年には、2名の受洗者が与えられました。これは、他教会の信徒からの紹介でした。このことは、主の特別な恵みによるものだと感じています。
 現在の課題は、一人でも多くの求道者が与えられ、この地での伝道がこれからも続けられるように、伝道所を整えていくことです。イエスさまが弟子を集められた時、アンデレがペトロをイエスさまに紹介し、ペトロが弟子となっています(ヨハネ1章42節)。小さな教会、伝道所では、自らの力だけではできない、求道者の招きについて、多くの教会からの紹介による協力をぜひお願いいたします。

 

 御名を讃美いたします。
 1月1日16時10分頃に、能登半島を中心に、マグニチュード7.6、最大震度7の地震が発生いたしました。中部教区の教会を中心に、能登半島地域を中心に、多くの被害が報告されています。ただちに募金を開始し、受け入れます。祈りをもってご協力をいただきますようお願い申し上げます。

2024年1月2日
日本基督教団社会委員長 柳谷知之

 

送金
 加入者名 日本基督教団社会委員会
 郵便振替 00150−2−593699
※通信欄に「能登半島地震緊急救援募金」とお書きください。※献金使途にご指定がある場合は、通信欄に下記のようにご記入ください。「人道的支援のため」「教会等再建支援のため」

日本基督教団社会委員会(電話 03-3202-0544)

 新報5009・10号3面「事務局報」欄、「横浜訓文学院」を「横浜訓盲学院」に、お詫びして訂正いたします。

 新報5011・12号2面「宣教師人事・支援委員会」本文中、「12月22日」を「11月22日」に、3面「事務局報」欄、「郡中南」通信先「正貴教会気付」を「松前教会気付」に、お詫びして訂正いたします。

森野善右ヱ門(隠退教師)
 23年7月31日逝去、94歳。滋賀県生まれ。57年東京神学大学大学院修了。同年より信濃町、若草教会を牧会し、東北学院大学に務め、関東教区巡回教師を経て17年隠退。遺族は息・森野直樹さん。

渡辺敏雄(隠退教師)
 23年11月2日逝去、74歳。愛知県生まれ。79年同志社大学大学院修了。同年より神戸、泉北ニュータウン教会を牧会し、15年隠退。遺族は妻・渡辺のゆりさん。

尾崎マリ子(隠退教師)
 23年12月1日逝去、93歳。大阪府生まれ。88年東京神学大学大学院修了。同年より井草、久我山教会を牧会し、08年隠退。遺族は息・尾崎令さん。

後藤擧治(無任所教師)
 23年12月11日逝去、92歳。山形県生まれ。64年日本聖書神学校卒業。65年より68年まで山辺伝道所を牧会。遺族は姪・後藤るつ子さん。

志垣 暹(隠退教師)
 23年12月2日逝去、93歳。韓国・鎮海生まれ。60年日本聖書神学校卒業。同年より岩村田、角田教会を牧会し、98年隠退。遺族は妻・志垣たけ子さん。

東島勇気(隠退教師)
 23年12月18日逝去、80歳。ハルピン生まれ。69年関西学院大学大学院修了。同年より広島流川、神和、福岡中部、門司大里、宇和島中町教会を牧会し、22年隠退。遺族は妻・東島幸子さん。

安村喜行(隠退教師)
 23年12月20日逝去、94歳。山口県生まれ。53年日本基督教神学専門学校卒業。同年より別府野口、玉島、福山延広教会を牧会し、西中国教区に務め、登美丘教会を経て、05年隠退。遺族は息・安村真さん。

繪鳩 彰(隠退教師)
 23年6月13日逝去、90歳。東京都生まれ。97年東京聖書学校卒業。00年より14年まで上三川教会を牧会し、18年隠退。遺族は妻・繪鳩アツヱさん。

佐々木睦子(無任所教師)
 23年6月14日逝去、82歳。青森県生まれ。03年農村伝道神学校卒業。同年より矢板教会、那須塩原伝道所を12年まで牧会。遺族は娘・畑育子さん。


正教師登録

田澤節子、能登祐子(2023・12・3受按)

眞田正美、西川良三、西川優子、島田由紀(2023・12・4受按)

片岡賢蔵(2023・12・16受按)

教師異動

丹波新生 就(担)マライケ・マウヒ

奈良  辞(主)汐碇直美
 〃  就(代)宮川経宣

米沢  就(代)原  裕

尾道吉和就(代)鎌野 真

遠野  就(代)柳谷雄介

明石愛老園 辞(代)兼松千佳子

シロアム辞(担)加藤豊子
 〃  就(主)加藤豊子

伝道所廃止

明石愛老園

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