東海教区農村伝道専門委員会主催の第四二回「農村伝道協議会」が二月二七日~二八日塩尻市のJAアスティかたおかを会場にして開催された。講師は「遺伝子組み換え情報室」代表、四日市大学講師の河田昌東氏で、「DNA・命・食べ物」と題して講演がなされた。参加者は二三教会五〇名であった。
一九五三年に、ワトソンとクリックが遺伝子の本体DNAの構造を解明してから、この五〇年の間に遺伝子の研究は飛躍的に進み、今では、遺伝子を人間が自由に操作し、人工的な遺伝子組換えさえも可能になった。しかし、そのことが、今、人間と自然にとって、新たな脅威となりかねない時代をもたらしつつある。過去一〇年間に、遺伝子操作による新たな時代を迎え、遺伝子組換え生物を自由に作り、クローン技術の発達によって人間の遺伝子自身を操作することも可能になった。現在、遺伝子操作が最も身近になったものに「遺伝子組換え作物」がある。すでに、世界中では、日本の面積の三倍弱にあたる土地に、遺伝子組換え作物が栽培され、世界の大豆の六〇パーセントは除草剤をかけても死なない遺伝子組換え大豆である。遺伝子操作は、新たな産業革命をもたらしつつある。遺伝子研究はビジネスになり、遺伝子は特許の対象ともなり、石油に代わる富をもたらす手段でもある。
しかし、ヨーロッパを中心に、こうした遺伝子操作生物の産業利用には、大きな批判が起こり、「フランケンシュタイン生物」の生態系への進出を阻止する活動も盛んである。世界の中で、最も沢山の遺伝子組換え作物を利用している日本の私たちにとっては、遺伝子組換え作物は、人間の安全性が関心のまとだが、ヨーロッパでは、自然破壊の問題だと捉えられている。圧倒的な人間の力は、今後の生物と自然にとってどのような影響をもたらすのか。
河田昌東氏はこのように述べられ、参加者は遺伝子組換え作物の現実を見ながら、自然と人間の今後について学ぶことができた。講演を聞く側の集中度が高かった二日間であった。
(水田雅敏報)
教団の学生・青年センターSCF・学生キリスト教友愛会(東京・中野)による青森での「除雪と交流の旅」が二月九日(木)から十三日(月)まで行なわれた。吉岡康子館長・小栗仁志主事と十五名の青年達が、昨年を上回る豪雪被害のなかを生きる奥羽教区北西地区の数教会を訪問、除雪作業と交流の時を持った。
初日には猛吹雪のなか積雪一〇メートルにも届くかと思われる八甲田伝道所を訪問した。あまりの吹雪のすさまじさにたじろぎながらも「皆で待っています」との伝道所の皆さんの招きに励まされつつ何とかたどり着き、今年初めての(豪雪のためそれまで集会が不可能であった)礼拝を感謝のうちに守る事ができた。礼拝の後吹雪にも負けずにさっそく除雪作業開始。さらに二日目午前までかかって、慣れない作業に四苦八苦しつつも雪に埋もれた一階部分の「掘り出し」に成功。一同達成感に満たされて会堂内で一休みしていると「ドドーッ」とのごう音と共に屋根の雪、一メートル四方のかたまり数個が今まで除雪していたところに落下。作業中だったら…と守られたことを感謝すると共に、このような事故によって今年も多くの死傷者が出た雪国に生きる厳しさを実感させられた。
夜には教会員の皆さんと愛唱讃美歌合唱・沖縄からの参加者による「琉球讃美歌」の披露、さらには全員によるハレルヤコーラスへと盛り上がり、讃美の歌声が猛吹雪につつまれた八甲田山中標高八〇〇メートルに立つ伝道所に響き渡る楽しく、忘れがたい交わりの夜となった。
三日目には日本最北のハンセン病療養所である松丘保養園内の教会松丘聖生会をお訪ねし同教会代表の神子沢新八郎・悦子ご夫妻からお話を伺った。
会員の皆さんの歩みは実に苦難に満ちた人生であり、また教会の歩みも実に困難を極めた事を学んだ。「私たちの証しを若い皆さんが確かに受け継いでください」との神子沢さんの励ましを深く心に刻み共に祈る時を持った。
その後青森松原教会と青森戸山教会に分かれ、それぞれで「子ども会」を行なった。巨大な雪だるまや「かまくら」などを作り、さらには本場「スポーツ雪合戦」に挑戦。結果子ども達に打ちのめされて雪だらけとなりメンバー全員敗れ去ったのであった。
聖日には両教会で説教や奏楽などをメンバーが担当させていただいた。夜には青森戸山教会の皆さんと懇親会のひと時を持った。
この旅をきっかけとして、信仰告白の決心をした者、しばらく離れていた教会生活に復帰した者もあり、多くの学びと良き出会いを経験して各自が豊かにされた貴重な時であった。(吉岡康子報)
十五回目を迎える関東教区教会高校生キャンプは四三名の参加者を得て行われた。
昨年から引き続き草津にある元ハンセン病患者の療養施設栗生楽泉園について学んだ。昨年はハンセン病について、また草津でのハンセン病療養に関わったリー女史についての知識を学んだ。今年は、実際に楽泉園に伺い施設内にある聖公会・聖慰主教会の方々との出会いを体験した。
正直なところ、主催する側にも不安がある。どれだけ伝えることができるのだろうかと考えると二の足を踏んでしまう。そんな時、神学生時代に夏期伝道実習の一環で伺った邑久光明園で出会った元ハンセン病患者の方の「私たちが居なくなってしまう前に、子どもたちをこの場へと連れて来て欲しい」という言葉を思い出す。何ができるというのではなく、連れて行くことだけで使命を果たせるのでは、と考えた。
「たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」(コリント二4・16)は、訪問時に講演をしてくださった自治会長(聖慰主教会会員)藤田氏の慰めの聖句。他の療養所施設とは違い外部との行き来が比較的自由であったと仰っていたが、半世紀以上施設の中で暮らさなければならなかったことはどれだけ苦悩であったか分からない。入所者の平均年齢は八〇歳。しかし、藤田氏だけでなく教会で共にお食事をしたご婦人の方々も生き生きとした力を持っておられた。藤田氏は子どもたちに向けて「今をしっかりと生きる」ことを繰り返し勧めて下さった。命のあることを感謝して、今を生きてゆくように、と。
楽泉園の訪問を受けて、子どもたちはその感じたままを森牧師(狭山伝道所)の指導によるフィンガーペイントで心を表した。子どもたちの中には、楽泉園に行くことを不安に思っている者もいた。どの様にして向かい合えばよいのか分からなかったからだ、と。しかし実際には聖慰主教会の石浦さんや婦人の方々の温かい歓迎で、不安な思いを取り除くことができた、と告白してくれた。一つ紹介する絵は佑太君の絵だ。両脇の暗闇、そして中央の道は光に向かっている。今の心境を表している。十八歳の心の不安、しかし光に向かって歩んでいきたいとの信仰が表現されている。
「知らなかったことは罪?」なのか。見て見ぬ振りをすること、知らない振りをすることは罪である。今、私たちは一つのことを知った。子どもたちは明らかに変わった。知らないでいることは、勝手な偏見を生む。知ろうとすること、そこから変化は起こっていくのだろう。神との関係も。(小池正造報)
▼むかし、お金がなくて買えず悔しい思いをした『原民喜全集』を、つい先日手に入れた。大分汚れてはいるが、嬉しい。大事に、少しずつ読めば、半年は味わえるだろう。▼被爆して死んでいった人々の無念、夭逝した妻への愛を、民喜は、鉄道自殺という悲惨な死を遂げることによって、我が心に〈刺し貫く〉。「死んでいった者への悲しみによって貫かれなければならない」という彼の言葉は、十字架に架けられた方への思いと重なって聞こえた。未熟な求道者とって、それは信仰告白に等しいものだった。▼貧しくて全集が買えなかったからか、長く心に抱き続けるには、あまりにも、激しく熱いからか、意外に短い時間の内に、『夏の花・心願の国』さえ、本棚の後ろに隠れてしまった。▼否。文学を信仰の観点から誉めるのも貶すのも愚かだが、我らの信仰は、「死んでいった者への悲しみによって貫かれ」ているのではない。十字架に架けられた方は、死から甦られた方であり、「あなたがたに平和があるように」と語りかけて下さった方なのだから。
『教団新報』今号を四六〇一・〇二合併号とし、四六〇三号は五月二七日発行とします。
総幹事 竹前 昇
〒169-0051 東京都新宿区西早稲田2-3-18-31
Copyright (c) 2007-2025
The United Church of Christ in Japan






